#76 東京ドームにて野球を観る。そして人を辞める。
野球には夢がある。野球場には、夢がある。今春開催され、世界中を湧かしたWBCがそれを証明した。母国の威信をかけて戦う選手たちと、彼らの力になろうと声援を送ったファン、それぞれの目が美しく輝いていた。
何も持ち得ず、何者でもない私は、そんな宝のような輝きを求めて、東京は後楽園、東京ドームへ向かった。
「高校の同級生が試合に出るかもしれんから観に行こうや」と、友人の誘いがあったので久方ぶりの野球観戦へ赴いた。
友人の友人(以下会ったことないから気まずくない人)は西武ライオンズに所属している。なぜ交流戦の時期でもないのに東京でライオンズ?と思ったが、どうやら5年ぶりにライオンズが主催する東京ドームでのスペシャルデーらしく、平日のパリーグ主催試合だというのに、行ってみれば満員御礼。平日の火曜だってのに4万人以上の暇人でごった返していた。
試合開始までまだ時間があるというので、会ったことないから気まずくない人のグッズでも買うかとドーム内を練り歩いてみたが、いっこうに見当たらない。調べてみると、会ったことないから気まずくない人はルーキー選手なので球場ではグッズがまだ販売されていなかったらしい。
こういうところが日本人の改善点かもな。資本主義の発展と共に成長してきた日本が2000年代に入ってから停滞しているのはこういった諸外国の後手に回ってしまうような行動力の欠如、このままでは国境の関係ない地球規模の進化に遅れてしまうよ。と、早口で言うのをグッとこらえて、じゃあせめてチームユニだけでも買おうかと気持ちを切り替えた。
何も持ち得ないと前述したように、私は何も持ち得ない。つまるところ経済力がないのだ。完全キャッシュレス化となった東京ドームでは現金は使えない。それを知らぬまま蜜に誘われノコノコ来ては閉じ込められた愚かな私は、息をするように友人にユニフォームを奢って貰った。こういう時に助けとなるのが友情。人であり続けるために必要で大事な気持ち、感謝だけは忘れぬよう、ありがとうと伝えて席に戻った。
何も持ち得ないと前述した私であったが、欲ばかりは持て余しているらしい。久方ぶりの野球観戦に浮かれる気のまま、ビールの売り子を呼び止めた。無意識に黒目を大きくしながら、お姉さんビールをお二つといった矢先、私は己の過ちに気がついた。そう、払う手段がないのだ。
どうしよう。既にお姉さんは二杯目のカップにビールを注いでいる。今更キャンセルなんてことは出来ない。かといって、「じゃあサービスってことで!他のお客様には内緒ですよ?」なんて優しい売り子がいるはずがない。
これは詰んだか。ならせめて相打ちに、と鞄の中のピストルを出そうとした私の横で友人が言い放った。「ペイペイで」。
やはり、持つべきものは友だ。更に言えば経済的に余裕のある友。否、この場合は友という肩書きを背負った¥。¥は全てを解決してくれる。
¥はなみなみ注がれたビールを、はい、と渡してくれた。金色に輝くそれは、脈打つかのように無数の泡を天へ昇らせては、弾ける麦芽の香りを我が脳へと届ける。
球場内に響いていたウグイス嬢のアナウンスや、今夜の試合展開を語り合う周囲の喧噪は消え、静寂の中に泡の弾ける音だけが残った。
もう限界だった。
カップを傾け口につける寸前、ゴトン、と何かを落としたような音がした。それは先程まで持ち合わせていた、言葉のような気持ちのような。皆が持っているとても大事な、決して落としてはいけないもののような。
しかし、所詮この宝の前では忘れてしまうような些末なものだったのだろう。
宝は喉を潤し、瞬く間に五臓六腑へ染み渡った。
その瞬間、私は人を辞めた。
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