『宗教と日本人』を読んで

今回、私たちのグループで読んだ本は『宗教と日本人』です。

これを機会に宗教について書いてみたいなと思います

あるあるの話なので、見飽きていると思いますが、一般的に、厳しい自然や単調な自然の中で生活している人間は一神教となっていき、豊かであり、多様な自然の中で生活している人間は多神教となります。つまり、その神を見れば、その神を崇める世界がどのようなものなのかがわかるということです。どのように世界を意味づけているのか、人間はどうあるべきなのかが神には含まれている。だから、神は根拠となり、人間の心のよりどころになるのです。

僕が高校の時にめちゃくちゃはまってた言葉に「神は死んだ」があります。絶対的な存在が無くなり、相対化された世界になったということを意味しているだけだと当時は思っていました。こんな世界なんだから人間は「形あるもの」「わかりやすいもの」「一見、絶対的に見えるもの」にすがろうとするのだと。それを僕たちに押し付けてくるのだと。そういう風にただただ思っていました。

しかし、今考えるとそれは浅い考えだったと思います。なぜなら、上に書いているように、神は世界を意味づけ、人間のあるべき姿を含んでいるからです。世界を意味づけているものが無くなった。人間がどうあるべきかがわからなくなった。単純に考えればそれだけのことかもしれません。一般的に身分制度や職業の選択権がないことは悪いとされるので、ただ単に、そういう歴史の流れと考える人が大半だと思います。しかし、これは、人間同士が切り離され、個人となることによって、バラバラになるだけでなく、世界へのつながりを失ったことも意味しています。だから、シェアが一番でかいコンテンツとなる世界になっているのです。

となんかでかいことを言ってから、日本に目を向けてみたいと思います。

日本の神と言えば、八百万の神と出てくるほど有名です。豊かな自然、多様な自然から生まれた、万物に神様がいるという考えはアニミズムと言われています。この神様がそこらじゅうにあふれている感じ、そこらじゅうという世界とのつながりを感じることができる感じが日本人が西欧の宗教戦争などを理解できない理由なのではないかと最近僕は思っています。

日本人に何の宗教を信じているかを聞くと、無宗教だと大抵答えることは有名だと思います。しかし、先ほども書いたように世界をどう意味付けしているかを神が含んでいる以上、宗教を持ち、進行していることは確かです。世界に対して、なんらかしらの意味付けを日本人として共通に持っているからこんな宗教観なのに我々日本人と言う同族意識が強いのではないかと僕は思っています。僕はこれを文化と言う言葉でよく用いています。

高校生になり世界史を勉強していく中で、おそらく一番理解に苦しむのが宗教戦争なのではないでしょうか。信じる神が違うというだけで殺し合うのが理解できないなと単純に考えていました。ちょっと理解が深まって、僕らが当然としている物事を、罵倒されたらそりゃあ苛つくよなとまでの解釈はできるようになりましたが、殺し合う理由までは分かりませんでした。ただ、世界の意味付け、人間の在り方を全否定されたらどうでしょうか。考え動向ではなく、自分の存在自体が全否定されたらそうなるかもしれないと考えられるのではないでしょうか。

僕の話になりますが、僕は教育を専門にしています。最近の教育で共生という言葉は強調されます。多文化共生。誰しもが聞いたことがあるでしょう。何かがおかしい。ずっと僕は思っていました。前までは、自分がベトナムと日本のハーフだからそう思うのだと考えていましたが、卒論を書くときに文化について調べていたらアニミズムの特殊性に気づきました。多様性多様性と言いますが、実は私たちの文化自体に多様性が深く含まれているのはなんというか面白いなと思いました。日本で育ったこと、自分がハーフであることをもっと生かしていきたいなと思います。


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