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ジェイラボオープンWS#02 準備記事「Think difficult!」を参照して

数学ではなく、他の動画や記事からジェイラボに入った数少ない僕が、教育という視点から「Think difficult!」を見ていこうと思う。

よく、時代がこんなにも変化しているのに、教育はずっと昔のやり方をしていると批判される。おそらく、時代が要求している水準が上昇しているのだから、それを教えないといけないだろうと言っているのだろう。しかし、僕は全くもってそうすべきだとは思わない。なぜなら、すべては受け入れられ、適応されるものだからだ。イノベーションであれ、アップデートであれ、人間が許容できるものだから受け入れられ、社会のベースとなっていく以上根本に通ずるなにかはある。教育とは、そのような普遍的なベースを育んでいくものだと思っているからだ。

では、その普遍的なものはなんだろうか。僕は、抽象化だと思っている。人間はAIのようにモノを記憶しない。犬を知るために何万といった犬を見まくる人などいない。せいぜい数匹を見て犬とはこういうものだという抽象化を行う。しかし、この作業は無自覚で行われる。だから中学校、高校に行って勉強につまずき始める子がいるのだろう。記憶力でどうにかできていたものが量が増えることでどうにかならなくなり、抽象化という避けられない壁にさらされる。また、特定の科目でつまずく子もいる。個人的にそういう子は得意な科目では無意識で抽象化を行っているが、その特定の科目では行っていないと思っている。なぜなら、自分がそういう子に属していたからだ。僕は基本的に英語をがっつりと勉強したことがない。中学では新中問を学年ごとにやり、高校ではリードBを一冊と一周して文法は終了している。それで基本的に文法は覚えることができた。今思い返すと、一問一問すべてにおいて文法を確認しながら解いていき、解く途中で参照しなくとも確認できるようにしていた。解きながら抽象化を無意識で行っていたということだ。しかし、数学はそうではなかった。中学は抽象化をしていたが、高校に入り解法暗記中心の授業を受けるようになってから、全くついていくことができなくなった。数学が得意だと思っていたのに徐々にできなくなっていき絶望したのを思い出す。高校に行ってから数学で抽象化をしっかりと行っていなかったのだろう。このように一部ではできてもすべてにおいてしっかりと抽象化を行えない人もいる。そのため、教育は段階的に自覚的に抽象化を行わせる必要がある。抽象化は人間の性質である以上、そこを犯すことは許されない。その性質を捻じ曲げずに社会に適応できるようにすることが教育がすべきことだ。しかし、「今の時代には○○が必要だ」と言って、いきなりプログラミングをやらせたりしているから意味が分からない。これではさらに躓く子を量産してしまうのではないかとも思う。上記のような子らを減らすためにも、段階的に抽象化の作業を積ませるしかない。

そういう意味で、教師とは非常に恐ろしい仕事だと思う。なにもわからない初学者のこれからの学習を握っているからだ。そういうこともあってか、丈行の台本である指導案には、扱う単元の全体的な計画を入力する欄がある。その単元の全体像からどのように計画して身に着けられるようにするかを考えなければならない。そこから、自分のオリジナリティーを出していくことになる。僕の場合は、その計画に支障がないような段階的な説明を考えていく。本題に入るまで、自然とその話題に行くような適切な導入はどのようなものがあるか、提示する例を考える場合、教科書に載っている文章の内容と扱う文法事項を適切に反映させたものは何だろうかと考える。しかし、評価は基本的に生徒が理解しやすい例になっているのかが主になっている。もちろんそれは前提とすべきことなのだが、ただそれだけであることに問題を感じる。やはり、抽象化とはそういったものなんだろう。

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