哲学を学ぶ意味

こんにちは。宮田と申します。

 皆さんは「哲学」を学んだことはありますか。

何を目的に学びましたか。
何を目的に学ぶと思いますか。
根本的に生きる上で必要だと思いますか。
必要じゃなくても人間は学ぶべきだと思いますか。

私は「哲学」は生きる上で必要だと思います。
それでは、少し考えてみましょう。


「何を得たら人生幸せだと感じますか」
「何をもって不幸だと感じますか」
「今幸せを感じますか」
この機に自問自答してください。

私たちは「幸せの基準」がないと、不幸も幸福も感じられません。しかし、日頃それらを感じれるのは、無意識のうちに「幸せの基準」があるからです。私たちはその基準を、いつ決めたのでしょうか。何を基に決めているのでしょうか。
答えは、「周りの関係やこれまで経験したこと」です。

哲学と一括りにしても何を考えるかは変わります。哲学は私たちが幸せになるためにあるものです。そして、日頃私たちは幸せを求めて行動し、生きています。つまり、哲学は生きる上で必須なのです。哲学は幸せの基準を教えてくれる。そして、導いてくれます。宗教的な言い方ですみません。

しかし、何かを勧誘したり勧めたりもしません。ただ私は哲学が生きる上で必要だなと感じたので、発信しています。

抽象的に、幸せになるためにはお金が必要だ、人間関係だと言う人が、いると思います。では、なぜそれらが自分に幸せをもたらすのか考えたことはありますか。具体的に、どのくらいのお金でどんな人と付き合えば幸せになれるか考えたことはありますか。

ほとんどの人が無いと思います。

私が言いたいのは順番が逆だから仕事や生活で心が病む可能性が格段に大きくなるということです。

人間社会では、どうしてもお金が必要ですね。
それは私も理解しています。本当の幸せにお金なんていらないと綺麗事を言うつもりはありません。しかし、必要以上にはいらないと思います。

想像してください、あなたは今この地球上で70億人以上いる中で世界一位です。スポーツでも仕事でもなんでもいいです。あなたの先には誰もいません。そんな中、毎日同じように高いモチベーションで努力できますか。できない人が大半だと思います。

なぜか。

理由は、単純です。

好奇心を保てないからです。

つまり何が言いたいのか。

お金を稼ぐことにもゴールはなく、稼げば稼ぐほど辛くなるということ。

ゴールがないとはつまり、幸せの基準がないということです。

それに気づかずに毎日仕事や家事育児に追われていては、ただただ苦しいだけだとわかりますよね。

人生のゴールはみんな死です。

その間に何をするにも自由です。

ただ、幸せでいたいと願うのが我々人間です。

果たして今あなたが取り組んでいる辛いことはあなたの幸せに必要なものですか。

必要以上に何かを求め続ける辛さを知っているにもかかわらず、その改善策を知らないのが問題です。

それを解くのが哲学だと私は思います。

私が思うに哲学は、幸福を学ぶ学問です。と同時に自身の在り方を見直せる学問でもあります。

もう一度言いますが、宗教の勧誘ではないです。

学ぶのは自由です。

ただ哲学に興味を示し、ケータイで哲学について1分でも調べたなら、あなたは少し将来の幸せに近づいたと思ってもいいかもしれませんね。



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