見出し画像

子育てのオンラインセミナー講師を始めたんですが、受講してくださる方たちの話をお伺いしていると、いつのまにかカウンセリングセッションみたいになってしまいます。

みんなよく似た悩みを抱えていらっしゃるんですよね。

そこで感じた共通点を今日は少しシェアしてみます。



みなさんは、今、やりたいことってありますか?

得意なことは?

好きなことは?

意外にそんなことを考えたことがないとか、思いつかない…という方が多いのに驚きました。



子どもの時って、そんな「好き」「得意」「やりたいこと」がたくさんあったはずなんですよ。

小さいころは、暴れまわっていたかったり、ワイワイしていたかったし、大声を出していたかったし、水たまりにダイブしてみたかったり、泥んこ遊びが好きだったり…

画像1

男の子は、乗り物が大好きで、電車や飛行機、工事現場にあるようなはたらく車が大好き。

女の子は、かわいいぬいぐるみやお人形さんが大好きだったり…



これ、年齢が上がってくると、つまり頭が良くなってくると、その「好き」を押さえつけようとするやっかいな知恵が身についてくるんです。

言い換えれば、人の顔色をみて行動を決めるように知恵がついてくる


いや、というよりも大人たちが子どもの「自由権」を邪魔するようになるんです。


「いつまでそんなもので遊んでいるの!」

「何やってるの!うるさいこと言ってないで早くごはん食べなさい!」

「もう!あなたお兄ちゃんなんでしょ!いい加減にしなさい!」

「また汚しちゃって!誰が洗濯すると思ってんのよ!ほんとにもう!」

「くだらないことやってないで勉強しなさい!」



〇歳なんだからこれぐらいのことはできて当たり前

他のお友達はこんなことができてる

がんばって〇〇やりなさい!


こういう言葉で、いつからか大人たちは子どもの「好きなこと」よりも「できること」の方を評価するようになってくるんです。


赤ちゃんの頃には、「できる」か「できない」かなんて関係なくかわいがってくれていたのに…



そして…


子どもは、大人は「上手にできなければ」自分のことをかわいがってはくれないんだ…


そんなふうに思うようになるんです。


ここで、大人のその空気感を「受け入れられる(適応できる)」まわりに従順な子どもと「受け入れられない(適応できない)」自分に従順な子どもに別れていくようです。

そして「受け入れられない(適応できない)」子は、大人たちにとっては問題児とされる。

マイノリティ

みんなと違う子



例えば、学校なんて「できる」か「できない」かで自分の立ち位置って、ものすごく左右される場所ですよね。

「好き」とか「得意」とか関係なく、誰よりも上手い、〇番目に上手、成績は良い、悪い、中の上…人気の順位は?とか。

これ、先生からだけじゃなく、友達同士の中でも自然と序列が生まれてくるんです。

そして、自分はクラスで、学年で、チームで、仲間同士で、どの位置にいるのか…で、モチベーションや社交性、承認欲求レベルが変わってくるんです。



となると、そうして競争の中でさらされる孤独感や違和感を感じる子って必ずいますよね。

いや、いないわけがありません。


不登校?

引きこもり?

困った子どもたち?


いやいやいや…

学校行きたくない子はそりゃいるでしょう。必然なんです。

なぜなら人と人との比較でしか、人の価値を評価しないシステムにしてるんだから、そこに自分の価値を見出せない子は生まれて当然なんです。


学校だけじゃないですよ~

家庭の中もそうですよ~

地域のご近所のおばさんや団地の井戸端会議、ママ友の会話~

テレビや報道の論調



そうして、大人たちはハタと気づくんです。

(大人たちにとって)困った子どもを前にして

「じゃあ、あなたは何がしたいの?」

って聞くんです。


あなた、〇〇が得意だったじゃない!

あなたの取り得は、〇〇しかないじゃない!

やっぱり好きなことをやったらいいのよ!



え?今さら?


もはや好きなことなんてないですよ。

得意なことなんて、もう何一つ感じてないですよ。

大人たちが、常にそれを否定してきて今があるんじゃん!


自分が好きなこと?やりたいこと?

そんなふうに聞かれるのさえ鬱陶しい!


やりたいことなんて今さらどうやったらみつかるんだ?

って状態なんです。



やがて、ま、比較的これが得意…だからそれができるコミュニティに行ってみよう…

すると、そこでまた競争ができあがっているんです…



例えば、野球が好きだった。野球がまあまあ上手かった。

じゃあ、野球の強い名門の学校へ進学

すると、そこには野球のうまい奴がめっちゃ集まってきていて…

その中で序列ができ、上手い、下手でさらに評価される。

また自信を無くす。

野球が好きじゃなくなる…



例えば、小さいころから絵を描くのが大好きだった。

だから美術の学校を薦められ行ってみた。

すると、そこでも順位化されて、人と競争させられて…

誰かより上手じゃないと、存在価値を認めてもらえない

なんだろう、この違和感…

私はただ絵が好きなだけなのに…

ただ描きたかっただけなのに…

描くことを楽しみたいだけなのに…



なぜ、比較されるんだろう?

なぜ、人より上手くないと、自分は認めてもらえないんだろう?


私は私

それがなぜダメなの?



僕は、自分の子育ての中でもそうだし、これまで悩みや苦しみを抱え、自分のことを否定し続けてきた人たちと関わってきて、このことを強烈に感じています。

まさに自分自身もそうだった。



今、必要としていることは…

大人たちの…


セルフラブ


です。大人たちが自分のことを認めてあげられてないから、子どものことも認められていないんだと思うんです。



仕事は一番じゃなきゃいけない。

もっとクオリティをあげなければならない。

もっと家事も育児もこなさないといけない。

おいしい料理を手早く作れないといけない。

イライラしないで穏やかなメンタルでなければならない。

これができない私なんて、ぜんぜんダメ。


そんなふうに自分にダメ出している大人は、子どもにもそのマインドを求めてしまうんです。


人は

自分のことを愛せるほどにしか人のことは愛せない



育児と家事で時間に追われている毎日。

旦那は夜遅くに帰ってくる。

私は独りで悩み迷いながら過ごしている…

すると、思考も狭くなってきます。焦ってきます。イライラしてきます。

そして、必死になるがあまり、できないことをできるようにすることが、「しつけ」であり「教育」であると勘違いしちゃうんです。


愛し方を間違わないでください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?