神回とは/響け!ユーフォニアム3 4話


 一期二期は北宇治高校の一年生だった主人公が、三年の部長として奔走する三期。

 EDのクレジットまで見て、すぐに神回だと思った。同時に、神回とはなんだろうと思った。

 四話は、故人の問題を抱えた後輩の話。彼は二年生で、エスカレーターの男子校から転校してきた異色のキャラクターだが、過去に登場して以来、彼の背景を仄めかすことはすれど、踏み込むことはなかったが、今回は旗印として、彼を中心に話は進んでいく。とはいっても派手な衝突は抑えられて、あくまで家の問題として、外部の人間が踏み込むことの難しさの裏返しでもあるので、部長の久美子をはじめ、彼と同パートの緑輝さえ、彼とどう向き合うべきか逡巡する。

 練習を重ねてきたサンライズフェスティバルも無事終了し、部としてまとまりの兆候をみせるなか、なかなか心を開かない彼の問題は、なおさら重くのしかかってくる。

 派手な解決はない。しかし神回だ。それは緩やかな解決へのテンポだと思う。場面の跳躍をカットで滑らかにつなぎ、実際に私たちが生きている現実に似た時間の流れを、物語に感じる。だから向こうにあることが、あたかも我々の現実の量感として伝わるのではないか。そうして現実と同じ速度で伝わった物語が、ある意味現実を生きることに閉塞した自分に、新たな「生」が開通したように感じさせる体験を、人は神回と呼ぶのではないだろうか。

『気持ちは演奏に出るよ』

 という、部長の久美子が彼にかける言葉には、物語としてのリアリティーを感じはするが、そこに神は宿らない。むしろ二人がいる夜橋に、物語の黄泉、向こうの袂が解決で、つまり二人は文字通り橋の途中にいる。欄干に並んだ二人の前には川や車の色々な光が通り過ぎて、その間の二人は恋人のようにも同志のようにもみえる。橋を渡り切って、二人が駅の前で向かい合ったときの、光の在処が美しい。何か踏ん切りがついたような彼は、久美子にとってはいつもの駅に、戻っていく。つまり心が通ったようにも、北宇治の部員として同じ方向を向いたことの表れのようにもとれる。現実にある風景をつかって、物語の生を感じられることほど、美しいものはない。

 最後、先輩の緑輝と改めて後輩の彼は、二人だけの教室で、エチュードを弾く。彼の亡くなった姉もコントラバスだったようだ。気持ちは演奏に出るが、きちんと言葉にしなければ伝わらないものでもある。演奏と対話。そのどちらも彼であって、演奏の方からは緑輝、対話の方からは久美子が、彼を汲み取っている構成も物語として美しく感じる。エチュードをしている二人の教室には夕陽が差している。緑輝は彼の姉に似ているという。

 冒頭、彼の思い出の部屋は虚しく陽が差して空っぽだったが、最後、そこに三つの椅子が出て話は終わる。

 かつて緑輝を見かけた学校の教室が、彼の記憶の部屋に通じているのも、余韻があって美しい。思い出の陽の差し方は同じなのに、教室、ひいては人と繋がりができることで、その印象も変わるというのも、一人の人間の変化を目撃するようで、アニメーションの良さを改めて感じる一話だった。

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