しつけと言う名で暴力を正義とする大人たち。

私も息子には手を挙げていた。


それは
「こういうことをすると痛い目に遭うんだぞ」
と教えるためだと思っていたが、
今となっては自分の思い通りにいかない時に息子に手を挙げていた気がする。

言葉で上手く伝えれないが故、当時の私は幼稚だった。


それが良くないと気が付いたのは
息子が大きくなって私の力を逆転した時。

「このままでは殺される」と思ったからだ。


あれがなければ、今の円満な関係はなかっただろう。


私はピンチをチャンスに変えたと思っている。

ただそれをみんなが上手くチャンスに変えれるわけではない。


凶器や物を使って手を出し続ける大人。
言うことを聞かないからと育児を放棄する大人。
は、沢山存在する。

そんな大人たちに目を光らせる児相が存在する。
児相の対応は今めちゃくちゃ厳しい。
1度子供を連れていかれると、子供は簡単に戻ってこない。

ここまで厳しくなったのは親の暴力をメディアが取り上げるようになり児相に対する世間の目が厳しくなったからだと感じている。

(冷静に考えると、昔の大人はほぼ虐待案件じゃないだろうか?
中学時代には先生に飛ばされて扉ごと吹っ飛んだ同級生もいた。
ただこれに関しては先生をからかった生徒側にも非がある)


今は子供が被害者だと思われがちかもしれない。

ただ、私としては、中身は子供のまま加齢した大人たちも被害者だと思う。

なぜなら、大人たちは対応方法を知らないからだ。

自分が子供と円満な関係を気築く方法を知らない。
自分たちが親と良好な関係が築けていないケースが多い。

つまり、大人たちも、自分の親や先生、身近にいた大人から何らかの良くない影響を受けてきているのだ。


「親が厳しかった。」

これは本当に良くないケースが多い。
親が厳しいから自分も子供に厳しくする。

こうして被害者は被害者を生む。
それが何世代も繰り返されている気がする。

実際私がそうだった。

もちろん今ここに書いたことがすべてではない。
私の見解である。


メディアは子供の虐待を取り上げているが、
まだまだしつけと言う名の暴力は正義と捉えられている気がする。
しつけは悪いものと捉えられない。
暴力と言えば悪いイメージなのに。
言葉は怖い。使い方によってはいくらでも暴力になる。

この考え、捉え方のからくりに気付いてほしい。


あなたがやっていることは正義ですか?暴力ですか?

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