私について_5
前回からの続き。挫折編。
失意の帰国
幸いにもドイツでの挫折と日本の大学の受験のタイミングが合い、流れのままに早稲田大学に入学した。
そこで私は自分のアイデンティティを探求すべく、なるべく多くの人と関わる機会を持つことを心掛けた。
そんな中、友人に誘われて、当時東京藝術大学の教授であり現代美術作家であった川俣正さんのゼミに関わらせてもらうことになった。
国内外における彼の展覧会の手伝いをする中で、うっすらと「ARTって、生き様なんだなぁ」と感じるようになっていった。
また、ART市場にも興味を持っていた私は、ARTに投資をしている方たちとも交流するようになっていった。
ARTの世界では、投機目的で作品を売買することは歓迎されていないので、彼らは表向きには純粋な愛好家ということになっていた。
シーズンになると、ニューヨークのオークションの招待状を手配してもらい、ニューヨークまで飛んだ。
そこは別世界であった。オークショニア(競売人)が小気味よく競りを進めていく。たったの3分程で数十億円の作品がどんどん落札されていくのを見て、お金に対する価値観はずいぶん変わったように思う。
オークション中は欲しい作品に対して、自分の予算内で札を上げる。
片手を上げるだけで、日本円で数千万円が上乗せされていくのに、前に座っている人も、横に座っている人もクールな表情でどんどん札を上げる。
3回上げるだけでも5億円程上がってしまうのに、全く気にしていないように見えた。世の中には色々な世界があるものだと知った。
ニューヨークでは魂が響き合うような素敵な友達も出来た。
アーティスト・批評家・コレクター・投資家・教育者、それぞれの視点からARTを眺めるうちに、だんだんARTが何なのかわからなくなってしまい、大学生活の後半は自分で作品を創ることをやめてしまった。
私が大学で人間にまつわる基礎教養とARTを探求していた傍ら、実家では一族内での揉め事が頻発していた。
そのため、私は火消し役として東京と名古屋を往復することも多かった。両親が金銭トラブルに巻き込まれたり、父の入院、母の精神不安など、なかなかハードな日々が続いた。
私自身もストレスでバランスを崩し、摂食障害になってしまった。さらに、不運は重なり、実家に危機が訪れ私への仕送りがストップした。
そこで急遽、私は生活費を稼ぐために銀座でホステスのアルバイトを始めることにした。
アルバイトで入ったお店が良かったのか、危惧していたハラスメント的なことは全くなく、私に対する店側の期待も知的な会話ということだったので双方のニーズが合い働きやすかった。
銀座では、海外のエグゼクティブの接待の席につかせてもらうことが多く、欧州企業のマネジメントの話などは大変勉強になったし、ドイツ語や英語が使えるのも嬉しかった。
当時、様々な会社の経営者の方々の横で沢山話を聞けたことはとても良かったなと思う。今のリーダーシップ開発の仕事にも生きている。
ソウルメイト
東京で大学生をしていた頃「あなた、ニューヨークに知り合いも友達もいないなんてどうかしているわ?私が紹介してあげるよ!」と友人に言われた。
その友人はドイツに住んでおり、グローバルに活躍していたこともあり、私の将来を心配してくれたのであろう。
後日、友人はすごい勢いで「ニューヨークの人と繋いであげる!先方に話はしてあるから!1週間くらい泊めてくれるらしいわ」という連絡をくれた。
私の知らないところで、ずいぶん話が進んでいた。笑
まだ、顔も名前も知らないのに、1週間も泊めてくれるのか・・・。人類皆兄弟という感覚なのかなと思い、この話に乗っかることにした。
たまたまシカゴに用事があり渡米したついでに、ニューヨークに立ち寄ることにした。友人が繋いでくれた人に連絡をすると、まさかの!男性であった。
男性って聞いてないよー!!と驚くも、パートナーと暮らしていることを知りホッと一安心。
教えてもらった住所を訪ね、ドアのベルを鳴らそうとしたその時、そこに現れたのが、彼のパートナーであった。
「やっぱり、早く来てよかったー!普段、この時間は私たちは家にいないんだけれど、あなたが早めに到着するんじゃないかって直感があって急いで帰ってきたの!」
彼女はとってもキュートな人だった。
初対面であるにもかかわらず「一応、彼から聞いているんだけど、詳しいことは知らないの。とりあえず、ウェルカム!!」と快く家に迎え入れてくれた。
そして、手際よく育てているハーブを摘みオリジナルカクテルを作り「これ、お気に入りなの」と振舞ってくれた。
出会って5分程で酒を振舞ってくれる彼女の在り方が、なんだかとっても素敵で私は一瞬で彼女のファンになった。ミントやセージの香りの効いた爽やかなカクテルの味が身体に染みわたっていくのを感じた。
その後、彼女の部屋でシカゴであった出来事やお互いの話など何時間も話した。
不思議なことに、私たちは波長がぴったり合い、信じられないほど話が通じた。家族のこと、兄弟のこと、パートナーのことなど、驚くほど境遇やパターンが似ていた。
そんな彼女とは、それ以来大の仲良しで今でも毎年欠かさず会っている。どんなに離れていても、お互いのことが何となくわかる。ソウルメイトって、こういう感じなんだろうなと思う。
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