見出し画像

その時は呆気なく


安らかに……。









10月30日、
次の日のハロウィンのため、かぼちゃのタルトを作っていた。
31日は、おばけのお面を被って
きゃりーぱみゅぱみゅのHappyHalloweenをポケカラで歌おうと決めていた。







31日の朝、
姪っ子からメールがきていた。

「じいじが病院行った。脳梗塞っぽい」

搬送されたらしい。
3度目の脳梗塞になる。
病院を聞いてすぐ向かうことにした。
姉に連絡すると、
急がなくても大丈夫だけど来てくれると助かる。と



姉は朝が早い。
父が普段とは違うイビキをかいていたので、異変を感じ声をかけたが応答がなく、
呼吸困難のようになっていたとのこと。
救急車に乗せるとすぐに呼吸器装着。既に自発的な呼吸はできていなかったとの事。




昼過ぎに病院に着くと、先に弟と7才の息子が到着していた。


廊下のソファーで座っていると看護師が来て、
面会は1人5分、1回だけになります。と言われた。
まだ7才の甥っ子は入れないと。。

ICUではなかったけれど、実質そんなようなところだ。

扉が開いて、奥の部屋まで通された。

父の意識は無い。
管だらけになっていた。

「お父さーん!聞こえる?来たよ、カオリだよー!」

大きめの声で姉と2人、話しかける。無反応の父。


あっという間の5分…、

次は弟と姉。
姉は2回許された。

あっという間に戻ってきた弟。



看護師がやってきて言われた。

「血圧は少しずつ下がっています。もし他に会わせたい方がいたら連絡しておいて下さい。おそらく今日か、明日になると思いますので」






えっ、


え?

どういうこと?



また1週間2週間くらい入院になると思ってた。

でも話を聞くと、出血した場所が、脳の中心部分の1番大事な場所で
(脳幹出血)、出血の量も多く、もう何もできないという話だった。


姉はすぐに叔父である父の弟2人に連絡。
すぐに来れると。

父方の親戚はもうあまりいないので、地方にいるいとこや以前の仕事関係者への報告は後でということにして、私たちは一旦実家へ戻り、そこで待機することになった。


兄弟3人と甥っ子。
早めの就寝。
いつ連絡がくるかわからない。



9時に就寝して、10時に姉の携帯が鳴った。



既に爆睡していた甥っ子を抱え、弟の車で病院へ。




45分後に到着。

まず私と姉から病室に入った。

まだ研修医?と思えるくらいの若い女医さん。
たどたどしく説明を始めた。
すると、
「心臓はすでに停止しており、自発的に呼吸はできていないので人工呼吸器での呼吸をさせている状態です。只今から呼吸器を外させていただきます」




え?

心臓停止?
さらっと流されたので、聞いてみた。

「心臓止まったのはいつですか?」

彼女は答えず、横にいた男性看護師?の方を向いた。

男性「ご連絡したのが10時でした。心臓が停止したのは10時12分になります」




連絡があってまもなく、もう父は亡くなっていたのだ。

真っ白い顔をした父。。。

間に合わなかったね…







姪っ子は仕事で間に合わなかった。



あっという間だった。


ここで悲しんでいる暇はなく、
すぐに叔父に連絡。
葬儀はどうするか。。

亡くなるとすぐに病院側から葬儀屋を紹介される。

家の近くの家族葬ホールの会員になっていた姉は、連絡してそちらでお願いすることになった。






深夜11時過ぎの病院の廊下のソファー、
スヤスヤ寝ている甥っ子の横で、葬儀をどうするか、お坊さんは…、戒名は…、全部でいくらか?


とにかく大至急やることが沢山ある。

そんな話をしていた時に、葬儀屋さんが到着した。

霊安室に寝かされていた父は葬儀屋の車で運ばれていった。
私たちは実家へ。





翌日11月1日、
弟と姉は葬儀屋へ打ち合わせに。
私は発作の前触れが続いていたので留守番。



帰ってきた姉から葬儀の内容を聞いた。
告別式はやらない。
身内のみの家族葬にして、お坊さんもなし、戒名もなし。
祭壇の花はこちらで準備、活けることになった。


11月3日、身内のみの家族葬で決定







翌日2日も実家に泊まることになった。

葬儀は11時からだけど、その前に祭壇の花を活けておかなきゃいけないので、3日は早めに家を出て、姉、姪、私、弟の嫁の4人で花を活けることになった。

花屋で働いていたことがある姪が前々日にオアシスと花を注文しており、花は葬儀屋に届くようになっていた。

上👆🏻の写真にある花がみんなでいけた花です。


弟家族も前日の夜から泊まりに来ていた。


3日、慌ただしい1日の始まりです。






葬儀屋にいた父。

病院では髪はボサボサで、髭も伸びていて口は開いたまま、横を向いていたけれど、全てが綺麗になってちゃんと正面を向いていた。
服装もお願いしていたスーツを着せていただいて、、
感謝です。




元々歌が職業だった父なので、昔作っていた父のCDを流していただいて…。

お花も無事、開始時間前に終わり、慎ましやかに、こじんまりと家族葬は執り行われた。






いろんな病気を乗り越えて、認知症になり、歩くことすらしなくなった87歳の父でしたが、
骨になった父は頭蓋骨も半分残っていて、下顎も上顎も残り、股関節は両足ともそのままの形で残っていた。

そのため骨壷に入らなくて、
「入らないので砕かせて頂きます」と。。

ガリガリ…ガリガリ……








お別れだ。







大好きな自分の家で亡くなったこと、
寝ている時に脳幹出血を起こしたと思われ、さほど苦しまずに済んだのではないかと思われ、
それはよかったなと感じています。







もういない父。




帰る時は必ず父の好きな甘いものを買って帰ってた。喜ぶ顔が見たくて。

次は船橋屋の葛餅とあんみつを買って行こうと考えていた。




もう、その必要もない。




父の日に鰻を送ることもない。




父の座椅子も処分され、
和室に敷きっぱなしだった布団ももう無い。





母上、

父がそちらへ逝きましたよ。







寂しくなります。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?