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天使の分け前ふたたび:グレイトフル・デッド"From The Mars Hotel: The Angel's Share"

グレイトフル・デッドの50周年記念天使の分け前シリーズの、Wake of the Flood篇については何回にも分けて詳細に書いたにもかかわらず、まだ完了していないのに、もうつぎのFrom The Mars Hotel篇がリリースされてしまった。


エンジェルズ・シェア、天使の取り分とは、保存しているあいだに蒸発してしまった酒のことを云う。このエンジェルズ・シェア・シリーズ共通の枠組のデザインは、酒瓶のラベルのつもりではないかと思う。酒を樽に仕込んだ年の気分で、オリジナル盤の発表年がスタンプしてあるのだろう。


元盤のリリースは1974年、たしかに半世紀たったのだが、それにしても、あまりと云えばあまりな光陰矢の如し、「♪あれから50年」じゃあ、ただのジジイとババア、歌にもならない! ただただ落莫果てしなし。


From the Mars HotelのLPバック・カヴァー


しかし、今回は、これまでの三つとは異なり、トラック数にしてわずか16、CD一枚にすっぽり収まりそうなプレイング・タイムだし、とりたてて疑問に思うこともなく、あっさり聴けたので、あっさり書く。

◎愚者の船に乗って

今回の天使の分け前でいちばん耳を引っ張られたのは、後年、デッドのレパートリーの中心になった、Scarlet BegoniasやU.S. Bluesではなく、意外にもShip of Foolsだった。


ヒエロニムス・ボス「愚者の船」


Ship of Foolsはトラッキング・セッションのテイク7と別ミックスが収録されているのだが、そのテイク7は、ヴォーカルがないのでベースの動きがよくわかり、そういえば、これのコードは昔気になったんだよなと、よせばいいのにギターを引っ張り出した。

変なコードがあるのだ。変だ、と感じるのだから、メイジャー、セヴンス、マイナー、メイジャー・セヴンス、オーグメント、sus4(サスペンディッド・フォース)などではない。だとしたら、当然、面倒な代物に決まっている。案の定、ちょっと手古摺った。上記に入っていないものの代表はディミニシュ、これが正解だった。


Ship of FoolsのTシャツ。デッド版愚者の船は一隻ではなく、船団である。船首飾りの薔薇の冠をかけた女神骸骨で風を切って、大挙してやってくるのであった。


ヴァース冒頭は、Bb、F、Ebと至極ノーマルに動くのだが、このEbのつぎがEディミニシュだったのだ。いやEディミニシュ・セヴンスか。そういう曲調ではないから気づかなかったが、ボサ・ノヴァ的、トム・ジョビン的進行だ。EbのかわりにBb6で、Bb6→Eディミニシュ・セヴンスという進行だったら、もう完璧にボサ・ノヴァ。

まさか、ガルシアがボサ・ノヴァ・コードを使うとは思っていなかった。コピーしてみるものだなあ、であった。まあ、そもそも半世紀前にやっておけよ、だが。

「まだまだ続く文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share」で取り上げたWake of the Flood収録のEyes of the Worldについても同じことを書いたが、やはり、この時期、ガルシアはソングライターとしてのピークにあり、諸所でクレヴァーなコード・チェンジを見せている。


「愚者の船」というのは、もともとプラトンが「国家」で、無知なる者たちによる統治の寓意として持ち出したものだとか。たしかに、現代日本の政治も愚者の船そのものだねえ。


◎レッシュの繊細なプレイ

1970年代前半のデッドは絶好調で、タイムの悪いミッキー・ハートが抜けて、ドラムがタイムのいいビル・クルツマンひとりになったおかげで、フィル・レッシュのベースとのコンビネーションによるグルーヴが素晴らしくなり、それが彼らの大きな魅力になった。


ビル・クルツマンとフィル・レッシュ。レッシュはギルドのベースなので73年撮影か。


Ship of Foolsは遅めのゆったりした曲で、グルーヴがどうのというタイプではないが、ヴォーカルなしだと、ピアニシモも使ったレッシュのラインが隅々まで聴こえるようになり、きわめて繊細なプレイをしていることが明確にわかった。

また、ヴァースに入った直後の"Strangest I can find"のあとのコード・プレイなど、いかにもレッシュらしい。彼しか使わなかったフレーズ、ベースというより、ギターがやりそうなプレイで、一聴、アハハ、フィル・レッシュここにあり! とニコニコしてしまう。


アレンビックによる最初のカスタム・ベースだろうと思う。70年代なかばの撮影だろう。


遅めの曲の中では、このShip of Foolsはフィル・レッシュのベース・プレイの代表作だと確認した。

◎ジャック・キャサディーとフィル・レッシュ

十代のころ、あらゆるベース・プレイヤーの中でフィル・レッシュがいちばん好きだった。タイムが正確で、ハイ・ポジションを多用したメロディックなラインづくりに心を奪われた。

レッシュ自身はかつて、最高のベース・プレイヤーとしてジェファーソン・エアプレインのジャック・キャサディーをあげていた。たしかに、キャサディーの影響は感じるが、あちらが重めのサウンドなのに対し、レッシュはキャサディー的プレイから出発して、しだいに軽いサウンドを追求するようになり、異なった方向に進む。


ジェファーソン・エアプレインの最初のライヴ盤Bless Its Pointed Head。酒瓶を抱えてつぶれているのはジャック・キャサディーその人。この盤のキャサディーのベースはバリバリ云っていて、子供のわたしをノックアウトした。のちに、レッシュがキャサディーのファンだと云っているのを読んだ時も、この盤を思いだし、たしかにすごいよなと同感した。


それが顕著になったのが73年のWake of the Floodであり、そして翌年のこのFrom the Mars Hotelだった。Wake of the Floodではまだアレンビックが改造したギルドを使っていたとのことだが、このFrom the Mars Hotelからは、アレンビック製フル・カスタム・ベースを使いはじめたのではないだろうか。いよいよ軽く、いよいよメロディックになっている。


ジャック・キャサディーとギルド・スターファイア。かなり改造してあるように見える。フィル・レッシュが一時期、アレンビックが改造したギルドを弾いていたのはキャサディーの影響か。


◎録音スタイルの変化

ほかの曲でもあることなのだが、とくにShip of Foolsでは、何度もはっぴいえんどを幻聴した。あの時代の細野晴臣のベース・プレイにもっとも近いのは、モビー・グレイプのボブ・モズリー(*註1)だと思うが、フィル・レッシュもかなり似ている。

デッドのFriend of the Devil(*註2)にインスパイアされて「暗闇坂むささび変化」を書いた人だ、デッド、レッシュもかなり聴いたのだろう。いや、まあ、フィル・レッシュも、細野晴臣も、ともにジャック・キャサディーを好んだので、結果的に似ただけ、という可能性もなきにしもあらずだが。


だいぶお年を召したジャック・キャサディーとフィル・レッシュ。この6弦ベースはレッシュのもの。近年のキャサディーはエピフォンの自身のシグネチャー・モデルを弾くことが多いようだ。


*註1 仮にキーがCだとすると、Cから4弦の開放に下がってE-F-F#-Gと半音ずつ上げていく、細野晴臣がはっぴいえんど時代に何度か使ったフレーズは、モズリーによる先例がある。また、キャロル・ケイも使っていたと思う。
*註2 Friend of the Devilについては「続々々・文字盤上の天使の分け前 Grateful Dead - Wake of the Flood: Angel's Share」でふれた。

去年のWake of the Flood: Angel's Shareでは、セッション抜粋ないしはアウトテイクが大量に収録されたが、今回はそれほど多くなく、セッション×1および別ミックス×1というパターンが多い。



まあ、エンジェルズ・シェア・シリーズの過去の三種は、Workingman's Dead、American Beauty、Wake of the Floodという三役揃い踏み、デッドの代表作であるばかりでなく、アメリカ音楽史に重要な位置を占める盤ばかりなのに対し、From the Mars Hotelは「悪くないアルバム」にすぎないので、妥当な編集かもしれない。

おかげでいつもはあまり気を入れない別ミックスをまじめに聴いたが、もともとにじみのないスッキリしたサウンドだったのが、さらに端正になり、どれも楽しめた。とくにフィル・レッシュのUnbroken Chain別ミックスは、リリース・ミックスとかなり異なる音で、キース・ゴドショーのピアノのオブリガートが綺麗に響き、こちらのほうがいいと感じた。

と、ここまで書いて、はたと気づいた。Wake of the Floodのエンジェルズ・シェアを聴いた時は、トラックとヴォーカルが分離録音されておらず、一発録りだったのに驚いたのだ。それが翌年のFrom the Mars Hotelでは、トラックとヴォーカルが分離されている!



今回は謎がなかったなどと書いたが、やっぱり、あるじゃないか。いや、考え込むと、また終わらなくなるから、この小さな疑問、「なぜ録音スタイルを変えたのか?」は、いずれ自然にわかるだろう、ということにしておく。


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