第49話  エピローグ

 音楽祭の一週間後に売り出された週刊誌に、諸星の事がスクープという形で露出した。音楽活動を本格的に始め、デビュー間近だとの記事である。静かなささやかな記事で終わるはずだった。だが、ゆみこプロの初動は早かった。週刊誌が発売された三日後、いつの間に隠し撮りされていたのか、デビューシングルと写真集が電撃的に発売される。それはアイツが元ヤンキーであることを強く匂わせる、異色の写真集であった。

 その内容は週刊誌に続報としてスクープされる。諸星のなんちゃってヤンキー列伝の裏付けとなる内容が、面白おかしく誇張されていたのだ。また、その写真集には、アイツが俺達とバンド活動を行う姿も大々的に載っており、織姫と朔耶が特に露出されていたことは言うまでもない。連日、見えざる巨大な力で意図的に露出された諸星の姿がメディアに上り、世間の興味がそんな諸星と一緒にバンド活動を行っていた美少女二人にも注目し始めたとき、SAKIがラジオで漏らした一言が激震となる。

 『歌手デビュー前に組んでいたバンド仲間である諸星由美子の娘と自分の子供たちがユニットを組んでデビューする』と。

 SAKIは経歴不詳を売りにしており、自宅を持たないことで有名だった。しかも、私生活は荒れに荒れていることになっている。実情はその説明で正しいのだが、世間はそう見なかった。SAKIが平和な家庭を持っており、しかも大きな子供までいたこと。不倶戴天の敵であったはずの諸星由美子との間に和解が成立しているらしいこと。そして、和解の証拠に自分の子供が由美子の娘と共にデビューする事に同意しており、SAKI本人もそれを応援しているらしいこと。その全てが世間には初耳だったのだ。今や、あらゆるメディアが騒ぎ立てていた。

 そう。夏休みを前に俺達は、続けざまに発売された諸星の二冊目の写真集と共に、グループとしてメジャーに売り出されたのだ。仕事はイメージの良いものは全てこなすようにした。結果として、『バンド』と言うよりも、むしろ『芸能人になりたい』と言っていた朔耶の希望に添う『アイドル』に近い扱いだったと言えよう。俺達の息が長く続くように配慮した、由美子さんのアドバイスを受け入れた形だった。
 そうして、瞬く間に夏も過ぎて行き、季節は巡る。目まぐるしい日々が続いていたが、毎日が本当に輝いていた。そして今日。優しいピアノの音色が風に乗って聞こえて来そうな透き通る秋晴れの下で、俺達の音楽を聴きたいと言ってくれた人がいた事を俺は思い出していた。

◇ ◇ ◇

 リョウ兄の運転が荒かったのは転職する前の楽器店勤務時代の話だ。今では警視庁から表彰されてもおかしくないほどの安全運転の毎日だった。リョウ兄が由美子さんの手で強引に引き抜かれ、この特注の大型車の運転を任されたときに厳命されたらしい。

『今月のニューシングル、オリコン一位はこの夏、彗星の如く現れた期待の新鋭、世界的シンガーソングライタ―諸星由美子の一人娘こと諸星カナミの率いる……』

「おーい、ガキ共、遠足は帰るまでが遠足だからな? ああ、今日はオヤツ禁止。ここのイベントの後、料理番組の収録だ。ホテルの会場で何が出ても食うんじゃないぞ? 判ったな? 特にサクヤ!」

 リョウ兄の当然の指摘にも関わらず、朔耶が不満の声をあげた。

「どうしてあたしだけ!? リョウさん、それ酷くない!?」
「バカ。オリヒメはいくら食っても底なしだろうが。でもサクヤ、お前は『もういらない』ってギブアップするだろ? スタジオでそれはマズイ。オリヒメはどうせ止めても食うし……って!? オリヒメ! スナック菓子は禁止だって言われているだろうが! 誰だコイツにエサを与えた奴は!?」
「んご……うごご、んごごふご? うごふご! ふごーーー!?」

 我が愛する妹君は……頬張っていた物を急いで飲み込もうとしたらしい。喉に詰まらせたようだ。……もう何も言うまい。自称国民的アイドルが聞いて呆れる。

「『うるせーよ、もうちょっと待てって!』」

 本来ならば織姫の監督と介護に追われるはずの悠人は、先ほどからスマホでの電話に掛かりっきりだ。そんな中、騒々しい車内で仮眠を決め込んでいたアイツの寝惚けた声が聞こえてきた。さすがに起きたらしい。

「……おはよ。……なんだよ。まだあれから十五分しか経ってないのか。まぁいいや。なあ。そこの金髪あんちゃん。次の仕事ってなんだっけ?」
「プリンスホテルだ。小ホールで一曲引いてくれ、って依頼だ。それとカナミ。いい加減、金髪あんちゃんは止めろ」

 リョウ兄はドスの利いた、精一杯低い声を出している。

「じゃあ、黒クマ兄ちゃんで良いか?」

 だが、効果があったとは思えない。相変わらず容赦なく、アイツは非情だったのだ。

「金髪あんちゃんでお願いします。カナミお嬢様」

 リョウ兄の悲しい声を聴くのも久しぶりだった。ちょっと感動したかもしれない。

「でさ。どこの金持ちだよ。月間ヒットチャート一位をアポ無しで呼びつけるなんて」

 アイツは大きなアクビを噛み殺す。

「ああもう! ファンが聴いたら幻滅するぞ!?」
「はいはい。わかったよ。気をつければ良いんだろ? 仕方ないよな。うん、仕方ない」

 アイツの止めの台詞に、ついにリョウ兄も言葉を失ったようだ。

「『必ず行くって! もうそっち向かってるよ! って、たった今ホテル着いた。あ? なんだって!? 良いから間を持たせろ! とにかく場を繋いでいてくれ。切るぞ!?』……聞いたよな充彦! 降りたらダッシュだ!」
「ああ。電話の対応ありがとな、悠人」
「今さら何を言っているんだか。こんな事、気にするなよ」

 車が音もなく停止した。さすがリョウ兄。今日も運転は完璧だった。俺は寝惚け眼を擦るアイツを促すと、既に先頭に立って駆けだしていた。負けじと織姫が無意味に追いすがる。悠人は遅れる朔耶の手を取ってくれているようだった。

 俺をあっさりと抜き去って一番乗りを決めたはずのアイツが、入り口のホールで立ち尽くしていた。

「なんだよこのホテル。本当にこんな所で? 結婚式の披露宴なのか? 誰のだよ」
「カナミ、良いから急ぐ急ぐ! もう、あたし先に行っちゃうからね!?」
「そうだよ諸星。良いからお前も階段を走れ! 時間が押しているんだって!」
「わかったから、お前いい加減黙れよ、ウザイぞ委員長。それに遅れてるのはサクヤじゃないか」

 お前はバカなのか。アイツはまだ寝惚けているに違いない。ホールで騒いでいないで、お前も早く先を急げってば。

「お前が寝言を言ってる間に朔耶はもうとっくに階段を登って行ったよ」
「えー!? エレベーターを待とうよ!」

 アイツの上を行くバカがいた。エレベーターの前で動かない織姫に言うのは無駄としても、全くお前らと来たら……。どうして肝心なときにバカをやるんだよ!

「織姫ちゃん、なに言ってるんだよ……充彦。お前リーダーなんだろ? どうにかしろよ」
「良いから急げよ!? お前ら!」

 仲が良すぎだ。疲れることこの上ない。俺が総白髪になる日も、そう遠くないに違いない。

◇ ◇ ◇

「お呼びによりサクヤちゃん参上! ぎゃはは、今日のスポンサーは君!? ステージの用意はOK?」
「オヨ? おおー! 凄い、凄いよ、お兄ちゃん! 結構人いるじゃん?」
「こら、朔耶、織姫! 勝手に出て行くな! 段取りがあるんだよ!」
「充彦くん、ちょ、首引っ張らないで……イタイ、イタイ! あたたた……」

 打ち合わせをぶち壊す朔耶の首根っこを捕まえ、控え室に押し込んだ。倒れ込んだ朔耶が足下でゼェゼェ言っているようだが気にしないことにする。いつものことなのだ。もう一人の問題児である織姫も当然のように連行済みだ。全く、今も昔も世話の焼ける奴らである。

「え? 今の連中……って?」
「こんな安っぽい披露宴に?」
「冗談だろ? 本当に来た……!」
「あ、あれ諸星カナミに似てなかった?……!? 本物!? ウソ!」

 会場から、遠慮の無い声が次々と聞こえてくる。どんな声が聞こえてこようと仕事は仕事。でも、本当は仕事じゃない。それはアイツには秘密だった。

「じゃ、諸星。行くぞ? 全力でいけよ? 手抜きなんてしたら許さないからな?」
「誰に言っているんだ委員長。お前、寝惚けているのか? 私が信じられないのかよ」

 腕組みして怒りだしたアイツ。いつもはここで宥めるのだけれど、今日の俺は引くわけにはいかない。それにお前に言われたくもない。

「一生かけてお前とバカをすることに決めたんだ。当然信じているに決まってるだろ?」

 アイツの顔から表情が消える。怒りはあっさりと解けたみたいだった。でも、顔はさらに赤くなってしまったかもしれない。

 小さめのステージ。ささやかな安っぽい雛壇だ。でも、そこに立ったアイツの顔は実に見物だった。

「未春先生、遅くなってごめん! 約束どおり、諸星を連れてきた!」

 未春先生のウェディングドレス。もの凄く綺麗だったんだ。でも、今はその未春先生より美人なコを俺は知っている。当然だ。今も俺の隣にいるのだから。

「え? ……え? 渡月君……? 諸星さん……? 貴方たち……なの?」
「ちょ、委員長、なんだよこれ。どうして皆が……先生が居るんだよ……?」

 二人とも、見ているのが可哀想なくらいに狼狽えていた。目を丸くしている未春先生。滅多に目にすることのない、恥ずかしそうに顔を赤くした落ち着きのないアイツ。そして逃げ場を探し求めキョロキョロするアイツの姿は実に見物だった。こんな二人を見ることが出来たというだけでも、この場を企画をした意味があったと言える。先生にもアイツにも秘密にしていたイベント。昔の同級生から連絡を貰ったその時から計画し、関係者に頼み込んで無理矢理予定を空けさせネジ込んだ大事な仕事……いや、決してキャンセルできない私用だった。

「あー、委員長、お疲れー。やっと来てくれた。出し物を繋ぐの疲れた。ほら、バトンタッチな」
「いいんちょー。曲マダー!?」
「そうだよ、早く聞かせろよ! 俺は学校サボって来たんだぞ!?」
「俺なんて五人目の従兄弟に旅立って貰ったよ! 明日上司に怒られるだろうなぁ」

 懐かしいクラスメイトの顔がある。中学時代と変わりない笑顔が見えた。

「今着いたんだ。ちょっとぐらい休ませてくれてもいだろ!? でも、集まったのお前らだけかよ。あれだけ世話になった未春先生の結婚式だというのに、俺達の同期連中も冷たいよな。まぁ、良いけど。じゃあ、皆聞いてくれ。ちなみにこの曲のCDはまだ収録してないから! お宝だからな!? この結婚式の録画はプレミア物だぞ!? そこの所忘れるなよ!?」
「ウザイぞ、いいんちょー。はやくやれー!」
「そーだー! 早くあの曲やってくれよ! ギター聴かせろ!」

 せっかくの極秘情報を教えてやったというのに。旧交を温める余裕すらもくれないのかよ。でも、別に良いか。

 ん? 突然、腕を引っ張られた。アイツの仕業だった。アイツは我慢の限界らしく、細い指で俺の袖をつまんでいた。

「渡月……。テメエ、後でブッコロス」

 アイツはいつものように容赦なく俺を睨見つけていた。……そう。俺も悠人も、他の誰もがアイツに一言もこの仕事について話していなかったのだ。

「貴方たち……渡月君、諸星さん……ありが……とう。先生、とても、とても嬉しいの」

 でも。俺は思った。アイツも未春先生も、涙を浮かべて言う台詞じゃないよな。

「あー、諸星。充彦も。そろそろ始めて良いか?」

 悠人にベースを渡された。

「良いんじゃない? お兄ちゃん達なんて、音が鳴り出したら勝手に身体が動く人種だし? はい。カナミちゃん、コレ」

 織姫がアイツにギターを手渡した。

「よーし! カナミ! 君がしくじったら罰ゲームなんだからね!」
「うるせぇぞ、サクヤ! お前じゃないんだ、私は大丈夫に決まってるだろ!」
「どうだか。目をウルウルさせながら何カッコつけてんの。じゃ、朔耶ちゃんカウントしちゃいまーす! 始めちゃうから勝手に入ってね!? 1・2・3・4!」

 今日もあの曲が紡がれる。今、俺達の曲が始まる。未春先生が笑っていた。その笑顔こそ、いつの日か俺が手に入れたいと恋い焦がれていた極上の微笑みに違いなかった。

 祝福の鐘は俺達が鳴らす。俺達の曲が皆を包み込む。この演奏はここで終わる。だが俺は信じる事が出来た。俺達の曲は、皆の記憶の中できっと繰り返す。そして、そのたびに新たに創られる想い出が、皆の在りし日の姿を何度でも染め直していくに違いない。

   END

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