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80歳の母と過ごした72時間

80歳の母を訪ねて山梨へ。

ぼくが18歳まで育った「実家」は千葉のマンション。

いろいろあって父が家族を捨てて?山梨で暮らし始めた。途中から母も合流して、父が亡くなった後は母が兄が住む千葉のマンションと山梨とで二拠点生活をしている。

母と会うのは2年ぶりくらいか?

何度かプロレスや旅行で千葉に行ったタイミングを使って会おうと試みたが、母はワクチンを接種しない分感染を非常に恐れていたため、何度も何度も断られた笑

今回母と会えたのは、コロナの5類への移行の影響もあるだろうけど、
ぼくが病気になったことも大きいと思う。

ぼくが病気になる前は、おそらくぼくは、母が会いたくなったら会える存在。
今は別にいいや、という感覚だったんじゃないかな。

でもぼくが病気で初めての入院をして、診断結果が出るまでは最悪のことも覚悟した中で、
「会える時に会っておかないと、突然会えなくなるかもしれない」という風に思うようになってきたのかな。

年に1回、互いの誕生日に電話する程度の薄ーい時期もあったけど、病気になってからはしょっちゅう母から電話がかかってくるようになった。

電話の内容が「あれを食べろ」「食べる順番が大事」といったよくある糖尿病初心者知識が中心だったことには本をたくさん読了済みのぼくはちょっと辟易したけれど。
「あなたのことが本当に心配で」と言う言葉にウソは感じなかった。

それだけ心配をかけてしまっているのだろう。

ぼくが無職になってヒマになったこともあって、今回3泊4日の滞在をすることになった。仕事無いんだからもっといろ!と言われたけど、ぼくにもライブやら人と会う予定とかあるから!笑

久しぶりの再会で思ったのは、母は80歳だけど信じられないくらい元気。

ぼくは母の元気に甘えて、ほとんどの時間をコタツでぬくぬくしながら過ごしているから、太って帰ることになるかもしれない。

お世話されてるだけで喜ばれて親孝行になるなんて、なんだかネコみたいだなぁ、と思った。

本の虫で、作家を目指したけれど夢は叶わなかった父。
出版社を転々としていく中で、最後に勤めたのがパソコン(当時はマイコンって言ってたな)の雑誌を創刊する会社。

そのおかげでぼくの家にも、当時高額だったシャープやNECのパソコンがやってきて、小学生だったぼくはコンピュータから感じられる「未来」に夢中になって、ゲームをするだけでなく、やがて自分でかんたんなゲームを作ったりプログラミングを始めた。

それはその後のぼくの頭脳の発達や進学、そして仕事選びにとても大きな影響を与えたと思う。

父はパソコン雑誌の前は釣り雑誌の編集をしていたので、タイミング次第では、ぼくは釣りキチの野生児になってたかもしれない。

そんな本の虫の父が遺したのは、大量の書籍。

ぼくが中学生の頃夢中になった指輪物語もあった。
数十年後にあんな風に映画化されて多くの人に愛されるなんて思いもしなかった。

追補編って何だ?読んでないぞ!?

いやー、懐かしい。

父が亡くなった後、母は父の遺した蔵書から面白そうなものを読んで、そこに残されたメモ書きを発見して故人を偲んだりして過ごしているようだ。

何日か過ごしてみて、ここでの暮らしへの問題や不満はいくつでも挙げられる。

何よりスキマ風で寒さが堪える。

ぼくの滞在した部屋にはエアコンが無いので(あってもたぶん無意味)、石油ストーブ2台とコタツ、寝る時は電気毛布で凌いだ。
ストーブをつけないと室内なのに吐く息は白い。
冬はお風呂にお湯を溜めてもすぐに冷めるから浸かることができない。

そして、ネット回線が未契約!

すべてスマホからテザリングしているからどんどんギガが減っていく、、だけでなくそもそものスマホのdocomoの電波が弱くてとてもストレスで、血糖値上がるかと思った!笑

徒歩3分くらいにコンビニがあるのはとてもいいけど、駅前でもお店は少なくスーパーも一つだけ。

何をするにも選択肢は少ない。

普段のぼくの生活にあって、ここに無いものはたくさんある。

コタツを一緒に喜んでくれるだろう愛猫もいない。

プロレスや音楽を観ている大画面テレビもスピーカーも無いし、最近再開してるギターもベースも無い。

ぼくが通うジムも無いからトレーニングもできないし、体重や体脂肪も測れない笑

あとは、母は枕不要派らしく、枕も無い。
タオルを巻いた即席枕では安眠できなかったのが実は一番困ったことかもしれない。。

それでも、この3泊4日:およそ72時間はとても快適で、まだまだいたいなーと思うほどだった。

電波が弱い分、ぼくはネットを余り見ずに、kindleにダウンロードしてある書籍の読書に時間を費やせた。

気持ちの良いカフェも何とか探し出して

ソイラテ
川を見下ろすカフェ

Wi-Fiありますか?とお願いして、
途中から未読だった呪術廻戦をまとめてダウンロードしたよ


母の作ってくれる料理は、実家を出てから何十年経った今でも口に合う。

いろいろ学んだ今だからわかるけど、母はとても体に良い食べ物を中心に摂っている。

たくさんのものを少しずつ

きっとそれが80歳で何の病気にもかかってないくらい元気な秘訣なんだろうなぁ(コレステロールだけは高いって言ってたけど)。

お風呂に入れない分、市のスポーツプラザへ行ってサウナと入浴を楽しんだ。体重も測れてあまり増えてなくて安心(トイレが和式で閉口もした)。

近くには川が流れていて、川辺を歩くと冬の時期ですらとても気持ちが良かった。

そして、母は母で自分の時間を読書やテレビ、友達との長電話などで楽しく過ごしているため、食事の時以外はほぼ干渉されず放置してくれたのも、ぼくにはとても快適だった。

おかげで1人で気兼ねなくマンガを読んだりnoteを書いたりして没頭することができた。

没頭できたのは、築50年を超えるこの古い戸建ての広さもあるだろう。1000万円で買ったんだって!

広さでいろんなことが解決できるんだな、は発見だった。

庭もある。
近所の猫が朝晩やってきて母に餌をねだっていた。

ねだる時は可愛い声のドラ猫

そして感じたのは、母がぼくのことをすごく褒めてくれること。

ぼくに父の影を見ているのかもしれない。
「(病気)前より痩せてかっこいい」
「髪型もいい感じ」
「帽子も似合うんじゃないか?」

無職になって下がり気味なぼくの自己肯定感はとてもアップした!
褒められるっていいね。ぼくももっと人を褒めよう。

また来たいな、と思った。
母がイヤじゃないなら飽きられるまで、何なら毎月でも。

そのうち母も、ただダラダラする無職のぼくにイライラし始めてこの蜜月関係は破綻するかもしれないけど笑

次回はジャージも持ってきて、ジムの代わりにスポーツセンターでトレーニングもしよう、とか
春や秋ならもっと気持ちいいだろうな、とか
夏には鮎釣りもできるんだな、とか。
docomoじゃない容量無制限のモバイルルーターを契約しようかな、とか
ぼく用の枕や寝巻きをここに送りつけよう、とか。

たくさん夢が膨らんで楽しみになった。

この山梨の家に「移住」を考えると、どうしてもここでは満たせないもの、今の生活から失うもののことを考えて躊躇してしまうけれど、逆に今の家だけでは手に入らないものもここにはあるから、母に倣ってぼくも二拠点生活を始めてみたい。

そして、あとどのくらい残っているかわからない母との時間を過ごしていければ。

母が元気に動けるうちに、行きたいと言ってた高尾山にもチャレンジしたい。

病気以来何度も「順番だけは守るように」と言われたので、まずはこれ以上自分の病気を増やさないように気をつけたい。

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