白久波声(しろく・なみせい)

小説、批評を書いています。編集・装丁が食い扶持。文学フリマにて『悪人の宗教』、『無人島…

白久波声(しろく・なみせい)

小説、批評を書いています。編集・装丁が食い扶持。文学フリマにて『悪人の宗教』、『無人島の文学』を販売。

最近の記事

偏見と浪曼

 恋をするというのは相手に対して一定以上の「思い込み」を持つことに違いない。つまり〈偏見〉である。  そして偏見が許されない今日の社会は、同じように恋が禁止されている。すくなくとも私は、ここ何年かの社会の動きを見て、そう考える。  そもそもそういう「思い込み」は恋ではないと断ずる堅実なリアリストもあろうけども、周知のとおり、人は他人にどう見られているかがすべてであるし、相手の現実のところを正確に把握することなど決してない。人は色眼鏡でしか世界を見ていないし、当初の思い込みが一

    • 文体を失った批評

       論理の硬直さに抗って、それをなし崩しにしてしまうような書くこと自体の「むずがり」というものが、その意味するところを容易には人に知らせまいとする。その難渋さは重要なのだ。文体とは自分の「論」への抵抗ー批判なのである。  その難渋さが論説的文の文体として担保されない場合にこそ、文が非常に教条的に響き、書き手としてどう見られて在るかという自意識を遠ざけてしまう。まるで正しければ読むだろうという具合に。  彼には論理の継ぎ目にある欠落や、反証可能性ばかりがチラつき、論じている「私

      • 小説の四象限についての試論

        *既出「列島放棄論と小説の四象限についての試論」から一部割愛し、字句の訂正・加筆を行った (…)  文学のテロリズムとは、「文学とそれ以外」という、じっさい自明とは言い難い国境を抱えたまま、その文学にとっての「他国」から何がしかの財産を横領し、細々と〈自分が文学だと思うもの〉を続けることに留まるだろうか。たしかにいま危機を乗り越えるためのひとつの方法は、資本主義のパッケージを素直に受け取ることである。ところが、そうした結果、むしろ飢えるばかりであるのは偶然ではない。文学の

        • 猩猩

           橋を渡った鉄道が、河岸に立った高風という名の男を小さく残し、行き去ってからのことだ。  高風は献杯のために持ってきたその酒をなかなか飲まなかった。いま一陣のうちに去った鉄道の音に意識を傾けていたのは、明日になれば、またあれに乗り、働きに出ることを、控えめには心細く思ったためかもしれない。  船堀橋の夕暮れに煙波がむせぶ荒川を渡ると、南の工場地帯は航空灯の鈍い明滅を包んで茫乎と浮き上がり、影となったビルの連峰たる化け物のような東京は、川の向うに沈んでいく。深い水色の中空に、ピ

          無人島の文学

          掌編(あさっての身の廻り品/猩猩/発情イルカ大暴れ) 批評「列島放棄論と小説の四象限についての試論」 を収録。 ※2021.5.21 時間が空いたら、noteへのアップを検討します。

          悪人の宗教 第一巻

          二世紀のときを隔て ゴーゴリが中断したあの事業を再開する  ある日うっかり、致知孝夫は、御茶ノ水橋の上から身投げをしようとする男を助けてしまった。そのいきがかり上、失った五十万円の金は、娘・久子の身代であったし、どうにか回収せねば仕方ない。彼は、かねてから計画していた宗教法人設立事業を始動させる。それは死人の〈アカウント〉を利用して、大学の出版助成金を着服する詐術であったが、地下室の信者たちは「そもそも宗教ってどうやって作るの?」という具合だったから、これは前途多難にし