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感情を無駄遣いする表現をして、自分で苦しんだりしてません?

自分が自意識で焼ける様子をイメージしてみました(最悪

えー、ドキッとした人もいるかも知れません。刺激的で申し訳無さ。
でも今回はだいぶきっつい話なので、人によってはだいぶ痛いと思いますのでそのつもりで。

まあ今までにも少し触れてるんですが、表現と感情は別ですよー、というお話です。

ぶっちゃけると
感情や感覚をそのまま表現するのはやめましょう
ってことです

こう言われて
・え、感情や感覚を形にするのが表現じゃないの?
・それじゃ人間味のない冷たい表現になっちゃう!
みたいに思ってしまうところに、すげえ罠があります。

それはあくまでも筆者や作者の自分勝手な都合であって、受け手の都合ではなかったりします。

逆です。
人は他人の感情なんかそのまま直接ほしくないんですな。

まあ端的にわかりやすい事例を挙げますと、それっていわば
・上司につきあわされて酒の席で愚痴られる
・恋愛の愚痴につきあわされる
のと同じようなものでして。
うわそんな個人的な感情や感覚の話なんて重いじゃん、せめて仲のいい友人かおごってもらうなり何なりしないとやってらんねーって感じだと思います。

つまり、こういった文章や創作などで感情を込めるには相応の表現の仕方があるってことを学ばないと
【えんえんと愚痴を撒き散らして他人に読んでもらいたい、自分をわかってもらいたい、みたいな罠にハマる】
ということがあるってことです。

はっきり言っちゃうと、行き場のない感情の無駄遣いみたいなもんです。

自分ではっきり、愚痴や感情の垂れ流しだっていう意識で誰にも聞いてもらわなくていい話と思わないと、書いてる本人をも含め辛くなりやすいです。
(はっきり自覚してる場合、変な期待感を持ちにくいし客観的表現が入りやすいので、日記や愚痴からエッセイ的なモノに変化が起きやすく、読みやすくなります)

そもそも誰かと繋がりたいみたいなのがある場合が多いのに、コレは割と不幸を生んでしまうよなあと。

じゃあどういうスタンスが良いかって言われたら単純です。
自分を自分でどうやったら救えるか、どうやったらなんとか無事に過ごせるかを考える。
コレに尽きます。

共感を考えるにしろ、自分の問題や感想をあげるにしろ、一度「客観視点に放り込む」必要があります。
端的にいうなら、他人事として一度考えてみて、もし知人がこんなだったらどうすんのよ、って思ってみると結構楽になります。

一回切り離さないと、毎回、何かを表現するたびに自分を切り売りしてる感覚に陥りやすい上に、他人からすれば重いだけで、面倒見たいわけでも付き合いたいわけでもないのであまり喜ばれません。
そして発表した本人は、その事実を見て、自分はこんなことも見てもらえないのかと思う日々みたいなのがネット表現あるあるです。

で、そういう感情ってわりと前提条件でまるごとひっくり返る上に、うまく対応して表現すれば共感も生みやすいので、すげえ労力と体力と精神力をごっそり削られなくてもいい表現として、そもそもの先入観を変えると良いのではないかなーと思うのですな。

ホントはこっから先は有料にしたいぐらいなんですが、さすがにだれかが痛いのわかってるのにこんなきつい話題振っといて、有料ってのは申し訳なさすぎて今回無理でしたw

ってことで3つほど


■感情を全面的に信用しすぎないこと。
感情を感じることは自分にとって正しいんです。
だって感じちゃうんですから、自分の経験として実際に起きてしまいます。

ただ、感情は、勘違いや思い違いでも感じるんです。

例えば自分が思い違いしていたのに、相手が間違っていると思いこんでいたら、相手が悪いように思ってしまいますよね?
コレは感じた事実は正しいんですが、論理的には自分が間違っていることになります。むしろ謝らないといけないまであります。

なので、感じたことは感じるから正しい、自分と同じように感じないことは悪いことだみたいにならないように。
みんな違ってみんな良いんです。

世の中、みんなが好みやすいメロンが嫌いで食べられない人だっているので。
そういう人はマジで肩身の狭い思いするんですよう。


■感情に理屈をつけないこと

感情は短期記憶です。時間経過で薄れやすい性質があります。
永遠に愛してるよ、と言ったときの感情は20分と言われています。残念ながら永遠は20分です、いいね?_(:3」∠)_

でも、感情が何度も煮えくり返るような経験してる方も多いと思います。
それはなぜかというと、自分の感情に理屈を無理やり付け足したり、何度も何度も反芻して思い出すことで、感情を何度も再燃することがあるからです。

はっきりいいますが、感情は感じるだけです。理由なんかないです。
繰り返しますが理由なんかないです。
嘘だろうと思い込みだろうと勝手に発生するものに理由なんかないです。

最高のラーメンを食べて「うまい!」って思うこと自体に理由なんかないです。
そりゃ、料理ですから後から分析すればうまい理由はいろいろとあるかもしれませんが、全部後付けの理屈です。
「うまいって感じた」ことに、それ以上の理由なんかないのですな。

だって、何日も何も食わずに空腹で死にそうなときには、おそらくたった一杯の普通の水でも、人生で残るような感動的な味わいだと思います。

感じるから感じる。
それだけでいいと思います。

感情に理屈を付け足すと、だんだん歪んで別の概念や感情感覚に変わっていくので、感動さえも濁っていきます。
たとえば一杯のラーメンに感動して始めたはずのラーメンブログが重荷になってしまって、やがてラーメンを食べることに苦痛を感じてしまったりもするわけで。
でも、感動したラーメンの味もその時の体験も、別に変わるわけじゃないですよな?。

感情は変な理屈をつけずに、体験として泳がせたままでいいと思います。
そのうえで、たくさんいいことを感じるように探すようにしていくと良いんじゃないかと。


■わかってもらおうとせず、わかってあげること

なぜ人は作品や記事を見るのか、といえば、何かを得たいからです。
つまり、何かを表現した本人を理解したいなんてことはこれっぽっちもなくて、自分にとってプラスになることがあるかどうかだけで判断します。
そういうもんです。

そのとき、自分の中にある感情や感覚知識と照らし合わせて、共通部分や意識の隙間、知識の補完などを通じて反応します。

つまり「自分の何かをわかってほしいという目的での自己表現」は、どうしても「個人の日記的な性質」を持つのでわかってもらいにくいんですな。

そうです「わかってほしいと思うほどわかってもらいにくい」んですよ。

世の中には「普通っぽく思えるけど、こんなにも面白いことがあるんじゃないかと紹介」したり、別に解決できなくても良いので「他人の気持ちや過ごし方なんかをわかってあげるようにする」と仲間が増えやすくなります。

ただこれ、ガチに自分の感情を切り売りするようなスタンスでやると自虐的な痛みを伴うこともあるので、できれば自分から一度切り離してやるとおすすめでないかなーと思います。

コレ、逆に言えば、とにかく見る理由さえあれば見てくれるってことです。
つまり、どう表現するかによって、それは操作できるって話でもあります。

端的に例を挙げるなら
・自分が食べたラーメンに対する感情を書くのではない
・他人が食べに来るときに有用な情報や他人が食べたくなる情報に変える
って感じです。

食べ歩き日記もそれはそれで楽しいし、そういった楽しさをちゃんと書けるとエッセイになるんですが、エッセイと日記の区別が出来ない場合、バッサリと情報を分けたほうが伝わりやすいです。
(エッセイは端的に言うと他人が有効活用できるようにした日記です)

どうせ区別ができないときはそう思ってても感情とか勝手に入ったりするんで、むしろうまい具合に情報を食べさせてあげてください。
読者が食べたいのは「情報という料理」であって、「調理人である作者ではない」ので、作者を食わせようとすると、まず嫌がります。

うまくいかないときほど、他人が好きそうな情報ってどういうことなのかを調べると良いようです。


まーざっくりですが、だいたいこんな感じで。
この辺ができるようになると、うまくいかなくても「あーこの辺かー」みたいに把握しやすくなります。

なんで自分には良いのに他人はわかってくれないのか、ではなく、自分にはいいけど他人用になってないだけです。

要するに自分語りすぎると他人にはよくわからないだけなので。

それは「手法の問題」であって、自分が悪いわけでも他人や社会が悪いわけでもないので、そこで変に自分は社会に見捨てられてるとか感情がわかってもらえないって概念をなくすとおすすめです。

ひとことでバッサリ言うと、単に「表現する腕がないだけ」です。
見られないのではなく、読めるように書かれてないってことがほとんどです。
あなたの感じてることや想いが悪いわけでもなんでもないんで。

ただ、読む側にとってその情報をどう見ていいかわかりにくいだけです。

そうは言っても、慣れた考え方や感じ方をいきなり変えられるわけではないんですが、それでも「そういうものだ」と頭の片隅においておくだけでもだいぶ楽になります。

感情は嫌でも感じてしまう性質があるので、そこは最初から悪感情として感じないようにして「知らないことや上手くいかないこともネタになるかもしれない」という前提として認識することで、最初から我慢なんかしなくて良いように自分をクリエイトしていくっていう自己表現の仕方を学ぶと便利かなーって思っております。

コレを「好奇心」っていうんですけども。

結構、3年ぐらいかけると思ってたよりいろいろ変えられたりしますよ。


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でもたぶん、せっかく同じお金投げるなら、記事購入するのがおすすめではありますがw

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