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「もう恋なんてしない」が歌った平成初期の男女の関係性

はじめに

こんにちは、2000年前後のbeing作品の歌詞の解釈について書いている「品川みく」です。

今回はbeing作品から離れて、槇原敬之「もう恋なんてしない」(1992年)をご紹介します。

25年ほど前の解釈:別れからの立ち直りを描いた歌

「もう恋なんてしない」がリリースされた1992年当時、私はまだ小学校低学年。この曲が主題歌に使われたドラマも見てなければ歌詞の意味もまだよくわかりません。当時、ラジオでよく流れており、親の運転する車の中でこの曲を聴いていました。

歌詞の意味がわかるのは中学生くらいになってから。「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」という歌詞がとても面白くて、いったい歌い手は今後恋がしたいと思っているのか、それとも恋をしたくないと思っているのか、どっちなのか必死に考えたものです。すると、この曲がとてもよくできていることに気付いたのでした。

「君がいないと何にもできないわけじゃないと」から始まる歌い出しは、同棲していた彼女がいなくなってしまって一人過ごす部屋での物寂しさを描います。そこから続く、1度目の「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」は、前置きに「もし君にひとつだけ強がりを言えるのなら」とありますので、これはまだ本心ではないのです。

つまり、1番のサビの時点では「強がり」で「もう恋なんてしないなんて言わない」と言っているのだから、この時点では本心としてはまだ「もう恋なんてしたくない」と思っているわけです。

2番では歌い手が残していったものを少しずつ整理していっています。その中で、一緒に暮らしていたときは「ムダなもの」と感じていたもの一つ一つに彼女の面影を感じるだけでなく、彼女の大事にしてきたもの、彼女が自分に与えてくれたものに気づいていきま、彼女と一緒の空間に暮らしていたことが「幸せだと知った」のでした。

彼女との恋を振り返り、自分が得たものはたくさんあった。それを一緒にいたときに気づくことはできず、どのように生きていけばよいのか「答え」は出せなかったけれど、「今度出会える君の知らない誰かと見つけてみせる」と思えるようになりました。

最後のサビ「本当に本当に君が大好きだったから もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」では、すっかり歌い手は立ち直り、次の恋への希望を見出すところで曲が終わっています。

「もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対」という同じ歌詞の意味が1番とラストでガラリと変わる。歌詞を解釈することで面白さに気づき、大好きな曲になり、私のカラオケのオハコになりました。

現在の解釈:男女の役割が当たり前だった時代の関係性を描いた曲

しかし、リリースから29年経った2021年に改めてこの曲を聴いてみると、当時は疑問に思わなかったことが次々と目につくようになってきます。

まず歌い出しの「君がいないと何にもできないわけじゃないと」からして、一緒に暮らしている間の家事全般は全て彼女がやっていたことがわかります。しかも、自分で作った「あまりおいしくない朝食」につき「君が作ったのなら文句も思い切り言えたのに」と振り返るのです。家事全般をやってもらっていつつ、それがおいしくなかったら、思い切り文句言っていたのです。

1番サビの「いつもより眺めがいい左に少しとまどってるよ」は、車を運転するのは常に男性である自分で彼女が助手席(運転席から見て左)に座っているという前提知識がないと解釈が難しい歌詞です。今の10代20代はこの歌詞の意味がわからないかもしれません。

2番サビの「ムダなものに囲まれて」も、「ムダなもの」という表現も、生活の主導権はあくまで男性である自分にあって、「ムダ」か否かは自分が決めていたことをうかがわせます。

もちろん今でもこんな感じの関係性の同棲カップルもいるのでしょうが、だんだんそれは一般的なものではなくなりつつあります。現在ではより対等な関係性を作っているカップルが多いのではないでしょうか。

もちろん、だからといってこの曲の魅力が色褪せるわけではありません。私の高校時代、「『いちご白書』をもう一度」(1975年、作詞は荒井由美)という曲で昔学生闘争があったことを教えてくれた先生がいましたが、「もう恋なんてしない」も平成の初めには男女がこんな付き合い方をしていた時代があってね、と教えるときが近づいている気がしています。

おわりに

歌詞の解釈に正解はないのですが、20年聴き込んでくると、時代が変化することによりまた違って聴こえてきます。あなたはどのようにこの曲を聴いていましたでしょうか。ひとりでもふたりでもこういう話を面白いと思ってくれる人がいたら、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。