誰かの説明書:ラッキーパンチは疑う事。

 子供のころ、ばい菌を100発100中で殴り飛ばすアンパンを見て育った私。凄い飛距離だなと感心して、いつか自分もと願っていたが、24歳の自分に出来ることは、数パーセントのラッキーパンチで世の中から逃げる事しか出来ない状況。どうしたもんかという考察。
 運がいい人間だなと思う。適切な時に、適切な事をして育ったにも関わらず、大けがをしたことが無い。だいたい、近くにいた友人Aか兄が怪我をしていた。いつも自分じゃなかった。だからとてつもない守護神が自分にはついていて、四六時中私を見守ってくれているのだろう。
 ただ、たまに笑ってしまうくらいの、とてつもないくらいの反動が自分に来る事がある。私を守るためには、常に目を光らせておかないといけないから、守護神も疲れるのだろう。私は、日々感謝の気持ちを忘れないように、毎日お祈りをして寝る事にしよう。アリガトウ。
 今回、言いたいのはラッキーパンチはとても危険であるという事だ。ラッキーパンチとは何かというと、意図しない結果が運よく出てしまう事を言う。あたりまえだが、それは実力ではない。空振りしたと思ったら、ちょうどいい所に相手の顎があって、なんか脳を揺らしてしまった。
 しまったという言葉が後ろについている。しまったとはいつ使う言葉か。「あっ、家に大事な資料忘れてきたなぁ、しまったこまったしまったこまった」という場面だろう。マイナスな状態の時に使う。
 ただ、このラッキーパンチというのはかなりポジティブに捉える人間が多いような気がする。なんかうまくいって、再生回数伸びて、人気者になったぜ。というような最近よくある風景だろう。それで、何人の人間が過ちを犯したか。1発屋と呼ばれる人も、ここに入るのだろう。
 以前読んだ本に、受け皿を作っておけと書いたあった。その意味は、目標を達成するのも大事だが、目標を達成した時の自分がその報酬に耐えれない器だった場合(制御できなかった)場合、あなた爆散するかもしれませんよという意味だ。何かをネット上に上げるときは気を付けないといけない。意図しない結果が出てしまう場合が起こる確率が高いからだ。
 だから、周到な準備をしておくことが必要だ。快楽だけのものは存在しない。永久機関が作れていないのがその証拠だろう。どんな物事にも、メリットとデメリットが、両方存在する。簡単に、何かが得られるようになった時代だから、尚更気を付けないといけない。簡単に得られない方がマシだと最初から思っている方がちょうど良いのだと思う。時間がかかれば、かかった分だけ、自然に受け皿が出来る。使った時間が、その報酬を入れる為の器になるのだ。
 ラッキーパンチで相手を倒しても、自分の実力はいつまでたっても分からない。だから、確実にあのアンパンのようなパンチが打てるまで、辛抱するしかない。その過程が、自分を強くしてくれるのだろう。
 僕は、毎日文章を書いているが、これも別の目的があって書いている。ただ、書いているわけでは無い。今後やるこのに対する基礎体力を身に着ける為にやっている行為だ。たぶん、5年くらいかかると思われる。逆に、そこまで続けていれば、自分の事を少しは、認めてあげれるのだと思う。それくらいの覚悟で、じわじわと無理のない範囲で続けていこう。
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?