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母はうつ病。1 崖から落ちるように悪化した日

母がうつ病になった。
いや、うつ病になっていたのは知っていた。

2024年1月2日
突然手の震えが止まらないから救急車を呼んでいいかと言われた時にはびっくりした。が、秋頃から身体の不調を訴えていてその度に病院には行っていたので内科的な要素ではないな、と思いながら仕事を休んで救急車に乗り込んだ。うつ病が悪化したなと思った。

ここから、苦しく長い母との生活がはじまる……
とは言わせねぇよ!!!
と、思い立ち、忘れないうちにあったこと、やったこと、感じたこと、全部書いてやろうと思いました。



はじめに

簡単にわたくしの自己紹介から。
四条:30代女性・オタク・未婚・実家住まい
こう書いたらなかなかですが、仕事もあり友人にも仲間にも恵まれ、趣味があり、推しがいて、あたたかい家もあり、五体満足ヘラクレスの如き体力を有する健康な体を授かり、人生が楽しいです。
改めて羅列したらマジで楽しそうだな。

そんな脳内ハッピーマン私ですが、母のうつの悪化から約一か月経ち
『これはヤバいかもしれない』
という思いと
『うつ病になった子との接し方』みたいなのはチラホラあるが
『まあまあの歳の子がまあまあな歳のうつ病になった親とどうやって接して行くか』なんて探してもないぞ
という思いで記録がてらに自分が書いてやろうと思いました。

ここで注意点なのですが、本シリーズは自分のために書いています。
ただ、本当に自分が感じたままを記録しますので【医療行為的な参考にしない】で、皆様は皆様の主治医を信じてください。
何故ならうつ病に罹患したのは私ではなく母ですので、どう頑張っても私から見たことは他人の感じたことに過ぎません。病気の苦しみはなった本人しか分かりませんし、何が効果的だったか、私が本人から教えて欲しいぐらいです。
そして、この一連の事柄は現在進行形の四条の日常でもあります。
特定を避けるためある程度ぼやかした表現をすることがございます。
【福祉制度などは主治医と確認】してください。それぞれ状況が違いますので必ずしも一致しているとは限りませんし、誤情報に惑わされてはいけません。お困りの方は必ず主治医にご相談ください。
また、何が正解でどうすればよいのか自分でも迷っていることが多々あります。【過度な叱咤激励は不要】でございます。
私なりにうつ病や接し方を理解しようといい感じの着地点を見つけています。腑に落ちるように自己流でかみ砕いております。
自分も落ち込んでいかないように自衛していることを書いていきますが、【うつ病または精神疾患について他意はなく、間違ったイメージを植え付ける意図はない】です。
誤解なくお伝えしたいですが、あくまでも私の感じたことが主体になりますので読んでいただける方はご理解いただけると幸いです。

ではまとめましょう。
【医療行為的な参考にしない】
【福祉制度などは主治医とご確認ください】
【過度な叱咤激励は不要】
【うつ病または精神疾患について他意はなく、間違ったイメージを植え付ける意図はない】
うつ病というデリケートな題材ではございますが、目に触れる方に何かしらお届けできればと思います。

登場人物

四条:私・音楽バカ・オタク・脳内ハッピーマン
母条:母・60代・現役引退・うつ病
父条:父・60代・現役ケアマネ・いつの間にか別居(重要)
叔母条:母条姉・実家(私から見たら祖母の家)に犬と二人暮らし
お嬢:17歳とは思えない食いっぷりの叔母条の犬

2024年1月2日 母条救急車に乗る

手の震えを訴えての救急搬送だったが、結果から言うと、マジで何もなかった。医師にも「かかりつけのクリニックで薬の見直し」を勧められた。精神科のことは下手に手を出せない分野とのこと。
一旦、命に別状がないことに安心したが、ただ、昨日までの母とは別人の様だった。

ほんの2日前まで、友達と飲みに行った私を車で迎えに行くかい?とか言ってたぐらいなのに、救急で「こんなところじゃ私の病気はわからない」とごねて全てが否定的になった母を見てそれなりにショックは受けた。
でも、まぁ、うつ病だしな〜〜〜と思うことにした。しょうがない、病気だから。
何が急に悪化したのかは書いている現在でもわからない。でも、元気がなかったから、とつけたテレビから衝撃的なニュースが流れたりと、何かしら弾みはあったのかと思う。さぞかし寒いだろうと、遠い地からは祈ることと普通に生きていくことしかできない。

母条はとにかく色々なことに絶望している様に見えたので、一人にはしておけなかった。不甲斐ない話ではあるが、その時の私は母条の病状をあまり把握してなかった。放っておいて大丈夫か分からないが、もう仕事が始まってしまう。
こんな状況になっても父条は帰って来ない。
かかりつけのクリニックは正月だからあいていないので電話も出来ない。
まずいな、これどうしたらいいんだ、とそれなりにパニックになっていた気がしましたが『絶対に普通でいてやろう』と誓ったので意外と何とかしてました。
以下、一週間の間で何とかしていたこと。

・仕事中は叔母条の家で見てもらう様に手配
・日々のルーティンの再構築
・クリニックが開き次第速攻で電話→すぐに受診
・クリニックのセカンドオピニオン準備(紹介状依頼)
・かかりつけの内科受診(脳外科を紹介してもらう)
・脳外科の受診準備
・父条と協力してスケジュール調整
・母条の病状の確認
・自分のしたいことはする(重要)

自分ってシゴデキだな、って思ってました(自己肯定感爆高)

自分のしたいことはする

家事を担っていてくれた母が全てのターン行動不可のバフがかかってしまったので、働きながら全部の家事をこなすことになる。そりゃそう。加えて母条の送迎や、母条がやっていた叔母条の家のことの代打、母条が一人では不安そうなこともあり、帰宅は慌ただしく制限のある毎日。
かなり日々のルーティンが変わりました。
でも、私は……絶対自分の時間が欲しい。それが普通だと思っているし、それをしないと共倒れになると感じていました。
だから、そんなに母条に時間割かなくてもいっかな、と1月6日ぐらいには思ってました。叔母条が見ててくれるし、自害他害もなく、躁うつでもないし、滅多なことはないな!と判断。うつ病の人に振り回されないことも大事。

寂しそうな母条を叔母条に預かってもらって、週末は趣味の音楽活動を続行することにしました。というか、やめる気は一切ありませんでした。
もちろん、叔母条に協力してもらっている以上程度は変われど、叔母条の用事だって受け付けている。そこら辺は持ちつ持たれつ、ケースバイケース。
生きがいの時間を全て母条に捧げる気は毛頭ない。それを薄情と言われる筋合いはない。
私は家族が好きだからこそ、母条を支えたいからこそ、健康的に自分らしさを保ちたい。寂しいという感情は、これから母条に自分でコントロールしてもらうしかなくて、私には関係がない。家族の在り方だって、個々人で定義が違う。私は普通に過ごしたい。

普通であることって、人それぞれ定義は違うと思います。
母条は私に向かって「お母さんこんなになっちゃってあんたも可哀想」と言い、心配性の叔母条は「あんたも可哀想だよね、辛いよね」と言います。
いやぁ、そういうの結構っス。
人に可哀想と決めつけられるのがめちゃくちゃ嫌いなんだと気づきました。
家族親族かもしれないけれど、他人の物差しで私を推し量らないでいただきたい。
そもそも、確かに大変だけど別に不幸だなんて思っていない。
もっと大変な方いるかと思います。でも私は私なりに大変で、そして、恵まれている。
さっさと家事をして、ゆっくりお風呂に入ってゲームして、週末は趣味をしたい。病院とかがあれば父条と協力して、無理なら週末の休みをそこに宛てたっていい。家事が溜まれば家にいればいいし、疲れた時は休めばいい。
丁度いい着地点で諦めたり諦めなかったりして日々を楽しむことだと思います。
あと、友達と推しにはかなり命を救われました。
好きなことがあればあるだけいいんだな~と多趣味な自分は思いました。
自分のしたいこと、やるべき。

こちらまだ序章で全然具体的な記録とは言えませんが、最初に起こったことなので目まぐるしく日々が過ぎ去ったことをぼんやり思い出しながら書きました。1か月間のことは順不同で取り留めもなく続くと思います。


次回

クリニックのセカンドオピニオンに踏み切ったことと、母条の病状について触れようと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
今後ともお付き合いいただければ幸いです。


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