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2022.06.24連作「山桃」と小文

連作「山桃」

かつて村だったとおもう山ぎわの住宅街を見下ろす祠

雨つぶがガラスを伝うつたなさにやがてふたつはひとすじに垂れ

あえて踏む人の軌跡につぶされて山桃落ちている濡れた道

道の向こうに雨降りはじめこちらにもとどくのだろう時間を連れて

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山桃は徳島県の木。梅雨の頃赤い酸っぱい実をたくさんつける。県内では街路樹はもちろん、庭に植えている人も多い。昔は我が家にも二階ほどの高さの大きな山桃の木があって、主に果実酒に利用していた(高校生のころ祖母が亡くなり、管理ができなくなって伐り倒した)。生食もできるのだけどわたしは正直苦手。すすんでは食べない。

山桃の表面は、マジックテープの硬い側のようにざらざらしている。さらにほんのすこしねばつくから、採れたての実は、枝のくずや蜘蛛の巣、小さな虫の死骸が絡んでいることが多い。だからわたしはきれいな実を見ても、あんまり食べたいと思えない。舌があのザラザラに触ると気持ちがざわついて、不安になる。噛んだらちょっと吐き出したくなってしまう。

それから、最初も書いたけど山桃は本当にたくさん実をつける。本当に採りきれないほど実をつけるから、たいがい山桃の木の下には熟れ落ちた実がべちゃべちゃ潰れている。梅雨入りのあたたかい雨に打たれた実はさらに溶け、自然発酵の酒のような甘い匂いを放ち始める。我が家の木も掃除の手がなかなか追いつかず、ご近所にときどき苦言を呈されていたらしい。家族の苛々のもとだった樹下の草むらに、私は寄りつかなかった。

よごれて、制御できない多産の木。人間生活に適応しない野生の姿に、多頭飼育崩壊の犬猫の山を見るようなうしろめたさを覚え、わたしは今も山桃を食べられない。