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2022.06.23困りごとと日記

短歌を出し惜しみしてしまう。
遅筆かつ寡作なので「次もし短歌賞に出すことがあったら今日作った短歌も応募できるんじゃないかな…」「いまは浮かばないけどこの短歌を軸に連作が広がるかもしれないもんな…」とか考えて、世の中に公表できない。
しかも、過去作を一括にまとめていない。だから、公表しないままどこに書き留めたかどう書いていたのか思い出せなくなった短歌も多い。

ここ三ヶ月ほど、昔作ったある歌を探している。すんごい良く書けていた気がしてずっとスマホのメモ機能とワードファイルを探しているけれど、見つからない。

消えた歌は、たしか、いま自分がいる一瞬を忘れてしまう不安を詠んだ。どこかの歌会にも出した。けど、詠み込んだ単語すら思い出せない。歌の節回し(わたしは歌の切れとか五七調の制約から生まれるリズム、音の高低をそう読んでいる。メロディに近いかもしれない)は初句から結句まで思い出せるのに。

忘れた歌って、なんかだんだん、じぶんやじぶんを取り巻く世界の核の部分を突いていた気がしてくる。逃した魚はでかく感じる現象だろうか。
もはや、真理に近すぎる歌だからわたしの元からすっと消えた…ようにも思えてくる。絶対買い被りすぎなのだけど。

こんなに思い出したいのに、きょうはミョウガを刻んで豆板醤胡麻油などとあえた中華だれを焼きナスに掛けて食べました。また忘れっぽくなりそう。
食べながら、夏野菜は特別好きだなぁと。秋冬野菜もおいしいけど寒いから調理自体が鍋やクリーム系に偏りがち。でも夏野菜は温めても冷やしてもバクバク食べたくなる。なにより、つぎつぎ無限に実をつけ続ける瓜系の畑野菜(ナス、きゅうり、ピーマンなど)の豊かさが良い。田舎に住んでて人からたくさんもらうので、お得感ももちろんあるけど、実の生命力も含めておいしくて元気出る(同じような理由で立葵が好き。雑に畑に植えててもたくさん花をつけてしかも鮮やか)。今年もたくさん夏野菜料理をしよう。