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【職場改善note有料マガジン】No.0002・・・どんな仕事でも「改善思考」は毎日必要とされるもの。

 連載2回目は、本来1回目に投稿するはずのテーマだったんだけど、前回はたまたま今読んでる本に影響されて決めたテーマだったため、書かずにはいられなかった。 でも、よくよく考えてみたら、「改善とは何か」について最初に書いておくべきだったなと思い、今回このテーマに決めたんだ♬ もし、ご興味のある方はマガジンをご購入いただければ、以後半永久的に改善noteをお楽しみいただけます♬ 5年でも10年でも、毎回読むことができます✋・∀・) きっとあなたにとっても改善は仕事人生における最大のテーマになることでしょう。 そのためにいくらか助力できれば幸いに思います♬

【1】今の職場で改めて気付かされたこと/QCへの認識レベル低下

 QCサークルが各部門の部署ごとに組織されていて、年間定期的にQC勉強会なるものを開催し、30分間の間に2組のサークルが自分たちが選定した改善テーマについて発表するというもの。 会社としては、全ての職場の全ての従業員に対して改善活動を絶えず続けてほしいという思いを訴え続けている。 それほどに改善活動とは会社にとってもっとも重要な課題の一つなのだとわかる。

 ここ最近、職場全体の活動が減速気味であることを前回のQC勉強会で指摘されていた。 それもそのはず、彼らは日々の通常業務をこなしながら、「年間およそ2回の当番制」として製造部門、間接部門、それぞれ全ての部署で改善活動を進めなければならないため、繁忙期やトラブルが生じている際にはどうしても減速気味になりやすいのが特徴と言える。 それでもなお、改善活動をストップさせるわけにはいかない。 極端な言い回しをするならば、一定期間改善活動を止めてしまえば、その間に次々と改善すべき項目が加算されていく可能性が高まっていき、積み上がれば積み上がるほど手を付けられなくなってしまう。 それがモノづくりの企業の宿命なのだと言わんばかりに、彼らはボクが思っている以上に過酷な環境下で働いているのだということが察せられる。

 最小規模の部署における活動という枠組みの中で改善を進めていくということは、つまり各部署ごとに改善すべき項目の種類が全く違うために、それぞれの部署に属す者たち自身でやるしかない、というよりは、それが主旨であることを学んだ。 確かに筋の通った方針だということは理解できる。 しかし、改善活動をずっと続けていると、部署によってはあまりの忙しさのために、当番制で自分たちの番が回ってくると、極力難易度の低い改善テーマを選定するようになるため、本質的観点で言えば、本当に改善すべき項目に着手できずにいる部署も存在するのだということがわかる。 QCそのものは、本来職場改善と製品の品質向上を目的としているはずなのに、これが従業員たちの労働負担という重しにもなっているケースもあるのだ。

 会社としてはどんな時も改善活動を続けてほしいという願いはあるものの、その期待に応えたくても応えられない状況というのが起きてしまうと、当然活動そのものが減速していくことになり、会社と従業員たちの間にギャップが生じてしまうようになる。 ボクはこうした現状を目の当たりにしてまず思うことがあった。 「本当にやらなければならない改善は、職場全体の改善活動方針の改善だ」と。 職場環境は、前提として改善活動ができる体制が整っていなければ、ハイパフォーマンスの改善活動は成し得ないのだということにも気付かされた。 そこで、さらに思い付く。 QCとは、別のスタンスで活動することは不可能なのか、ということ。

【2】TQCとは?

 yahoo検索「QC」「意味」の2つのワードで検索をかけてみたところ、TQCというワードが存在することを知る。 その意味は「Total Quality Control」=総合的品質管理、だ。 QC活動は冒頭でも述べた通り、基本的には最小規模の部署でそれぞれが改善テーマを選定して活動するものだが、TQCは部署間の線引きを取っ払い、協力しあって1つの改善テーマを選定して活動を進めていくというスタンスだ。 所謂、全社的に実施する改善活動。 

 各部署で本当に改善したい難易度の高いテーマは、これまで着手できずにきているのが今の職場の状態ではないかと思われる。 少なくともボクは個人的にそのように感じている。 おそらくは、TQCという概念は、職場のQC活動としての方針に含まれていないように見えるが、2部署以上での会議やミーティングで職場の課題について議論し、方針を策定して実行するするといったTQCに近い活動は実施されているものと思われる。 しかしながら、触れたくない課題には触れまいとし、一向に動く気配がない。 なんとなく、今更やる意味すらも逸しているように見える。

 組織全体が一度そういう流れに乗ってしまっては、以後、最も改善しなければならない課題は次々と後回しにされるようになる。 結果、最小規模の全部署で実施されるQC活動も熱を失い、組織全体が「小手先だけの改善活動」をするようになる。 すると、大小さまざまな課題が時間の経過とともに積み上がっていき、ほとんどお手上げ状態となり、無慈悲にもそれは数字に表れることになる。 不良品が大量に発生し、その一部が市場へ流れ出ると、客先からのクレームへと繋がり、会社そのものの信頼や顧客満足度の低下という状況に陥ってしまう。

 それでもなお、「今まで通りやっていればいい」と思い込むのはナンセンスではないだろうか。 ここでもう一度、このnoteのヘッダーの文言に注目していただきたい。

【3】誰かがしてくれた改善にぶら下がって働き給料だけもらいにいこうと思うような人に完成度の高い改善活動は成し得ない。

 働く人は皆、過去の歴史を生きた人たち同様に、毎日のように改善思考を働かせないといけない。 なぜなら、過去、何千何万という人たちが改善に改善を重ねて現代社会を作ってきてくれたのだから、どの会社のどんな職場に属していようとも、企業が方針としている「利益獲得」と「社会貢献」に繫がるような改善思考を働かせる義務がある。 そう、これは義務だ。 その代わり、労働に対して会社は報酬や手当を支払っている。 日々の業務も日々の改善活動も、年収以上でなければならない。 そうでなければ、黒字だった会社も赤字に転落することは自明の理なのである。

【4】あなたはいつ自分の意思を試す?

 会議一つとってみても、大して進展がなく、意義が見出せていないようであれば、これにかけるコストは毎回損失として計上される。 先行投資としての損益であるならばいずれそれは利益へと切り替わっていくものの、先行投資とは言えないようなコストのかけ方を続けていれば、ペイするまでには何年もかかることになるし、赤字は膨れ上がっていく一方。 たとえ誰もが頭ではわかっていても体制が変わりにくいのは、職場内のそうした「空気」が一掃されなければ絶対に好転することがない。

 同じ職場で何年も働いてると、どうしたってその場の空気に染まってしまうのが人間だ。 そして、いろいろと見えてきて、いろいろと知るようになると、自分の立場と他者の立場、肩書や性格までも気にしてしまい、悪い意味で合わせてしまう。 そのうち、本音を言えなくなって、当たり障りないように仕事をするようになる。 それでいて、仕事上納得いかないことや不満を感じるようになると、それがストレスへと変わっていく。 でも、ベースに周りに合わせることを刷り込まれているため、自分の意思を言葉にすることができなくなっていく。

 職場におけるまとまりというのは、事、モノづくりの現場では求められるところではあるものの、それと自分の思っていることや感じていることを言葉にしないことはまったく関係がない。 むしろその逆。 本音こそが職場の活力の源泉。 その上で組織の長は統率を図り、チームをまとめていくのが本来のあるべき姿であり、メンバーが自分の改善思考を活かす場でもある。 それ故に、率先して自分の意思を言葉にすることを拒むようになれば、ストレスばかり感じるようになるのは当たり前の話なのである。

 つまるところ、そんな調子では改善思考はまともに働かなくなるし、いざやろうと思っても小手先だけのものにしかならない。 周りの人たちに合わせるということは、「誰かがなんとかしてくれるのを待つ」という姿勢であり、「ぶら下がり人間」や「指示待ち人間」などと言われるようになる。 もし、組織の中にそういう人間が多ければ、何をやるにも腰が重く、始めるまでにも時間がかかるため、新しいことにトライする空気は絶対に生まれない。 それはそうだろう。 今まで通りにやっていれば楽だし、合わせていれば面倒事も避けられる。

【4】職場改善には小さいことばかり気にしていたら活動そのものも小さく限定的になる。働く者に必要な力とは。

 ガツガツ来るくらいないと職場なんて変わるわけがない。 本音を言い合わない集団組織に何ができる? ボクはそういう組織にはまったく魅力を感じない。 なぜなら、本音で仕事に人に向き合わないとなると、物事の本質をいちいち避けて通ろうとするようになるからだ。 個人的感情で言うならば、見ているだけでイライラする。 改善活動は、いつも完成形を描いてやるから意義があるし、楽しいし、達成感も感じられるものだ。 しかしそうでない改善活動は、簡単にマンネリ化してしまうため、達成感なんか感じられない中で続けなければならなくなる。

 嫌われないように、怒らせないように、イザコザにならないように縮んこまっていたのでは、難易度の低い改善すらまともにカタチにならない。 根性論で言っているのではなく、姿勢がどうかという意味で言っているんだ。 土台がグラグラの状態で、芯のない人間に、職場改善はできない。 たとえQCの資格をもっていたとしても、実際の業務も改善活動も熱を帯びない冷めたパフォーマンスしか発揮できない。 総じて、「本当に真剣にやる気があるのか?」というふうに見えてしまう。

 企業に求められる人材に必要な力は2つ。 問題解決力と創造力。 一般的にはこのどちらか一つに長けていれば戦力になると言われているが、稀にそのどちらにも長けている人材もいる。 しかしどちらかの力に長けていたとしても、職場での人間関係や仕事に対する姿勢において自分をキープできなければ、毎日のように振り回されることになる。 無駄な会議だと感じていてもそれを言えず、代案を提示できるようでなければ、どんなに仕事を抱えていても時間だけを食われてしまうようになる。

【5】職場改善は自分の人生改善に深く繋がっている。

 結局、自分自身が意思を言葉にするということをクセづけておかなければ、思うように仕事をしようなんて不可能なのだ。 じゃあどうやって、どうやって自分の意思を言葉にできるようになるのか、それを真剣にかんがえなければいけない。 それを考えることすらしなければ、仕事人生は期待されるようなものにはならないし、会社への貢献度も高が知れている。 それでも構わないと決め込んで、ただ毎月給料だけをもらいにいくような働き方では、仕事人生だけでなく、プライベートの人生も相応のものにしかならない。

 実のところ、職場改善に必死になるということは、自分の人生そのものさえも改善することにも繫がるのではないかとボクは思っている。 いや、そう信じている。 これはやればやるほど面白みや旨味も感じられるようになるとさえ思っている。 人は変われる。 仕事に真剣になればなるほど、自分の不足をどう補えばいいかを考えるようになる。 普段の悪い癖を正し、行動を変え、習慣を身に付けていくことで、本来自分が持つスキルや能力を最大限に発揮できるようになる。 案外シンプルに人は変われるのだとまで言える。 自分がどういう人間で在りたいかを、仕事を通じて真剣に考えるんだ。

 人生時間の30%は仕事で時間を過ごすようになる。 つまり、仕事に費やす時間と手に入れるお金というのは、プライベートに深く関係しているし、その影響力は思っている以上に大きい。 失敗するにしても、成功するにしても、仕事において自分の意思でアクションを起こすことでしか体感できない。 自分の意思が弱ければ弱いほど、行動は伴わないし、成功も失敗もしない。 冷めた仕事人生を送ることになれば、自分の人生丸ごと冷めたものにしかならない。 そして気が付くと、毎日変わり映えの無い日々があっという間に流れていき、死は突然訪れる。 そして後悔するのだ、「もっといろいろやっておけばよかった」と。

 人が死に際に後悔することと言えばたった一つ、生きてきた中で自分が本当にやりたかったことをやらなかった全ての事に対してのみ後悔するんだ。 しかし、今を生きている人たちのうち多くがそのことを意識していない。 そのように断言できるのは、普段の言動や行動から簡単に見抜くことができるからだ。 そしてボクは思うんだ、「彼らのようにはなりたくない」と。 自分は自分の意思で行動しようと思うようになった。 だからと言ってそういう人たちを短絡的に嫌うということではなく、反面教師としてしっかり学ぶ対象として観察するんだ。

【6】職場改善活動の精度向上のためにやるべきこと

 すると、人から学ぶ以外に何から学べばいいかを欲するようになる。 ボクは今に至っては本を読むことでしか補えないものが数えきれないくらいあるということに陶酔しているため、とにかく読んで読んで読みまくる、ライフワークの一つに読書を選択している。 もうすでに、現代社会には仕事に必要な知識やノウハウが詰め込まれた完成度の高い本が溢れている。 ボクたちはそういう時代に生きている。 それにもかかわらず、それに気付いていながらこれまで湯水の如く垂れ流してきた時間をこの先も垂れ流すようなマネをするというのは、自己矛盾以外の何物でもない。

 現実として、職場改善は従業員一人一人の意識の高さに起因しているし、精度も大きく左右される。 自己研鑽のために本を読もうとする人たちは、おそらく、文章を目で追いながら気付くんだ。 「印刷された文章の全ての表現によって高度が違う」ということに。 高度が高い表現ほど考えさせられるし脳裏に刻み込まれる。 何も、本に書かれている文章すべてが自分にとって重要であるわけではない。 高度の高い表現を読む度にピックアップしてイイトコ取りするんだ。 これを何冊も何冊も続けていくうちに、自分の芯が構築されていき、状況に応じて自分の意思が言葉を紡ぐようになる。

 これを一度でも体感した人は、読書にどれほどの価値があるかを身に染みることとなり、その後の人生において限られた時間を読書に費やすようになる。 ともなると、自己研鑽はほとんどオート化されるようになるため、そこからはどんどん意識を高めていくことになる。 職場の改善活動に必要なことは、職場でやることよりも自分の時間で何をするかが強く深く関係しているとボクは思う。 それも、一流の人間たちが当たり前の習慣としていることだと気付ければ、その瞬間から人は一流の人間へと向かっていくようになる。

 プロの改善活動とアマの改善活動とではレベルが天地ほどに違う。 では、その差はどうやって生じてしまうのかと言えば、個人が自分の時間を何に費やしてきたかによって決定的に開くのであり、学生時代のテストの成績や卒業した大学の偏差値によって開くのではない。 学歴不問の本質的な意味は、過去どうであったかはほんの一部しか含まれていなくて、現在から将来に向けて自分がどう在りたいか、これから何をしたいかといった「1秒以降先の自分のビジョン」を問われているというのがその意味だ。

 そこまで気付けるようになると、人を見る目というのも磨かれていく。 自分との差も、比較しようと思わなくても普段の言葉のやり取りで測れるようになる。 改善活動のプロは、常に職場の人たちを「自己研鑽によって成長した自分の目」で測るようになるんだ。 その目で何を測るのかは次回「No.0003」で書いていくことにする。 今回は以上。 また次回お会いしよう✋・∀・)


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