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◆本当にその認識で合ってるの?耳障りが良く、恰好良い言葉がもつ功罪

 言葉の意味を再考するシリーズ。シリーズ?たまにやる程度ね。さて、さっそく一つ目の言葉の意味を再考するとしよう。まずはこれだ。

◆物事の力や作用が他のものにまで及ぶこと。また、その結果。

 「いちいち調べなくてもわかってるわ」と言いたくなるくらい簡単な意味。でもさ、でもさ、わかってないと思うんだよね、本当のところ。影響という言葉の本質的な意味は。

 関連する単語として「影響力~エイキョウリョク~」という言葉があるよね。じゃあ、いくつか質問するよ?

◆あなた自身、これまでの人生で誰の影響を一番受けていると思いますか?
◆その人から受けた影響は、どのような功罪(結果)をもたらしましたか?
◆あなたは、その人から受けた影響を素直に良かったと認めることができますか?
◆あなた自身がもつ影響力は、これまで関係した人々に対して有効に行使できた(=幸福をもたらした)と思いますか?

 なかなかスッと答えられる人はいないかもしれないけど、自身が他者から受けた影響、自身がもつ影響力については一度よく考えてみるといいかもしれない。

 さて、なぜ今回「影響」についてその意味を再考することにしたかってことなんだけれども、世間を見てご覧よ。数えてみようか、今、多くの人々が受けているであろう「影響の種類の数」を。数えられる?無理でしょ。

 言うに及ばないことだが、影響そのものは目には見えない不可視の何か。これは、人と人だけでなく、人と映像、人と音声、人と経験などを媒介して、生きていく中で誰もが受け続けるものなんだよね。

 暗闇で突然強い光に照らされたら眩しいし、耳のそばでいきなり大きな声で叫ばれたらうるさくて多分言っちゃうよね、「うるせぇーよ!」って。これくらいわかりやすく知覚できるものなら、たぶん世の中こんなに乱れてはいないだろう。影響ってそんな単純なものじゃないんだよね。

 ここで突然なんだけど、「報道の功罪」について触れておくよ?毎日流れてくる報道番組なんかでよく専門家を呼んで意見を仰ぐことがあるでしょ。いつも思うけど、これね、事と次第によっては電波を介してかなり罪深い悪影響を及ぼしてると思うんだ。

 最近で言うと闇バイトとか詐欺グループの実態について犯罪捜査を専門にしていた警察OBが偉そうに詳しく語っていて、その対策手段なんかも語っていたりするでしょ。「おいおい、ちょ…それいいのか?」って思わない?まず、一般人への悪影響としては、そういう報道を見て模倣してしまう人が出てくる可能性が懸念されるよね。

 もう一つは、闇バイトの雇い主である首謀者やら詐欺グループに学習させてしまうことの懸念もあるよね。当然、彼らもバカじゃないから、警察の対策で逮捕例が積み上がれば、それに対して更なる対策を上積みしてくるよね。現にそうやって巧妙化してきたのが現代の犯罪でもある。

 本当に社会における治安維持を真面目に考えてるなら、メディアで堂々と犯罪対策に関する情報を垂れ流すのはどうなのかって疑わないといけない気がするんだ。こんなに闇バイトによる強盗が増えるとは誰も思ってなかっただろうけれども、ルフィー名乗る詐欺グループの事件から一層増えたよね。

 影響を受ける側も、影響を与える側も、影響そのものとの向き合い方を正しく認識していない状態が何十年も放置されて今に至っているのが現代社会ではないかね。特商法にバリバリ違反してるFXとかマルチ商法なんかのセミナーなんかもそうでしょ。想像を絶するレベルで増えているみたいだけど、バカがバカを勧誘する図式が完全に出来上がっている。いや、バカって言っちゃ失礼か。中にはさ、騙されていることにすら気付いていない人も大勢いるでしょ。金銭欲も行くところまで行くと正常な思考を完全に失うのかもしれないね。

 じゃあね、影響に関連して次はこの言葉にフォーカスしてみるとしよう。

◆対象を求めて、心が強く引きつけられること。

 簡単に言うと「憧れ」ね。大人気のアニメ「推しの子」がまさにアイドルを題材にした作品だね?さて、皆さんは今誰に、どんなことに憧れを抱いているかな。「あの人みたいになりたい!」「こうなりたい!」そのように切望させるほどの影響を与える人物だったり、そのように理想を追いたくなる夢や希望。耳障りの良い、格好良い言葉だね。

 ここで言う憧れは、ファンとしての憧れではなく、「自分もそうなりたい」という意味の憧れね?「将来、大きくなったら何になりたいですか?」という質問に幼稚園児が答える時、男の子ならヒーローものの仮面ライダーやウルトラマン、女の子ならセイラームーンやプリキュアのキャラクターの名前を言うかもしれないね?実際、人が抱く憧れというのはほとんどこれに近いものかもしれない。

 実際に憧れるあの人のようになれるかなんてわからなくても、自分もそうなりたいと憧れを追い求め続ける生き方は、きっと充実していて楽しいことに溢れているかもしれない。ただ、現実には、そうした夢や憧れを追い求めることを妨げる人物が現れたり、邪魔するような出来事が起きたりして、口で言うほど単純でも簡単でもなかったりして、真に自らが抱いている憧れが自分にとってどれほどのことなのかに気付かされた時、きっと誰もが失望するに違いない。

 アニメ「BLEACH」の藍染惣右介のセリフが脳裏に過ぎるね。

“憧れは、理解から最も遠い感情だよ。”

集英社「BLEACH」より

 この一言にどれだけの人が衝撃を受けたことか、想像には及ばない。それでも、これが真理なのだと認めざるを得ないほど、端的に的を射た言葉でもある。では、さらにこれに関連して、この言葉の意味を再考してみよう。次はこれた。

◆力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。また、それに用いる力。

 耳障り良いね、恰好良い言葉だ。しかし、この言葉を扱う者と言われる者とで認識に違いがあるようだ。アニメ「鬼滅の刃」で、炭治郎が選別で鬼と戦っている時に錆兎が言ったセリフ。

“努力は…どれだけしても足りないんだよ…知ってるだろ…”

集英社「鬼滅の刃」より

 「大切な誰かを守るため、夢や憧れのため、叶えたければ努力をしろ。」という言葉にしてみると、まさに漫画やアニメに出てきそうな言葉だね。うん、良いと思う。生まれ持った能力も大いに関係はするだろうけれども、頑張り方さえ間違えなければ実現するかもしれない。その可能性はゼロではないのだろう。

 でもさ、人が抱いた憧れがこの世界で言うところの悪の存在に操られているものだとしたらどうか。お金欲しさに付け込んで勧誘し、セミナーに誘い込んで入会金やら毎月の上納金やらを支払わされても騙され続ける人たちが抱いている憧れには問題しかない。そのように洗脳させられた人たちは、どれだけ努力をしても搾取されるだけで、気付いた時には人生を棒に振っている。

 「その人がそれでいいと思って頑張っているのならそれも努力なんじゃないの?」などと言う人がたまに現れるけれども、犯罪に加担している以上、当然ながら被害者がいるわけで、もうその時点ではどんな大義も偽や悪のそれでしかない。夢も、憧れも、希望も、理想も、何もかも前提が闇に染まってしまっている。

 今日のニュースでも報道されている某有名女優の不倫騒動や某有名俳優の弟の大麻所持容疑による逮捕など、多くのファンを抱え、夢や希望を与え、多くの人々の憧れの的だった人物に起きたことは、かつて良い意味で高い知名度と絶大な影響力をもっていた人物だからこそ、その反動もあまりに大きい。

◆1 他に力や作用を及ぼしたときに、その反作用で押し返されること。 · 2 ある傾向に対抗して生じるそれと全く反対の傾向・動き。

 血の滲むような努力をしただろうし、本来一般人が当たり前のように楽しんでいる多くのことを幼少期から長年に亘って犠牲にし続けて勝ち得た名声も実績も社会的信用も、今回の報道で一瞬にして崩れ去ることになった彼らの今の心境を占める絶望感とはどんなものなのかは計り知れない。

 一人や二人、10年に一度くらい、そういう人たちがやり玉に挙げられて社会的制裁を受ける程度のことならこうまで言うまいが、「影響」「憧憬」「努力」によって人生最高潮の時を経験した人たちが向かう先が、自らの過ちによる絶望のどん底なのだと始めから知っていれば、そもそも自身が受ける影響に対して常に疑念を抱くに違いない。

 無論、全ての成功者が人生転落するとは言わないけれども、成功した後、転落することなく人生を全うすることというのは、数えるくらいの人しかできないことなのではなかろうか。

 これまで散々多くの有名人がそのように転落していく様を見てきてさすがに考えさせられたのは、「自分という人間を知らずに、人や作品などから受けた影響に感化され、夢や憧れを追い求め、本当はやりたい多くのことを我慢して犠牲にし、長い年月をかけて努力をし続けて成功を掴み取ったとしても、人間の脳はいずれ訪れるその反動を制御することはできないのかもしれない。」ということだった。

◆時代が変化するなら、言葉への認識を改めなければならないし、遣う時も古い認識のまま遣うことには疑念をもたなければならない、それが言葉のもつ本来の性質ではなかろうか。

 あまり「誰もがよく言いそうな耳障りの良い、格好良い言葉」を多用して相手を納得させようとするのは良くない。

 影響を与えることも、影響を受けることも、憧れを抱くことも、夢や希望を叶えるために努力をすることも、決して一概に悪いことだとは言い難い。

 しかし、昔から現代に至るまでの間に、人々が生きていく中で当たり前のように受けるその時代ならではの影響というものは、その種類だけでも圧倒的に増えたはずだ。現代社会においては、そうして増えすぎた社会的影響によって生じる様々な結果の後処理と対策に追われているのが実情だろう

 だからね、普段から見聞きするもの全てに対して自身が受けるであろう様々な影響については、疑念を持って向き合うことはもちろん、行動を起こす際には世間一般の人たちに倣うのではなく、自分の意思でもって慎重に判断する必要があると思うんだ。

◆自分が選択した行動により利益を受けるだけでなく失敗のリスクも自ら負うこと。

 政府の規制緩和政策や経済対策により、市場競争が活発化することで経済成長が図られるという文脈から、政府や自治体の自己責任という論調が社会に浸透しつつある。

 国がそういう姿勢だから、元は善良な市民が道を踏み外しやすい社会になっているのではないのかなと個人的には思う。どう頑張っても、個人だけでは自らが受ける影響を処理しきれないからいろんな問題が起きまくってるんじゃないのかね?それは本当に個人の自己責任と言い切れるものなのかね?

 このままだと、警察は忙しく、罪を犯した者たちを逮捕し続けることになるんだろうけれども、本当は避けられたかもしれない蛇の道に足を踏み入れる人たちが後を絶たないだろうし、その分だけ被害者は増え続ける。

 都合が良すぎると思わないかね、「自己責任だ、社会人とはそういうものだ」と言ってあたかも正論のように言ってしまうのは。当然、自己責任の意味合いだって昭和と今とではその重みや難しさは増したんじゃないの?その変化だけは無視して耳障りの良いことしか言えないおじいちゃん政治家、おばあちゃん政治家が多いから仕方がないのかな?

 治安はより悪化していくよね。学ぶべきことを学ぼうとしない、学ぶべきことを学ばせてあげられない国家の秩序は加速的に乱れつつある。思考が昭和平成のままの人たちが多いとこうも社会は乱れるものなんだね。

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