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映画「最後の決闘裁判」を観て。


原題:The Last Duel
邦題:最後の決闘裁判

監督:リドリー・スコット(2021)

あらすじ: 1386年フランス、騎士カルージュ(マット・デイモン)の妻マルグリット(ジョディ・カマー)が、夫の旧友ル・グリ(アダム・ドライバー)に乱暴されたと訴えるが、目撃者もおらず、ル・グリは無実を主張。真実の行方は、カルージュとル・グリによる生死を懸けた「決闘裁判」に委ねられる。

感想:寄り添うだけでもいいから。

マルグリットの視点になると、カルージュとル・グリの視点がものすごくバカらしくなる。彼らはただ自分を正統化してかっこよく見せたいだけ。全て自分のためにマルグリットを利用するだけ。胸糞悪い。でも、これがもしマルグリット目線がなかったら?忠誠心を第一のカルージュ派、愛を捧げるル・グリ派、みたいな論争になると思うとさらに恐ろしい。

その愚か者に人生を狂わせられたマルグリット。悲しい。

尋問、セカンドレイプ。これは現在もある。声をあげられない人だっている。そして、マルグリットの友人のように、同じ女性同士でも理解されない部分もある。

昔、セクハラが辛くてやめた職場があった。その話を友人にしたら「やっぱモテるんだね〜」と言われてしまった。あ、この人には何言っても通じないと思い、すっかり心を閉じてしまった。

だから、マルグリットとあの友人はきっともう繋がりは無くなったと思う。

本当に息を飲むレイプシーン。ル・グリ視点とは全く異なり恐ろしくなった。これ、実際の現実の加害者からしたらこう見えてるのか?嫌がるフリしてただけ、誘ってるような視線だった、とか言ってる。気持ち悪い。

伊藤詩織さんの事件もそうだが、600年以上経っても何も変わらないんだなあと。

レイプシーンで、昔を思い出して、辛くて号泣。ちょっと、そーゆことあったので。誰にも言ってないけど、てゆーか、言えない。

どんどん白々しくなってく決闘。ただの余興としてしか見られない10代の国王。讃えられるのはカルージュ。焦燥するマルグリット。焦燥しないわけない、虚しくならないわけない。

国王の妻のあの表情、マルグリットの足枷が外された時の女性たちの拍手、信じたいよね。

と、まあ。想像以上すぎた。これは見る人によって理解の仕方がかなり変わる。男でも女でも。原田眞人氏の批評読んだけど、胸糞悪いけど、ここでは何も言わないでおく。

3人の目線によって少しずつ演出や言葉が変わる部分、ものすごい。でも、人によって見え方が変わるのは当たり前のことで。でも自分がいつも常に正しいわけではない。価値観は、他の価値観と比べるからこそはじめて価値観になるのでは。

なので、もう一度言うけど、レイプシーンが本当に。加害者と被害者と第三者でこんなにも感覚が変わるんだなあと。

女性の扱い方を馬とうまく掛け合わせていたり。マルグリットと男のカメラワークが微妙にずれていたり。

全員名演技。インティマシー・コーディネーター、ありがとう。

ジョディ・カマーの目線や表情、息遣い、全てが悲くて辛い。でも、すごい。

アダム・ドライバー。よくこの役やったなあ。最低ととことん感じさせてくれたのだから、彼の演技力がより一層レベルが上がったと思う。最高な最低。

「男はみんな愚かよ」という言葉。染みてしまった。その愚か者達に真剣に、自分のプライドを守るために立ち向かったのに、結局愚か者達に収集されてしまった。

愚かな世界は変わらない。お願いだから、どんなことであれ、キズついた人には寄り添ってあげて欲しい。

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