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親父の焼き飯

亡くなった親父が料理をつくっていた記憶はない。 台所に立っていたという記憶がないのだ。


たぶん料理は一切しなかったんだと思う。 仕事から帰り、丹前に着替え、晩酌をしながらテレビで野球を見ていた。 よく泥酔しておふくろと喧嘩をしていた。


小学生の時に終戦をむかえた親父は、中学を出てすぐに親兄弟のために大分から大阪に出て働いた。四男坊だった親父が肉体労働をして働き、稼いだお金で兄弟姉妹を学校に行かせたそうだ。だから僕が小学生の頃は正月になると親父の仕事仲間や兄弟姉妹の家族が集まってとても賑やかだった。


親父から自身の苦労話は聞いたことがない。けれど、そんな集まりの中で聞くことなしに知っていった。親父は優しく世話好きな男だった。


中学しか出ていない親父が、僕が浪人(しかも二浪も)して芸大に入ったことをとても喜んでいた、と、のちに母から聞いたことがある。


絵を描いたり、ものづくりをしたり、几帳面さは、実は、親父譲りだったようだ。  親父が料理をつくっていたという記憶はない。のだけれど、一度だけ、親父が作って食べさせてくれたやきめしの記憶がある。それがとても美味しくて、その後何度もつくってくれと頼んだ記憶がある。


レシピは単純。白飯を焼いて、バターと塩を入れただけ。子供心に、そのシンプルさ、バター風味の塩味に、大衝撃を受けたのだ。


お袋の作る料理と全く違うものだった。今、思えば、料理と言える代物ではなかったのだけれど。けれど、親父の料理はあのバター風味の塩味の「やきめし」という記憶だけが残っている。


でも、やはり、親父が台所に立って料理をしていた記憶はない。 そんな親父が死んで三度目の春を迎える。




2021.02.21 了

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