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島で遊ぶ~コミュニティについて考える~

香川に帰って一年が経った。
息子も2年生となり、すっかり日焼けしたわんぱく少年となっている。

生活圏としては20年ぶりの故郷。
以前少し書いたが、私が拠点を変えた最終的な理由は、息子だった。
研究を重ねる中で、自分が子供に与えたい環境が東京ではないと感じたからだ。

「日常に些細な何かを見つけ出せる環境。」

それを子供の視点で考えたとき、私は四季の感じられる豊かな場所を選びたくなった。
都会でできないわけではないが、なるべく自分が介入せず、子供が勝手に探しに行く環境が欲しかった。

とか言いながら、学校のことなど悩むうちに、街中のマンションに住んでしまった。それでもいいかなと思ったのは街と自然の両立が図れそうだと思ったからでもあるが。

香川県は県土が小さい(日本一)。山と海はほとんどの市町に面しており、更に都市部と近い。西端から東端までは高速を使えば車1時間で着いてしまう。他県へのアクセスもよく、コンパクトで豊かな県だと思う。
以前、恩師が人が住む場所として最適なのは都市と田舎の中間と言っていたが、県全体がそんな構造ではないかと思う。

今のご時世、さすがに息子を勝手に山へ遊びに行かせてやれてはないが(私は子供時代勝手に山で遊んでいた)、月半分の週末は実家周辺の田んぼ道を網片手に駆け回り、もう半分は離島へ出かけて海遊びに興じる日々。おかげで早くも真っ黒に日焼けしている。

この島遊び、我が家の日常と化したきっかけはひとつのコミュニティとの出会いだった。
昨年のGW「本島さかな部」という丸亀市沖の本島で活動する若い漁師夫婦のコミュニティを知った。

ここでは子供たちを部員(仲間)とし、魚の生態から、食べ方まで色々な体験を通して学ばせてくれる。
さらに、島で開催されるイベントには開催側として参加し、自分たちも当事者となって島おこしを経験するのだ。彼らはこれらの活動を通して、本島の過疎化や漁業の抱える問題解決に努めている。

「子育てで自分にできないことは周囲の力を借りる」、と決めている私にとって、ここは理想の場所だった。幼児から少年という年齢変化も大きいとは思うが、場所見知りや初めてのことをやりたがらなかった息子が、どんどんと自走していく姿はきっと自分と二人ではできなかった子育てだなと痛感する。

このコミュニティは子供を中心とした活動ではあるが、イベント開催時は親も協力し、島民と一体となってイベントを支える。このボランティアは親にとっても魅力的で、美味しい魚介を味わえたり、新しい人とのつながりが生まれたりと、皆様々に楽しんでいる。
あくまで自主参加、子供たちも好きにお手伝い。
みんな楽しみ方はバラバラだが、結果的にある種の一体感が生まれている。
これには皆を束ねる部長、マネージャー夫妻の努力が大きいのは間違いないが、2度目のイベントボランティアを終え、色々と気づいたことがでてきた。

先に述べたように、参加者個々が手伝う理由は、部長たちの目的と必ずしも合致してはいないと思う。しかし、目的の異なる集合体であっても結果的に、同一の成果を生み出す構造がみえる。
子供たちはさらにその傾向が強い。
彼らが島に来たいのは、島をどうにかしたいという前に、純粋に「遊びたい」という思いがある。この純粋な「遊びたい」こそ、一番人を惹きつけ、伝番するものではないか。
そして、そうみると大人もまた大人の領域で遊んでいるのだ。

何かのためではなく、自身の欲求のままに行動することが、結果的に互いに集い、一定の結果を生む。
役割や責任が求められがちなこの社会で、何かを運用するコミュニティでありながら、自分の欲求を満たすことが許される場、意外と少ないのかもしれない。これって一種の現代版アジール??

コミュニティの持続にとって、参加者の自由意志の在り方と人が自由に交差できる環境はキーポイントになる気がする。
それに遊びの強さがここにもある。

大事なこと経験している気がする。もう少し考察を続けてみよう。

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