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本題の前に自分のこと~アートを学んだ結果~

ちょっと考えることがあって久々に書いてみる。
だけど、その本題の前に私の経験を書くことにした。

私は京都芸術大学通信制大学院超域プログラム後藤繁雄ラボで、社会人大学院生として学んだ。

私が後藤ラボに行くのを決めたのはちょうど4年前の今頃。
当時の私は、友人アーティストたちのイベントを手伝うぐらいで、芸術の勉強をしたこともないただの門外漢だった。が、なぜか自分でわかった気になり、売れるアートが知りたいと後藤ラボに入学した。

授業が始まると、早々に自分の素養のなさを痛感。
とりあえず課題をこなし、先生に勧められた本を読む、読む、読む。
正直、いくら勉強しても授業の大半はわからない。
先輩や同級生の研究も、話すことさえもわからない。
それでも面白くて、楽しくて、学びたい気持ちだけで一年を終えた。

2年目に入り、新型コロナで授業がオンライン化。
時間を持て余した学友たちと連日オンライン勉強会するようになった。
これまでのただただシャワーのように知識を浴びる「インプット」から、自分で絞り出す「アウトプット」が強制的にプラスされた。
論文も書かないといけない。
が、まぁ絞っても絞っても何も出ない。
わからないと騒いで周囲を巻き込み、日々学友に泣きつきながら、インとアウトの経験を積み重ねた。
そうして修論提出の間近に、価値観の大変容を体験。
どうにか修了にこぎ着けた。


なんとも怒涛で力技の学びであったし、粗削りすぎる論文は今は恥ずかしい限りだが、それでもここに至る経験は人生の大転換となり、結果今も私を「幸せ」にしてくれている。

入学前、仕事は生活のためと割り切っていた。
何に対してもどこか満たされない感覚を抱えていた。
なんとなく生きる場所は都会でなければと思い込み、田舎に帰ることは何かを失うことだと思っていた。

しかし、今、私は自ら望んで東京から故郷香川へと拠点を戻し、離れていた福祉の仕事に戻った。戻れたことが嬉しかったし、自分が人生を送る上で、この変化が必要だと思えた結果だった。

価値観が変わり、日常にあふれる些細なものの価値に気づけるようになった。自分の行動が変わっていった。
漠然と抱えていた焦燥感や空虚感が消え、私は今も日々を幸せに生きていられる。
物事や私の周りの世界は何もかわっていないけれど、自分の価値観が変化したことで、途端に日々が豊かになり、何でもないことを幸福にかんじることができるようになった。

気づくことがいかに重要で、気づかせてくれることがいかに偉大なのか。
私はあの怒涛の2年間の学びの結果、得ることができた。
そして、この気づきかせてくれるものが、アートであり、アートを学ぶことだと思っている。

今回、このことをテキストにできたきっかけは1年前から後藤ラボの仲間たちが始めた「超域Podcast」の存在なのだが、修了後を支えてくれる場について書く。次回はそのこと。


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