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福島県近代史のややこしい補足

 自分の書いた記事にでも補足を。

会津戦争の『遺体埋葬論争』に終止符を~亡骸の埋葬は禁じられたのか? https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/11/14/114242 #武将ジャパン @bushoojapanより

 これも白黒つけるといいますか、遺体埋葬を一切禁止したのか否かという捉え方によります。
 実際に会津を歩くと、わりとすぐに戊辰戦争戦死者を埋葬した場所が見つかります。山の中で、ひっそりと石碑があります。そのまま放置するわけにもいかず、地元の方が埋めていたということでしょう。

 ただ、放置されたままという話もあれば、飯盛山の白虎隊のように、掘り返すよう命じられた話もある。
 飯盛山の白虎隊もややこしい話でして。あそこでまつられている隊士全員が自刃したかどうか不明なのです。近辺で自刃以外の死を遂げた者も含まれていますし、途中ではぐれて生存したものの、長いこと名乗れなかった実例もあります。
 
 白虎隊はムッソリーニ碑のこともありますし、ヒトラー・ユーゲントがやってきたこともありますし。なまじ利用が激しくていろいろ不明なところがあります。

 私個人がウポポイに懸念を感じているのは、この飯盛山のことがあるからなのです。慰霊、観光、政治……こうしたものを複合すると、あとで話がとてもややこしくなります。

白虎隊の生き残り・酒井峰治の『戊辰戦争実歴談』が超生々しい!愛犬クマ可愛い https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/03/20/103194 #武将ジャパン @bushoojapanより
「鬼県令」と呼ばれた三島通庸~元精忠組メンバーだった薩摩藩士の生涯 https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/11/07/113814 #武将ジャパン @bushoojapanより

 「板垣退助は会津を攻めただろ! それなのに自由民権運動に賛同するのか?」

 そういうツッコミがありましたが。このへんもややこしい。というのも、会津藩士の中にも、三島に協力した士族がいます。当時の会津の人々は経済的に困窮しており、三島の手先になるような人もいたということです。

 会津を攻めた板垣云々ですか。
 会津の人が攻め込んだ相手を全員未来永劫憎んでいないことは、大山捨松のことでもおわかりでしょうに。白虎隊士の生存者・飯沼貞吉が山口県に預けられ療養したこともあります。山川健次郎の留学だって長州藩士・奥平謙輔の後押しあっての実現ですし、そう簡単に立場や心理を分割できたら楽な話なんだということは、調べれば調べるほど痛感したことです。

 自由民権運動は……このへん、話が長くなるので、各自調べてくださいとしか言いようがない。
 会津藩を攻めた板垣の運動だから、福島県民が自由民権に賛同してたまるか……と言われたところで、そもそも福島県は強引に県をくっつけてだだっ広くなったことですし、そう単純化できたら楽なんですけどねえ。

山川浩&山川健次郎&捨松たちの覚悟を見よ!賊軍会津が文武でリベンジ https://bushoojapan.com/jphistory/kingendai/2019/09/11/131007 #武将ジャパン @bushoojapanより

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