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『おちょやん』10 朝ドラあるあるを、第四の壁ごとぶち破らなあかん

 千代の家族は夜逃げして、帰る家はない。そんな衝撃の事実を知り、「岡安」はざわめいています。ここで立ち上がるのが、ハナでした。

道頓堀のことはハナに任しとき

 雨に打たれた千代は、寺の門で母の写真を見て、台本を読んでいます。
「第一に人間です。ちょうどあなたと同じ人間です」
 そう『人形の家』のセリフを読む千代。敢えてここを選ぶということは、今後テーマとなってくるのでしょう。ここでハナが傘をさしてやってきます。和傘をたたむ所作が美しい。なんでもハナは、警察なんかよりも道頓堀の情報はよくわかるとのこと。

 乞食の小次郎から場所を聞いたそうです。“乞食”という単語と存在を朝ドラで出す、このチャレンジ! そうなんです、彼らは当たり前に存在していました。それがおかしい、ようやったと思える方がおかしい。彼らの存在を消してきたちゅうこと。近現代史のクリーンアップは終わらせていかなあかん。シャーロック・ホームズはベイカー街遊撃隊を使うでしょ? あれを「そんなん言うたかて、ヴィクトリア朝の汚いところなんて見たないやんか」とBBCが抹消するドラマを作ったらアホじゃないですか。そういう勇気がグッとくるで!

あの子の生きる場所に飛び込む

 このあと、柝(き、拍子木のこと)の音が鳴ります。ハナは千代に舞台を見せています。千代だけでなく、視聴者にも見せたいのだと思います。
 舞台にかかっているのは、生き別れの親子の再会です。あの千之助が二役をしています。衣装も、舞台装置も、上方の歌舞伎とそうは変わりません。
 日本の芸というのは東西で別れておりまして。人の情け、心のひだを描く上方と、ダイナミックな江戸はちゃう。なんでNHKが東西で朝ドラを作り分けるか? そらお前……そういう問題提起を感じるで。
 一平は、今度こそまっとうな芝居をする子役になりきっています。父との再会果たす子。再会を果たした父は幽霊。心残りなくあの世にいけ、「はよう成仏してください」。悲劇と喜劇がわーっと観客の心を引っ掻き回します。笑って、目元おさえて。
 これが演劇、芸能の力なのでしょう。見るものの心を動かすこと。これやで!

 これもメタ構造の汚さもあるとは思います。父を亡くした二代目のボンだと上方の演劇通は知っている。リアリティが芝居に反映されとるんかいな? そういう興味津々なところはありますよね。
 まあしゃあないで。ワイドショーが汚い劣情を煽り立てているのではなく、劣情をテレビの電波が拾うようになったわけです。江戸時代に起きた殺人や仇討ち、心中の演目化。殺人事件が河内音頭の歌詞になる。ヤクザ映画実録路線。そういうふうに、人間は汚い好奇心を満たしてきた.でもそういう汚い覗き根性の果てに、芸能があるわけですよ。
 ハナは一平を見て、しみじみと言います。
「あこがあの子の生きる場所や」
 千代はその言葉を聞きつつ、舞台をじいっと見ています。
 生まれながらにして、舞台に生きる一平。けれども千代は、その舞台を見に行くために奮闘をしなくちゃいけない。ハナは誤解しておりますが、千代は舞台を初めて見ているわけではありません。
 これも重要かもしれない。ハナのように千代がはじめて心ひかれた舞台が一平のものだと思っていたら? そこに千代が飛び込んで結ばれる。それが運命に思えますが。
 千代は、その前にノラが人間として生きるために奮闘する『人形の家』に感銘を受けている。それが原点になっている。
 千代と一平は運命の出会いを果たしたようで、初めからどこかにズレが生じているのです。
 『スカーレット』で男女のすれ違いと決裂を描いたNHK大阪です。さあ、今度はどうする? 

正式なおちょやんになる

 千代が戻りました。つっけんどんなようだった「岡安」の皆は、帰ってきた千代にほっとしています。けれどもシズは、失敗したら容赦しないと突き放すようではある。ほんまに『鬼滅の刃』読者に親切なドラマやで。鬼殺隊士は孤児も多くてかわいそうなのに、あの組織は容赦なく厳しいわけです。
「大正時代はあんなもんや。朝ドラもせやろ」
 と突き放せる。便利なドラマやな。
 ここで千代は、自らの境遇をせつせつと語ります。5歳で母を亡くし、テルヲは酒飲んで博打ばかり。テルヲと呼び捨てにすんなと言われるものの、呼び捨てでええやろと突き放す。
 家のことをやらされ、弟の面倒を見させられ。学校にも行けず、読み書きもできない。
 新しいお母ちゃんができた。やや子もできた。邪魔になって追い出された。それでもちょっこしどんくさいけどかわいい弟の面倒を、新しいお母ちゃんがみるならよいと思っていたのに、夜逃げ。
 テルヲはうちを売った金で博打した。そう推察する千代。そのうえで、どこにも行き場がないから置いたってくださいと訴えます。
 なんやろな、この圧倒的な児童福祉の欠如は。明治政府は財政が無茶苦茶なスタートだったうえに、藩閥政治で汚職がガバガバ! 特に西日本は銀本位制をぶち壊されて無茶苦茶! しかも政商やりたい放題よ(『あさが来た』ヒロイン実家が代表格)。日清日露戦争で、勝てば儲かると軍事に金をかけて、福祉は後回し! そして第二次世界大戦。そういうおっとろしい流れがあるわけですが。はい、来年の大河はどうなるんでしょう? イケメンクリーンアップに期待やな。
 まあ、せやな! 来年の大河と朝ドラを比較したらええんちゃうか。政府のおえらいさんがガバガバ儲けて、思いついたようにアリバイじみた福祉をちょろっとやっとる影で、千代みたいな子どもは通俗道徳にぶん投げられていた。そういう格差社会を描いたらええんちゃうか!
 ここで、すっとぼけた様子で、威張りつつ巡査がやってくるところもよろしくて。川路利良の方針もあり、警察黎明期の巡査は士族が多かったのです。帯刀もできるし、なんかプライド高くていばっとるわけよ。武道もできる。以下のおまわりさんよりずーっと、頭が高いわけやね。せやけど、商人の街である上方では、武士の誇りなんてちょっとコケにしたいもん。せやから、こういう茶化した描き方にしてこそやで。ええんちゃうか、それでこそや!

 結局、大正は人の情けに頼る世界。あのシズは、千代が窓に落書きせんように言う。そこには父・母・弟・家という文字。おおもう、こんなん切なすぎるやろ。ここでバーッと感動するBGM流して、これみよがしに子役アップにすれば、それこそ号泣感想間違いなしやないの。でもチャカチャカと、照れるように場面を切り替えて、シズが紙と鉛筆をやるからそれで字を練習するように言い渡すのです。おっとりした宗助が字を教えると。これがなかなか達筆なんですよ。小道具に手抜きしない、そういう誇りが戻ってきました。
 天海一座は次の巡業先に旅立ち、みつえが見送る。かくして正式なおちょやんになった千代。そのあと、8年後にジャンプします。

第四の壁をぶち破る朝ドラ

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2020年度下半期NHK大阪朝の連続テレビ小説『おちょやん』をレビューするで!週刊や!(前身はこちら https://asadrama.com/

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