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適、である。 〜不登校と知的障害と吃音〜

吃音のある3番目のミコ。小学校入学と同時に通級指導に通うための申請を出し、面接や書類提出を経て、教育委員会から「通級指導、適、と判断する」という書類が9月に届いた。

これでようやっと通級指導に通えるわけだけれども、もったいぶらないでくださいよ、というのが正直な感想だったりする。

吃音の対応施設があるのは有り難い。だって学校だけでは、自分の吃音をどう取り扱っていくのか、自己流でやりくりしていくしかないわけだし、何か悩みにぶつかった時も、前置きなく相談出来る相手が欲しい。それは親子共に。

これも、時代や場所が違えば、特にケアもなく放置されていたのである。恵まれているのだ、私達親子は。

けれども、だ…。

私はこの街に住んで12年になる。移り住んだ時には思いもしなかったが、福祉のありとあらゆる制度を使って生き延びてきた。

最初にニンタの知的障害、それに伴うきょうだい育児ワンオペ回らない問題、次にいっちゃんの心の不調と現在の不登校、そしてミコの吃音。

最近は、シングルマザー予備軍として、ひとり親支援というものにもお世話になりつつある。

もう知らない制度はないんじゃないかと思っても、掘ればなにかしら出てくる。こういうご相談にはここが対応してまして、とリーフレットを渡され、また新たな扉をあける。

人口の多い街だから、困り事も山ほどあるのだろう。だから制度も施設も次々に作る。とはいえ、自治体の予算は限られているので、全員に対応は出来なくて、隠しアイテムのようになっていたり、長い審査を通らなければいけなかったりする。

いざ、扉を開けることが出来れば、頼りになる人が居るのはありがたい。しかしそれまでの過程が、特に、就学してからの閉塞感がものすごい。

知的障害でも、吃音でも、お友達と同じ場所で同じように、のびのびと暮らしていたあの街(未就学児の世界)とは違う場所に来てしまったみたい。

そしてこれは、障害がない子の親でも、同じことなんだろうと思う。管轄が変わったのだから。

日本の教育は、未就学児と就学児で大きく変わる。褒めて育てよう、本人の興味を伸ばそう、という昨今の流れに、幼稚園や保育園は乗ることが出来たが、義務教育は乗り切れていない。

就学すると「学習指導要綱」を主体とした生活になり、そしてやっかいな事に多くの親もそれを主とした子育てにシフトする。

何をやってもいい、好きな事を見つけなさい、でも勉強はきちんとやるんだよ。

そういう事になっている。

もちろん、かつての私もそうだった。

いっちゃんが不登校となるまでは。

もちろん勉強が好きならそれでいいのだけれど、もし好きでなかった場合、人生急に詰んでしまうような。

ニンタの環境も整っているとは言えないし、いっちゃんも停滞期であるし、そして「適、と判断」されたミコだって、このままではあの目の輝きを失ってしまうかもしれない。

現場には、頼もしい専門家も、熱心な先生もたくさん居る。でも、この閉塞感を生み出している元凶がどこかにあるような気がしている。

なんだか愚痴っぽくなってしまったけれど、私は何かを批判したいわけではなくて。

専門家の指導やケアを受けられる有り難さと、風通しの良い組織というのは、両立が難しいのかもなー!という諦めにも似た気持ち。

わからない。私はこの地域でしか子育てをした事がないから。

でももし、「専門家の指導は諦めるので、なんでもざっくばらんに相談できる、閉塞感のない世界で暮らしたいです」と言ったとしたら、そういう地域は存在しているようで、日本も広いもんだな、と思う。

どちらがこどもにとって良い環境なのかは、これは、人それぞれ。でも、私は今、そっちの世界にとても興味がある。

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