締切のない人生

大学生のときはアルバイトに精をだしていた。

アルバイトといっても、私はモノ作りを仕事にしたい、と思っていたので、半分就活というか修行を兼ねていて、街で見かけて一目惚れした造形作家、仮に師匠Aさんと呼ばせてもらうが、その人のところへ押しかけるようにして頼み込み、下働きをさせてもらっていた。(勝手に押しかけただけなのに、Aさんはバイト代を払ってくれたのだ)。

2人で深夜に黙々と作業をしているときは、人生相談にも乗ってくれたし、あんなに優しい師匠に出会えた事は、私の人生においてとても幸運な出来事だったと思う。

下働きがしばらく続くと、師匠Aさんの知り合いの、師匠Bさんにも紹介してもらえて、そこでも手伝いをさせてもらった。

師匠Aさんは、引き受けた仕事を生活の真ん中に置いていて、着々と実績を積み上げていた。一方、Bさんは芸術家肌で、自分の作品作りがベースにあり、仕事はあくまでも生活の支え、という感じがした。それでもBさんはその高い技術力で、仕事でもキッチリ合格点を出す、私から見たら、天才だった。

そうやって師匠たちから勉強をさせてもらっているうちに、師匠Aさんのピンチヒッターとして、仕事を任される機会があった。学生の私が初めて1人でやる仕事で、その結果はもう闇に葬りたい、ひどい出来だったが、その時の私にとっては精一杯だった。

「本当に自分の実力を思い知らされました。それに、作業しているときも苦しくて…。お手伝いのときも時間がギリギリで大変は大変ですけど、今回は責任があったのでそれ以上で。締切のない人生を生きたいって何度思ったか…」

私が本音を言うと、Aさんは笑って言った。
「締切がなかったら、なんにも完成しないよ!」
そうか。確かに、私ならそうかもしれない。

その後、Bさんの仕事場で同じ話をすると、Bさんは
「うーん、Aさんはそうかもね。締切コミで楽しんでるよね。作ることを」。
と言った。
「Bさんは、締切のある人生、苦しくはないですか?」
「依頼された仕事の締切は、いろいろやりくりできるからなんとかなるけど…。でも自分の個展だったりすると、絶対に外せない行程があって、それにかかる時間もわかってるけど、もうそれは削りようがないわけ。逃げ道がないから、そっちの方が大変かな」。

私は2人の話を聞いて、本当にこのまま締切に追われる人生を続けられるかどうか、全く自信が持てなかった。しかし、時間の枠の中でしかモノは作り出せない。それが自分発信の作品であっても、仕事であっても同じで、誰もがサグラダ・ファミリアを作れるわけではない。

その後、私は就職した。師匠たちのように造形作家として生きていくのは無理だと思ったので、デザインの下請け仕事ができる会社に勤め、そこは遠くにアートが眺められるような場所で、そこそこ居心地が良かった。

もちろん、会社なので締切がある。下請けなので、上が詰まれば下は更に詰まる。早くデザインを決めて流してもらわないと、色合わせをして色見本を出して素材を決めて印刷にまわして制作に入って…すぐに物理的に限界がくる。それはもう無茶苦茶なスケジュールで、私はすぐに体を壊した。

出来上がった作品は大きなビルに飾られ、街の空気を一瞬でさらっていく。キラキラした装飾に、居合わせた人が目をとめて、わあ、すごいね、と言い、通り過ぎて行った。今でも素晴らしい仕事だと思うし、私もその作品を少しだけ手伝った喜びはあったけれど、自分の人生を差し出してまで続けることができなかった。

私は今、主婦になったので、締切はないかもしれない。早くゴハン作らなければとか、こどもの学校行事の出欠を早く出さなきゃとか、そういう類の締切はあるけれど、徹夜で作業しなければ終わらないような締切はない。

私が苦手だった「締切」は、自分の力を最大限にひきだしてくれる魔法でもあった。天才ならいざ知らず、私などは締切があるから頑張れたのだろうし、締切がなければいくらでもサボってしまう。締切から逃げてここに来たけれど、貴重な魔法を手放したことに対して、それで良かったと言える人生をおくらなければいけないような、責任を感じている。

そして、人生にも締切がある。いつか必ず来る締切が。

もう学生でもないので、焦ったりはしない。もう十分頑張ってきたし、自分の可能性についても無限でないことはわかっている。明日が人生の締切だとしても、受け入れることができる。

むしろ、問題なのはその締切がまだまだ先らしい、ということで、あと何十年か、私は生きて行かなければいけない。最近はもう息切れしていて、ここから向上していく道がよく見えない。

締切から逃げたら、締切がないことに悩んでいる。

余生と呼ぶにはあまりにも早いし、私は未熟で悟りもない。こどもはまだ小さいし、目の前には締切のない仕事がどっさりある。

締切に追われる仕事をやめたことに後悔はないが、それは自分で自分を鼓舞し続けなければいけない、ということだった。締切の代わりに自分で自分にエサを与えて、ほら頑張ろう、楽しもう、と応援し続けなければ、どんどん気持ちがふさいでいく。毎日あっちこっちに気持ちがグラグラしてしまって、今の私は本当に危なっかしい。

私の人生の手綱は私が握っている。それを苦と思うか幸いと思うかは、自分次第だ。

締切に追われながらも勝負し続けていた人達、私に仕事を教えてくれた恩人に、「仕事をやめて良かったです」と、言えるようになりたい。それはこどもを何か格のある人間に育て上げることではないし、私が何か成果をあげることでもない。

単純に、誰かと比較せずに、幸せだと思えること。私が生きたいように生きること。

そんなこと今からでもすぐ出来るような気がするし、家庭という単位を築くとなかなか身動きがとれないという現実もあるし、でもつべこべ言っていると、本当にこのまま締切が来てしまう。

小さい子を抱えていても、過去の自分の生き方が不甲斐なくても、何も言い訳にならない。

今まで何のために逃げてきたのか。何が欲しくて逃げたのか。

自分が本当に欲しかったものは、自分が一番よく知っている。逃げたなら逃げたなりの落とし前として、私はこれからずっと自分を幸せにする責任があるのだと思う。

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