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子(+親つきそい)の入院先を選ぶときに考えたこと

隣県の専門病院へ1週間検査入院した結果、ニンタの病名「グルコーストランスポーター1欠損症」がわかった。国内の患者数はまだ100人にも満たない、指定難病だ。私はまず、難病情報センターのページを、食い入るように読んだ。その後、患者会にも入り、数少ない患者ブログも読んだが、結局、この難病情報センターのページ以上に簡潔、かつ正確に記載されているものはなく、ニンタの病気を説明するときには、相変わらずこのページをプリントアウトして読んでもらっている。これは、患者会の会長さん自らがそうしていると言っていたので、私も下手に資料を自作したりせず、倣っているところだ。

その、患者会。「グルコーストランスポーター1欠損症」と検索すると、すぐに連絡先がわかり、私はメールを送った。相談したいことがあったのだ。

まずは、入院先をどこにするか、という問題だった。私の家の近くにも、グルットワンの食事療法を指導している病院はあった。しかも、なんという偶然か、私の友人の友人、「○○さんはお医者さんなんだよ」と話題にでていた、その人が勤めていて、グルットワンと非常に関係のある研究をしているという。ぶしつけながら、私は直接連絡をとらせてもらい、入院するとどんな指導が受けられるか、細かく教えてもらった。

友人が勤めるA病院。家から1時間くらいの距離にある、大学病院。食事療法の入院は1週間。入院期間中は、実際にケトン食かアトキンス食を食べて生活し、あとは指導された食事を家で作って、通院しながら様子を見ていく。以前お世話になったこともあるので、中の様子も知っているが、都会の病院なので、いたって普通の病室で、こどもが遊べるスペースは少ない。年に1度くらいのペースでケトン食・修正アトキンス食の勉強会も開いていて、レシピ開発など、熱心に取り組んでいる。

そして、先日検査入院したB病院。家からは高速道路か新幹線で3時間。食事療法の入院は1ヶ月(実際は40日かかった)。ケトン食か修正アトキンス食を、少しずつ糖質量を減らしながら導入していく。希望者には調理実習をすることもある。退院後はしばらく3ヶ月ごとに4日~5日程度の入院をし、様子を見ていく。てんかんの脳波測定は、通常30分~1時間ほどの観察だが、ここはてんかんの専門病院なので、24時間の長時間脳波検査を、惜しげもなく実施してくれる。田舎の病院ということもあり、共有スペースが広く、こどもが遊んで過ごしやすい。半年、1年単位の長期入院の患者さんが多いので、入院中に療育指導やリハビリを受けられたり、小学生以上の長期入院では、隣接する学校にも通える。

気持ちとしては、隣県のB病院に行きたい。すでに先生や病院の雰囲気もわかっているし、ゆっくり、手厚く、という印象だ。A病院は研究熱心で頼りがいがあるが、たった1週間で私がこの難しい食事療法を習得する、ということに、とても不安があった。

しかし、ニンタは3人兄弟の真ん中で、小学生の上の子(仮に、いっちゃんと呼ぶ)と、1歳でまだ卒乳したばかりの下の子(仮にミコと呼ぶ)がいる。その2人の面倒を誰が見るのか?なんとか1ヶ月耐えたとしても、その後も繰り返される入院に対応していけるのか?

最終的に、背中を押してくれたのは、その、まだ会ったこともない患者会の会長さんだった。「A病院、B病院、どちらも患者会の人が通っています。どちらにしても問題ないでしょう。悩ましいと思いますが、長いお付き合いになるので、距離ではなく、どちらが信頼のおける病院か、で決めると良いと思います。患者数が少ないので、この病気の知識があるお医者さんは少なく、遠くの病院まで通っている人はたくさんいますよ」。

A病院に勤める友人は、「上司に許可をとったので、まずは予約をとって受診してくださいね」。とまで言ってくれたが、私は相談にのってくれたことにお礼とお詫びを伝え、隣県のB病院に引き続きお世話になることに決めた。

きちんと経験もある、同じ患者さんも多く通っているA病院をやめたのは、ちょっとどうなのかと、今でも思う。年に1度の勉強会にも参加させてもらっていて、さすが都会の病院だ、情報も集まりやすいのだろうと、その参加人数の多さに驚く。

それでも、B病院に決めたことに後悔はない。ニンタの症状を、時間をかけて診てもらえる安心感もあるが、なにより、いわゆる「豆腐メンタル」の私のサポートを全力でしていただけたことに、とても感謝している。療育の先生とも、とてもいい出会いがあった。A病院に行けば、またそこで出会いがあって、どちらに行っても後悔はなかったとは思うが、まあ、とにかく、私らしい選択だった。

同時に、周りには大変な迷惑をかけることになる。前回の検査入院は、冬休みということもあり、いっちゃんとミコは、私の実家にお世話になっていた。しかし今度は1ヶ月。学校もある。そこで、いっちゃんは学校から帰宅後、近所のおうちで過ごしたり、親戚が仕事をきりあげて来てくれたり、と、平日は日替わりでいろんな大人と夕飯を食べて過ごすことになった。ミコも、親戚が交代で預かることになったが、やはり親がいないと落ち着かないのか、すぐに「夜にぜんぜん寝ないんですけど!」という事態が発生する。毎日の睡眠不足で次々と脱落者が発生し、たらいまわしとはまさにこのこと、あっちへ行き、こっちへ行き、となった。私には言わないだけで、体を壊した人もいるかもしれないし、もう想像するだけで、今でも気が遠くなる。人のこどもを預かる、しかも1歳児…。本当に、あのときはミコを引き受けてくださり、ありがとうございました。現世も来世も、皆さんにいいことがありますように…。もちろん、土日のこどもは夫と家で過ごし、留守を無事に守った夫にも、感謝、感謝だ。

ニンタの入院が決まって、いざ出発の朝。前回はニンタと2人で新幹線だったが、今回は夫と車で出発した。1ヶ月の入院となると荷物も多いし、夫も主治医から直接話を聞いた方が、安心感があると思ったからだ。

病院に着き、入院手続きを終えると、荷ほどきをして、巣を作る。長期入院の多いこの病院では、こどものおもちゃ、食事、洗濯など、それぞれのスペースに、おうちの機能をそっくりそのままぎゅっと詰め込んで、皆さん巣作りをして生活している。私も前回の入院でそれを学んで、思いつく限りのものを持ち込んだ。

次に、主治医のヤマ先生(仮名)との面談。物静かで何事も動じない。動かざる事山のごとし。で、ヤマ先生。最初の挨拶を終え、ヤマ先生が話し始めようとする前に滑り込んで、夫はまず言った。「このたびは、ニンタの病気を見つけてくださり、ありがとうございました」。いいこと言った。ナイスプレー。その通り。まだ日本に100人も診断されていないこの病気を、もしかして、と疑って、見つけてくれたヤマ先生。その後もずっとお世話になっているが、会う度に、質問責めと悩み相談で、最後に「いつもありがとうございます」くらいは言っているが、改めてお礼を言ったのは、この時くらいかもしれない。夫はこの一言を言うために来たのだな、と後々になって思うくらい、大切な挨拶だった。

その次が、栄養士のアメ先生(仮名)。栄養士というより気象予報士、お天気コーナーのお兄さんをやったら人気が出そうな優しい風貌だから、アメ先生。ヤマ先生との面談も大切だが、これから始まる食事療法は、アメ先生との二人三脚になる。私はこのとき、まだ予習も全くない状態で、どんな食事内容なのか、さっぱり分かっておらず、何を言われるのかと緊張していた。

「では、食事療法の基本的なやり方をご説明します。ケトン食とアトキンス食がありますが、ニンタさんはアトキンス食でとお聞きしています。一生続けるものではなくて、ある程度効果が出たところから数年…」私はアメ先生の言葉を遮った。「ニンタは、グルットワンなんです」。「あっ、すみません」。アメ先生は、資料を並べた後、表情を固くして、もう一度小さく言った。「すみません」。私は自分の言葉が頭に響いていた。「ニンタは、グルットワンなんです」。ニンタは一生、普通の食事は食べられないんです。それは私にとって、まだ受け入れ難い、残酷な事実だった。

アメ先生から聞いた食事内容は、私が想像していたものより、ずっとずっと厳しいものだった。主食やお菓子が食べられないのかな、くらいに思っていたが、牛乳もトマトジュースもダメだという。「料理に少し使うくらいなら良いのですが、飲み物としてゴクゴク飲んでしまうと、かなりの糖質量になります」。ニンタはお茶をあまり飲まないので、水分をとらせるのにとても苦労していた。その水分を補うのが、好物の牛乳とトマトジュースだったのだ。果物もニンタの好物で、おやつはお菓子よりも果物、という生活。特にバナナを入れたヨーグルトは定番で、バナナもヨーグルトもダメとなると、便秘がちのニンタは、かなりの苦戦を強いられることになりそうだった。そのほかにも、粉類を使った揚げ物がダメだとか、調味料も糖質が入っているとか、野菜も葉物よりは根菜類が糖質が高いとか、初めて聞くことばかりでクラクラする。

これ、無理じゃない?

2年続けてみた現在、わかったのは、ケトンが作られやすい人と作られにくい人がいて、効果の出やすさは個人差があるということだ。また、障害の程度も様々で、大学を卒業するまで気付かなかったという人もいれば、歩くことが出来ない人もいる。

個人個人、いろんな条件があるので、とりあえず1番厳しい食事制限から始める。そして効果が見られたら、ケトンの値と先生がにらめっこをしながら、効果が期待されるギリギリのところまで、食事制限をゆるめていくのだ。

最初は厳しいけどだんだん楽になりますよ、ということは誰も言わなかった。その患者の体が、どれだけケトンを作り出せるか、未知数で、安易に楽観的なことは言えないからだと思う。幸いにも、ニンタはケトンが出やすい体質だったらしく、現在、食事制限は徐々にゆるめられていて、おかずに関してはほぼ家族と同じ食事をしている。イモ類と粉類は使わないようにしているが、慣れてくるとそれほど困ることもない。さらには、患者会で知ったが、もっともっとゆるい制限で暮らしている人もいて、ああ、いいですねえ、と羨望の眼差しで話を聞いている。

その一方で、ニンタが始めたときと同じくらい厳しい食事制限を続けている患者さんも居て、「だんだん楽になりますよ」と誰も言わなかった厳しい現実も、ひしひしと感じるのだった。

食事制限がゆるめられて、だんだん楽になる、ということは誰も言わなかったが、「食事を作るのに慣れてだんだん楽になる」ということは度々聞いた。初めはどういう意味かさっぱりわからなかったが、なるほど、人はこうしてサボることを覚えていくのですね、と、今は思っている。

B病院に、1つだけ不満があるとすれば、「サボりかた」を教えてくれなかったことだ。私が煮詰まったときに、もっと簡単なメニューを教えてほしい、と言って出てきたのが「ミックスシーフードとキャベツの酒蒸し」とかで、材料のひとつひとつ、キッチリグラム数が書いてあって、違う!もっとこう、計量しないで作れる、オラ、食え!みたいな5分でできる食事のことですよ!と、心の中で叫んだ。ネットで見つけた「とっても簡単♪お鍋ひとつでカラフルリゾット」の一行目が「ミニトマトを湯むきして…」だったときの気持ち。もう、湯むきが簡単とか言う人とはわかりあえない。アメ先生は料理のスペックが高すぎ。

そういうわけで、手間のかかる料理をする余裕がないのに、もともと生真面目なところがある私は、しばらくは病院で習った料理を、醤油の一滴に渡るまで全て計量して作り続け、サボり方を見つけるまでにとても苦労した。A病院でもB病院でもないが、積極的に手抜きを教えている病院もあると患者会で知ったときは、アメ先生ー!と天を仰いだものだ。

けれど、この最初に「全部きっちり計る」というのは、無駄ではなく、人参20gはだいたいこのぐらい、とか、なんとなくの感覚を覚えるのに役立った。

そして、また成長と共に、体調の変化で食事制限をきつくしなければいけない時が来るかもしれず、もし、その時がくればこの経験もまた役に立つだろう。役に立たないでほしいが。

ヤマ先生、アメ先生との面談が終わると、夫はじゃあね、と帰って行った。最初の1週間は、食事制限を始める前の状態をチェックする検査が続くと言う。普通の食事が食べられるのはあと1週間か…。最後とわかっていても、何もできないもどかしさ。一応、ニンタには繰り返し説明はしたが、わかっているやらいないやら。最後の晩餐になるかもしれない、病院の普通食も盛大に残し、おままごとする、歯磨きはイヤ、と相変わらずのマイペースで過ごしているニンタだった。



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