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ユメ先生はいつまでも待つ

ニンタ4歳。発達の遅れを引き起こしていた病名が発覚。その治療を、遠方の病院ですることを決めたのは、療育やリハビリが同時に受けられるから、ということも大きかった。

食事療法「修正アトキンス」の効果が現れるのは、最低でも3ヶ月かかると言われていた。もしかしたら、発達が進むかもしれないし、不機嫌な時間が減るかもしれない。かもしれないけど、少なくとも3ヶ月後。

食事療法の導入は40日間。つまり、その間には効果が見られないということだ。ご褒美のない、ただ苦しいだけの40日間の入院。

4歳のニンタは1~2年の発達の後れがあった。それを考えると2歳児のイヤイヤと思えばいいのかな、とも思うし、脳に栄養が届きにくい病気だから、頭がぼうっとしたり、痛みがあって、不愉快で暴れるのかな、という気もするし、その両方という気もするし。

とにかく、ニンタはとても手の掛かる子だった。遊んでいる途中で、終わる時間だよ、と言っても終わることができない。オムツはとれていない。気に入らないことがあると暴れる、大声をあげる。遊ぶのも食べるのも1人ではできない。

発達の検査をすると、ニンタにとっては難しい問題が出る。積み木をお手本通りに積むことや、たくさんあるドアの、どこに花があったかを覚えて答えるもの。分からなくなると、わざとふざけて滅茶苦茶なことをしたり、グズグズと嫌がって席を立とうとしたり、私に助けを求めようとする。毎回検査の結果は散々なもので、年齢を重ねるごとに、同年齢の平均からかけ離れていった。

入院は、ニンタに厳しい食事制限をするので、一番つらいのは、食事だった。そして、二番目につらいのが、手のかかるニンタと一日中向き合わなければいけないことだ。

遊びに付き合うのも大変だが、トイレや歯磨きも嫌がるし、薬を飲むのも嫌。寝る時間だよ、と言っても、部屋に移動するのも嫌がる。最初は辛抱強く声をかけるが、最後にはもう限界!と力ずくで抱えたり、抑え込んだりして、泣き叫ぶニンタに言うことを聞かせるしかなかった。

そして、私とニンタは、ユメ先生から療育の授業を受けることになる。療育の授業は、私とユメ先生の面談(つまり、悩み相談)と、ユメ先生とニンタがマンツーマンで行う授業を私が見守る、二種類があった。

ユメ先生とニンタの授業は、おままごとやビーズあそびなど、ニンタの好きそうなものをやるが、好き勝手に遊ぶのではない。遊ぶ順番を最初に決める。遊び方を決める。遊びが終わったら、最後に、シールを1つ選んで、カレンダーに貼る。そのルールは絶対で、ユメ先生はそのラインをかなり厳格に守った。

一番大変なのは、終わり方だった。それじゃあ終わりましょう、と挨拶しても、ニンタは寝っ転がってなかなか帰らない。1つしかもらえないはずのシールを2つ握って離さない。私なら力ずくでシールを奪い、抱えて帰るところだが、ユメ先生は、ニンタとかなり時間をかけて話し合い、新しい提案をし、必ずニンタが自分から動くのを待った。それは、途方もなく長い時間になることもあった。

私も、地元で長いことニンタに療育を受けさせてきた。事前にきちんと説明してから遊ぶことや、嫌がるときには無理にさせず、じゃあこのお人形さんと一緒にやろうか、とか、ニンタがやりたくなる工夫をする場面を見て、学んできたつもりだ。

それでも、日常生活で、それが出来ていたかと言うと、まあ、散々だ。分かってはいるけれど出来ていない。私は、入院という特殊な環境で、自分の辛抱のなさとも、向き合うことになったのだ。

ユメ先生はとても優しい先生だったが、とにかく、ぶれない。待つ。提案する。その繰り返しだ。ユメ先生の姿勢に私は感銘を受けて、私は面談の時間になると、熱心に話を聞いた。

「発達の基本はスモールステップです。少し頑張ったら出来るようなことに挑戦してもらって、出来たら誉める。出来たことは自信になります。それを繰り返して、少しずつ出来ることを増やしていく。とにかく、その繰り返しなんです。

例えば、公園で遊んでいて、時間だから帰ろう、と言っても、まだ遊びたくて帰れないときがありますよね。そこで、かけっこ競争をしながら帰ろうか、という提案をしたら、気持ちの切り替えができて、帰れたとします。家に着いたときに『自分で帰って来られたね』と誉められると、それはその子の自信になる。けれど、力ずくで抱えられて、泣きながら帰ったとすると、本人も、帰らなければいけないことはわかっているので、悲しい気持ちが残って、自分は出来なかった、自分には無理なんだ、と自信を失うんです」。

私は、今までニンタに力ずくでやらせてきた数々のことを思った。その一回一回、ニンタは自信を失って、その積み重ねの姿が、今ここにある。順調に発達が進む子なら、そのうち言葉だけで理解するようになるかもしれないが、何しろニンタの発達はゆっくりなのだ。

しかし、言うは易く行うは難し。ユメ先生の言う通りに、待ったり提案したりしてみるが、時間が差し迫っているときや、気持ちに余裕がないときは、すぐに私は「力ずくの鬼母」になった。

「ユメ先生、やっぱり無理です。昨日も歯磨きを嫌がって、消灯時間が近付いていたので、無理矢理押さえつけて歯磨きをしてしまいました。ニンタは、ぎゃーっ!と叫び声をあげ続けて泣いて、もうそうなると後は何も話せるような状態じゃなくなります。引きずって洗面所まで連れて行って、また無理矢理口をゆすがせました。どうしたら私でも、ニンタが自発的に動くまで待てるようになりますか?待ったり提案したりしている間、ユメ先生はどんなことを考えているんですか?」

「どんなことを考えてるか、ですか…。うーん、次のアプローチを考えてますかね。お人形がダメだったら、明日何して遊ぶとか、先の話をしてみようとか、それがダメなら私が先にやってみせるとか。いろんな作戦を立てることに集中してるので、はやくしなきゃ、という焦りはあまりないかもしれません。

それから、ある程度の諦めも必要かな、と思います。消灯時間は守りたいけど、数分だったら周りの人もわかってくれたかもしれませんよね。真っ暗になったらニンタさんも諦めて歯磨きをしたかもしれません。口をゆすがせたい気持ちもわかりますが、歯磨き粉を飲んでも死にませんから、ニンタさんがパニックになっていたら、それは諦めて落ち着くまで待ってもいいかな、と思います。

ニンタさんは、いろんなことがわかっているので
、常に葛藤しています。歯磨きしなきゃいけないけど、やりたくない。それでぐずぐず寝っ転がったりしてますよね。そのときは、まだいろんな提案や声かけが心に届くと思います。ただ、その後、無理矢理押さえつけて歯磨きをしたら、ギャーっと泣いてパニックになった。そのときはニンタさんのシャッターが、ピシャッ、と閉まった状態なので、こちらの声は届きません。そのときは待つしかないですね。

根気のいることなので、いつも完璧にできることはありません。失敗しても自分を責めないでください。それから、ニンタさんにさせることの優先順位を考えて、諦められるところは諦めた方がいいと思います。歯磨き粉を飲んでも死なない、というように」

私とユメ先生はたくさんの話をしたが、この「歯磨き粉を飲んでも死なない」という話が一番強烈に残っている。諦められることは諦める、ということはすでにわかっていたが、ユメ先生は、歯磨き粉まで諦めちゃうの?ということが、衝撃だったからだ。

私は、少しずつではあったが、ニンタへの態度を改めようとした。もともと、スケジュール通りに動きたい、生真面目で自己中心的な私にとっては、価値観をがらっと変えなければいけないことも多かった。

それでも、出来る限り頑張ろう、と思えたのは、私がユメ先生を尊敬していたからだ。ユメ先生は私に高圧的に指導することはなく、ただ、自分の背中で、ニンタへの接し方を教えてくれた。そして、私が困って質問したときだけ、自分はこう思う、と専門家として教えてくれた。

40日間の入院を終え、自宅に帰ったとき、私は最初に「もう入院前の私には戻れないんだな」と思った。40日間で、私の中身がすっかり入れかわってしまったように感じたのだ。40日前と同じ家にいる、40日後の私は、まるでタイムマシーンに乗って訪れたような違和感があった。

40日前に、好きなものを自由に食べていたニンタはもう居ないし、ユメ先生のおかげで、ニンタには膨大な「待つ時間」が必要だということを、身にしみて学んだ私もいた。

40日前、私はニンタをなんとか自分の思い通りにさせようと、試行錯誤していた。でも、この入院で、ニンタが自分で悩み、考えて行動していることを知った。いや、前から知識としては知っていたのだが、今回は体で学んだのだ。自分がイライラしているときは、「もう嫌!」と投げだしてしまうが、いつでもユメ先生の教えに戻ってやり直すことができる。私が、そんな大変なことは忘れたいと思ったとしても、もう自分の意志ではなかったことにできない、強烈な体験だった。

その後、どのくらいの期間、辛抱強くニンタのスモールステップを支えていたかは覚えていない。食事を外で食べたいと言えば、キャンプ用の椅子を出して外で食べたこともあった。我が家には庭がないので、家の駐車場で食事を食べる様子を、通学路の小学生が、不思議な顔をして見ながら、真横を通り過ぎていった。

その後、食事制限の成果が現れたのか、スモールステップの効果があったのか、徐々にニンタは暴れることがなくなり、時間だよ、と言うとしぶしぶ動くことも増えてきた。今では、特に意識することなく生活していて、ニンタが嫌がることを無理矢理させなくてもよくなったと思う。

平均値に追いつくことはないだろうが、発達検査で、初めて4つの積み木をお手本通りにトンネルの形にできた時は、涙がでそうだった。

「発達検査の数値としては、物足りないかもしれないけど、お母さんに助けを求めることが少なくなったり、分からない問題のときに感情が崩れなくなったり、全体的に落ち着きがでてきたと思います」という心理士のコメントには、私も納得だった。

印象的な出来事がある。ニンタが家で昼寝をしていたとき、突然雨が降り出した。いっちゃんは傘を持っていない。少しだけなら、と、私はいっちゃんを迎えに行った。もしニンタが起きたら、泣いて騒ぐだろうから、急いで家に帰った。

家に帰ると、静かだ。良かった、間に合ったと思って二階のリビングに行こうとすると、ニンタは黙って階段に座っていた。

「ニンタ、起きてたの?ごめんね、今いっちゃんのお迎えに行ってたんだ、雨が降ってきちゃったから…」「うん、ニンタね、待ってたの。ここで、ちゃんと待ってたの。えーん、ってしなかったんだよ」言いながら、ニンタの目からぼろぼろと涙がこぼれた。「ごめんね!えらかったね!」私はとても驚いていた。ニンタが、こんなに我慢強く、冷静になったとは。

ニンタはこの春、小学生になった。支援級という、発達の遅れをサポートしてもらうクラスに入っている。同年代の子に比べると、出来ることも少ないし、手もかかるが、あのときに比べると本当にニンタは成長した。

ニンタの成長を喜ぶとき、私はいつもユメ先生を思う。我慢強く、ニンタの力を信じて、待ち続けてくれたユメ先生のことを。

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