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おもちゃの指輪も、きらきらひかる。

何度も結婚離婚を繰り返し、更に披露宴も盛大に開くと、冗談半分で「ご祝儀返しなさいよ」などと言われると聞く。

本当にそんなことを言った、言われた人が居るのかどうか、お会いしたことがないのでこれは都市伝説なのかもしれない。

けれど、自分が離婚すると決めると、じわじわと私達の結婚を喜んでお祝いしてくれた人達の事が思い出される。

ご祝儀云々と言う友人や親戚がいる気はしないけれど、私達も自分たちの出来る範囲で、しっかりと披露宴をやったので、そこに列席してもらい、心からおめでとうと送り出してもらった先に、散々な生活が待っていたのだとしたら、祝福した側だってやりきれないだろう。

そんなことはありませんよ、と一人ひとりに言いたいけれど、残念ながらそういう機会もないので、一つ書いてみようと思う。

私は夫の性格も外見もとても好きで結婚し、これ以上ないくらい幸せな気持ちで新生活をスタートした。

夫は穏やかな性格で声を荒らげることはないし、仕事熱心であるし、子供が大好きだ。

外出した時などは、女性をエスコートすることを良しとしているので、離婚を決めた今でも、デートだけする相手だったら楽しい人だろうな、とさえ思う。

けれども、結婚という制度において他人と暮らす、という事には向いてないようで、いろいろとアウトな事があったし、また、夫は夫で、私の事を至らぬ人間だと思っていただろう。

家を買うときや子供の晴れの日など、大きなイベントでは、同じ気持ちで同じように、家族の幸せを楽しんでいたと思う。

しかし、暮らしというものは、平凡な日常がほとんどで、しかも子育てという地味で根気のいる作業を伴走する相手としては、夫は才を欠いていた。

でも、ここまではよくある話で、文句を言いながらも共に暮らしていくのが夫婦というものだろう。

そういう意味では、平凡な家庭だったと思う。それを幸せと言うのかもしれない。

長年連れ添う中で、『夫婦の危機』なるものが起こるのは、めずらしくない。ただでさえ暮らしのパートナーとしてうまくやっていけない中で、更に夫のやらかしがあって、私達夫婦の形はどんどん崩れていった。

そしてその時、この崩壊を止めるには、過去の自分が絶対にしなかったような選択、自分の信条を曲げてでも、夫婦という関係を維持しようという努力が、夫と私のどちらにも必要だと思った。

それが出来るか出来ないかが別れ道で、もし夫がプライドを捨てて修復する努力を続けていたら、私は夫を見限ることが出来なかった。

私は私で、夫が何をしても許すという覚悟があったら、関係は維持されたかもしれない。

私達夫婦には、それがなかった。

この世に『真実の愛』なるものがあるのかどうか、私にはわからない。

ただ、人間関係というのはそれぞれに耐久性があって、私達夫婦の耐久性は15年だった。それまでの話だ。

耐久性に優れていれば、又は、命尽きるまで添い遂げれば『真実の愛』なのかと言うと、それはそう簡単に判断出来ることではないと思う。

逆もしかりで、耐久性がなかったから、そこに愛はなかったのだ、とも言い切れない。

ただ、最後の最後で頑張りきれなかったという点において、私達夫婦はその程度の関係性だったのだな、とは思う。

私と夫の関係性を思う時、私はこどもの頃にお祭りの出店で買ったおもちゃの指輪をイメージする。夫がおもちゃの指輪だと言いたいのではない。私達夫婦の関係性が、おもちゃの指輪に似ている。

こどもの目に、宝石を模した指輪は、ハロゲンランプの灯りに照らされてキラキラと光り、自分のお小遣いで、このうちのどれかを手に入れられるのだと思うと胸が高鳴った。

メッキで金銀に塗られたワイヤーは、簡単に曲がってしまうし、透き通って輝く石のようなものは、プラスチックか色ガラスだと、こどもだって知っている。

でも、生まれて初めて手にする自分の指輪を眺めて、それが本物かどうかとか耐久性がどのくらいなのかとか、そんなことはどうだって良かった。今目の前にあって、デザインがとても気に入って、手に取りたい、そのわくわくする気持ちが全てだった。

私が手にした指輪は、おもちゃの指輪だったので、すぐに壊れたし誰かに誇れるものでもなかった。プラチナだったら良かったかもしれないけれど、自分が好きで選んだのだから仕方ない。

でも、その指輪を手にした時の喜びは本物だったし、素敵な指輪だと思って身につけていた期間の事は、悪しき思い出などではない。

結婚生活は、良い出来事は良い記憶として、壮絶だった暮らしは壮絶だった記憶として、そう、例えば「中学時代は友達に恵まれて楽しかったけれど、体育祭は苦手だったので練習期間からずっと憂鬱だった」のように、特に何点と点数をつけることもなく、良い事も悪い事もそのまま私に刻まれている。

あえて、総評するとすれば、一度きりの自分の人生で、結婚して家庭を持ち、そして自らそれを改変する、離婚する、という経験が出来たのはとてもラッキーだったと思う。

夫婦の形が崩れてから、離婚調停にこぎつけるまでの作業は、私にとって、地面に固く埋まった大きな岩を掘り起こすような、長く苦しいもので、そして最後の最後は馬鹿力も必要で、とても掘り起こせないと何度も思った。

でも、ゴロンとその大岩を掘り返した時、この先どんな苦しいことがあってもやっていけるという自信にもなった。

おもちゃの指輪を買ったのも素敵な経験だったし、大岩を掘り起こしたのも、人生の大切なイベントになった。

その一連のスタートに、たくさんの人が立ち会ってくれたことに、今は更に感謝が高まっているし、経験出来て本当に良かったと思う。

単純に、結婚式や披露宴はとても楽しかったし、みんなにライスシャワー代わりの花びらを投げてもらって、あれは夢みたいに楽しい時間だった。

結婚式のアルバムで笑っている私は、15年後の現在、もうすぐ離婚する。思っていたより短かったなあ、とは思うけれど、あの時おめでとうと送り出してくれた皆さんには、本当にありがとうございました、と改めて言いたい。

おかげで今、幸せです。15年前の私にも、結婚という道を選んでくれてありがとう、と伝えたい。

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