見出し画像

義務教育の限界

ニンタは知的障害があるので、支援級に所属している。現在小学校4年生で、中学になってもそれは変わらないのだけれど、先日中学の支援級を見学する機会があり、そこでずっと私が我慢していた何かがバーンと弾けてしまった気がしている。

中学では、小学校よりも更に支援の手が薄くなると聞いていた。なるほど、言われた通り、交流級との行き来は減ってしまうし、規則も多くなる。

そして小学校よりも更に長時間になる授業時間、障害のある子がみっちりと勉強するには無理があり、私が見学した時、支援級の生徒達は「活動の時間」として、中学の裏庭の落ち葉を集めて掃除をしていた。

小学校でも、支援級の子だけで畑で野菜を作ったり、楽しみと学習を兼ねたような時間を過ごすことはよくあった。私はニンタに勉強を詰め込む必要性も感じていなかったし、それで良いと思っていた。

だけれども、中学では「畑仕事の時間が多すぎる」とクレームが入ってしまうほどの状況であると聞いている。私が見学した際も、裏庭の掃除をしている生徒達の顔は、苦でも楽でもない、無、であるようにしか見えず、数年後にニンタがここに来ると思うと胸が痛んだ。

これが今の学校の限界なのだろう。限られた人員で、障害の程度も様々な生徒達全員を満足させるような、素晴らしいカリキュラムを毎時間用意出来るわけもない。

もちろん、毎日掃除をしているわけでもない。ただ、私が見学した時間がそうだっただけのことはわかっている。

それでも…。どうして、ニンタはここで裏庭の掃除をしなければならないのか。ニンタにはもっと好きな事もやりたい事もあって、好きな勉強だってある。でも交流級の教室に行っても授業は理解できない。サポートもない。

ニンタに、選択肢はないのか。

私立は調べたけれど、このあたりで知的障害を受け入れている私立はない。養護学校は定員オーバーで門前払い。

だとしたら他に考えられるのは場所しかない。ここは、夫の勤務先に近く、お互いの実家にも行きやすいというだけで選んだ場所。いい場所ではあるけれど、なにせ人が多すぎる。ニンタはこどもだから順応していくかもしれないけれど、私はもう息が詰まってしまって、苦しくてどうにもならない。

夫とは離婚調停が進んでいる。私はまだ仕事に就いていない。ここに居なければいけない理由はないのだ。不満を抱えたまま何もしないでいて、私はいいのだろうか?

どこか、他の所へ。他の所を見たい。こうやって息を詰まらせて生きていかなければいけないのか、本当にこれしか答えがないのか、やるだけやりたい。もしも答えが見つからなくても、一旦私が息をしたい、ここではない所で。

山村留学を希望したのは、主にいっちゃんの不登校が動機であったけれども、そういう第二の動機というものがあった。

ニンタ本人も学校はつまらない、勉強はつまらない、と言う事があって、「まあ勉強というのはつまらないものですよ」となだめていたものの、勉強がつまらなすぎて人生詰みそうになっているいっちゃんを見ていると、そう呑気な事も言っていられない。

昭和のような鬼教師はいないけれども、代わりに金八先生も居ない。クレームが来ないように、問題が起こらないように、改善と改悪が表裏になって膨大なルールがあり、私から見える今の学校って、なんだか優しい軍隊のようなのだ。

私はこどもの頃からこんな事を思っていたわけではない。私は義務教育の勉強も行事も全て用意されたように遂行し、用意された学生の王道を歩けば、それほど大変なことはなかった。先生に反抗心など持ったことがなかった。

ところが、保護者になった途端、謎の校則にも障害児への塩対応にも戸惑うばかりだった。不登校と障害児と吃音、三人三様のマイノリティを育てている、という事も大きいかもしれない。

私はブルーハーツの世代で、学生時代にその音楽は染み付いているけれど、「先生、三角定規じゃ測れないものがあります」という歌詞に涙が出たのは40過ぎてからだった。遅れてきた反抗期。

先生は忙しくて、決まりは多すぎて、困っている私達親子に関わっている場合ではない。

私もさすがにこの年齢で、学校の事情はわかるから、全てを諦めて学校に期待せずに通わせ続けたとして…。でも、その結果、こどもを潰すわけにはいかないのだ、親として。

いっちゃんの希望もあって、山村留学は一年としている。短縮も延長もできるけれど、とりあえず。

そうすると、いっちゃんはおそらくどこかへ受験をして高校生で、とりあえず義務教育問題からは卒業だ。

でも、ニンタは六年生で、ニンタの義務教育問題はあと四年続く。障害児の卒業後の進路はこれまた問題山積なので、一年山村留学に行っても何も解決はしない。

ミコはフレッシュな一年生で、まだ学校への不適応を見せていないけれど、いっちゃんだって一年生の時はキラキラと顔を輝かせていたのだから、ミコも成長と共にいろんな問題にぶつかるだろう。

一年後に、私はどうしよう。

いきなり移住する勇気も知識もない。でも、この先はわからない。

ここで生きていくとしても、このまま全てを諦めていきたくないし、もしどうしても無理であれば、こどもにとってより良い環境を求めて引っ越す選択肢も持っておきたい。それを考える一年にしたいと思っている。

出来れば、山村留学の地で、何かお土産を持って帰ってきたいと思っている。特別な障害児支援体制がないという事は、デメリットもあるし、強制的にインクルーシブになるというメリットもある。きっといろいろ気付きがあると思う。

障害児をとりまく環境が、このままではいいとは思っていないのに、どうやって学校と交渉していったらいいのか、何を提案したらいいのか、私には手札がなくて、だからその手札を少しでも増やして帰って来たい。

学校と対立せずに一緒に改善をしていく力をつけるか。それとも、安住の地を求めて引っ越すか。

今回の山村留学もそうだったけれど、1年後、或いは数年後に私が決断するというよりも、子どもたちに押し動かされるように、全てが決まっていくような気がしている。





サポートいただけると励みになります。いただいたサポートは、私が抱えている問題を突破するために使います!