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助走からガードレールを飛び越えて2車線向こうに着地できそう

夫と別居して一年半が経ち、その間、とにかく問題が尽きなかった。

最初の数週間だけだったろうか、夫が平穏だったのは。

約束していた婚姻費用は、すぐに半分以下しか支払われなくなり、攻撃的なメールが日を置かず送られてくるようになった。

そして、夫は家の鍵を持っているので、留守中にあがった形跡があって、大切な書類は持ち去られるし、時には私の衣服だけが何着もクローゼットから放り出されていた。その他いろいろあったが書ききれない。

私は疲弊した。こどもたちが全員帰ってきて、ドアにチェーンをかけると、やっとほっと出来る。日中も、階下でカタンと物音がすると、夫が何か用事で来たのかとビクっとする。

おとうさんが大好きなこどもたちの事を思えば、夫が徒歩5分もかからない場所に別居したのはいいけれど、これではストーカーに怯えている暮らしと変わらない。



夫は離婚を望んでいないのに、修復の為の話合いには応じないし、かと言って、嫌がらせをしたその先に復縁があるわけもないのに、攻撃的でいることがやめられない。

結婚した責任として、私は夫を幸せにしたい、もしも離婚したとしても、その先も幸せであるようにしなければならないと思っていたけれど、そのためには夫が自分の力で立ち上がるしかなく、私に出来ることはもう終わったんだと思った。

別居しようと決心したその時は、離婚について具体的な考えもなく、とにかく家庭内別居状態から抜け出したい、こどもとの暮らしを健全に回したい、その一心だった。

そして、もしかして距離をとることで、お互い遠慮しあって、気遣いあえる関係になるかもしれない、などとも少しだけ思った。

それがどうだ、悪化している。

無理なんだろう。夫にはプライドを捨てて生き直す力がない。自分がしてきたことを詫びる人生はどうしても選べない。

少なくとも、私が相手では。

別居から半年ほど経った夏、私は図書館で「離婚調停」というタイトルの本を借りた。貸出手続きをした後、エコバッグに入れて、酷暑の下へ出る。

ハードカバーのしっかりした重みを肩に感じると、私はナイフを隠し持っているようにソワソワとした。

こどもにはまだ話していない、この本は見られてはいけない、という理由だけではない。離婚について真剣に考え、私なりに調べるうちに確信してしまった。

私は必ず離婚出来るし、こどもとも変わらず暮らせる。現在の日本では、そういう事になっている。

私はこの本で、確実に夫に最後の一撃を刺してしまうことが出来るのだ。それが怖くてたまらなかった。

でも、私はそうしてでも生き残りたい。夫も、私と別れた後に必ずやり直せる。今はそう信じるしかなかった。

離婚調停も一人で出来ないことはない、と思ったけれど、周りの勧めもあって、別居一年を迎える頃、弁護士さんと契約してお任せすることにした。出来ないことはないけれど、ストレスが大き過ぎて、一人で耐えられる気がしなかった。

結果、弁護士契約したことは、大きな出費を考えても大正解だったと思う。ここを契機に生活がガラっと変わった。

弁護士さんから夫へ連絡をとるタイミングに合わせて、鍵を交換した。これで留守中に家を荒らされることもない。お風呂もいつでも安心して入れる。

夫はもちろん、とても怒った。私は夫からの連絡を全てブロックしていたので、こどものスマホに長文の抗議メールが届いた。でも、弁護士契約したことも同時に伝わっていたので、危害を加えられる事はなかったし、怖くもなかった。いざとなれば警察を呼ぶようにとも言われていた。

鍵を交換したのと同時に、こどもたちにも離婚することを宣言した。
「おかあさんは、おとうさんと離婚することにした。でも、みんなは名前も変わらないし住む場所も変わらない。みんなはおかあさんと一緒に住む。おとうさんともいつでも会えるし、お金に困ることもない。みんなにとって、おとうさんはずっと家族。でも、おかあさんとおとうさんは、もうすぐ、家族じゃなくなる。それで、これから、おかあさんとおとうさんは、トランプをするみたいに、家はどうするかとかお金をどうするかとか、話合いをしなくちゃいけない。その時に、トランプのカードを見られたり、盗まれたりすると、おかあさんはすごく困るの。だから、家の鍵も変えた。おとうさんが家に入れてって言っても、おかあさんがダメって言ったからダメだよって断ってほしいんだけど、出来るかな?」

『おおかみと七匹のこやぎ』のような話を、こどもたちはびっくりするほどすぐに納得した。

これから、いろいろと思うことがあるかもしれない。でも、とりあえず親の離婚をするりと飲み込んでみせたこどもの柔軟性を見ると、私が元気で暮らせていれば、なんとかなるような気がした。

そして、これまでこそこそと進めていた離婚準備を、こどもたちに公に出来て、私はとても安堵した。家の中に隠し事がないというのは、なんと気持ちの良いことか。

夫は弁護士さんからの連絡にはほぼ応じず、おそらくこのまま調停になる。裁判にもつれこむかもしれないけれど、どういう経緯を辿っても、どれだけ時間がかかってもいい。

だってもう、私が私を取り戻したのだから。夫の不機嫌に怯えたり、期待しては絶望する繰り返しからもう抜け出した。

これからは、こどもと私がどうやって楽しく暮らしていくかだけを考えればいい。

若い頃、何か新しい事を始めようとして興奮しているときや、グズクズと悩んでいることをスパっと諦めた時、沸き起こるイメージがいくつかあった。

それはアニメのよくあるシーンに似ていて、電車の改札を通り抜ける時に、猛スピードで低空飛行するようなイメージだったり、原付きの運転をしながらそのままの勢いで空まで駆け上がるようなイメージだった。心から湧き上がる気持ちを『空も飛べるようだ』などと表現するけれど、まさにそれが、私が長いトンネルを抜けた合図だった。

そして、本当にひさびさに、今の私にはそのアニメのようなシーンが頭に浮かぶ。急いで改札を通り抜けることもなければ、原付きに乗ることもない、淡々とした暮らしをしている今の私の場合は、公園や街中を歩くときに、自分がパルクールのように障害物を軽々と自在に乗り越える絵が浮かぶ。

もちろんこの年齢でパルクールなど出来るはずもないのに、出来るような気がするほど心が自由に動き回っている。

もう大丈夫。独身時代の元気なあなたはどこへ行ったのと、友達に心配され続けてきたけれど、戻ってきた。

だだいま、みんな。

帰ってこられた。

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