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「私って○○な人」の呪い

最近私、ビジネスネクラみたいに思われてるんじゃないかなって心配なんだけど、あ、全くそんなことない?じゃ大丈夫だわ、HAHAHAHAHAHA(乾いた笑い)

私実際そこそこのネクラなんですけどね、
コミュ障でネクラでHard to liveって感じなわけですよ。

時々ネクラ成分が溜まりすぎて解毒が必要になった時に、
カウンセリングに行ったりするんですけど。

ちょうどね、会社の評価の時期が終わった頃で。
私評価の時に大体毎回「消極的」とか「もっと目立った方がいい」みたいなこと言われるんですよね。

でもできないんです。
普段からそんなに喋る方じゃないし、どちらかというと聞いてる方が楽だし、
そんなに主張したいってタイプでもなくって。
仕事じゃそういうわけにもいかないのね。

今回もそんなことを言われて、そういう話を先生にしてたんですけど。

「私って消極的だし、熱意がないタイプだから、何やってもあんまりうまくいかないのかなって思って・・・」

ざっくりいうとそんなことを話したら、先生からこう言われたの。

「ネクラちゃんって消極的だっけ?そんなイメージはないけどな」と。

…え?何十年もそう言われてきましたよ…?
親にも、ピアノの先生にも、前の会社の上司にも、
控えめで目立たないと…。


私実は、音大を目指してピアノを習ってたんですけどね、
途中でまぁ挫折して、普通の大学受験に切り替えたんですよ。
ピアノのために友達とも遊べなかったし、
今でも憧れる、部活で青春なんてこともなかったし、テレビも見られなくて、
ひたすらピアノの前に座らせられる日々だったからね、
「こんなに辛いけど、私にはピアノがあるんだ」
っていうのが心の支えだったわけなんですよね。
友達とも共通の話題がなくて、孤独感が半端なかった。

だからそれをやめるっていうことは、
当時18歳くらいだったから、人生の約8割を費やしてきたものと手を切るってことで、それはもう、自分の人生そのものを否定するみたいな感じだったのよね。

結局、私はピアノを完全に辞めて、私立大学受験を目指すわけなんだけど。

その選択は「消極的」なものだったか?って先生に聞かれて。

確かに、それは消極的じゃないのかもって。

消極的だったら、そのまま続けて適当な音大に入るとか、そんな選択をしてたかもしれなくて。
なのにあえて大変な道を目指したことって、
私って本当に消極的なんだろうかと。

思えば、一人旅とかもいったりするタイプで、
1人でバックパックひとつで海外を旅してたこともあった。


そうやって振り返ってみると、私がなんで自分のことを消極的だと思うかって、

他人にかけられた言葉が私(の自己認識)を作ってる

っていうことかなって思ったんだよね。

遡れば親に言われたこと、学校の先生に言われたこと、そんな言葉が私ってこんな人、を作ってたりしないかなって。


「ネクラちゃんは消極的なんじゃなくて、本質的にそれに興味がないだけなんじゃないの?」


そう先生に言われて、核心をつかれたような気がしたんだよね。
「熱意がない」「消極的」な人間なんじゃなくて、
「会社での評価をあげよう」とか、「仕事で120点取ろう」とか、そんなことに興味がないだけなのかもなと。


「私は消極的な人間だから、安全な選択をした方がいい」
「私は大人しいタイプだと思われてるから、こう振る舞った方が良い」


そんな風に、気づいたら他人から見えてる自分、もしくは「他人にこう見られたう自分」っていうのがどんどん自分を型にはめていっちゃうこともあるんじゃないかなって。
「他人から見えてる自分」に合わせて自分を再形成しちゃうみたいな。

もちろん、他人からかけられた言葉が、
自分が見えてない自分を教えてくれることだってたくさんあるけど、
私みたいに人から言われた言葉に影響されやすいような人間は、
一旦そんなの忘れて、ただただ好奇心が赴くままに、
思いの向く先にエネルギーを傾けたっていいんじゃないかなって、
最近思ってね。


取り止めのない話になっちゃったけど、
「自分に嘘をつくと自分に嫌われてしまう」
そんなことのないように、みんな楽に生きようね。

では。

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