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最近読んだアレやコレ(2021.11.03)

 2019年から個人的にちまちま進めていた、飛鳥部勝則13長編読破マラソンがついに終わりました。やった~。多くの作品が絶版であり、買いそろえるのにそこそこ大枚をはたいたのですが……その甲斐のある、とても素晴らしい2年間になりました。刊行順に読むことで文脈が生まれ、おもしろさが2倍3倍になる小説家がいます。伊坂幸太郎とか、辻村深月とか。飛鳥部勝則はまさにその典型であり、順番に読んでゆくことで、「本格推理の幽霊」への執着と憎愛を昂らせ、同時に冷静に客観視できてゆくその過程を生々しく追体験することができます。実際のところはわかりませんが、私にとって13冊の長編は、本格推理に取り憑かれた一人の作家の苦闘を描いた一本の大長編であり、ゴースト・ストーリーでした。マラソン読破の総括は、また別個にnote記事を書きたいですね。本当にいい2年間だった。

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歌の終わりは海/森博嗣

 とある作詞家の浮気調査の最中に、探偵は死体を発見する。監視下の邸宅で起きたその事件は、本当に自殺なのか?……馬鹿と嘘の弓の続編であり、私は勝手に〈社会派駄洒落シリーズ〉と呼んでいます。歌の終わりは海=ソング・エンド・シー=尊厳死。タイトル通り、尊厳死にまつわる物語でありながら、それは「まつわる」と言うほどに入れ込んだものではなく、ただ起こった出来事に関わる中で、その言葉を口にする人が偶然多かっただけのような、力の抜けた自然さをこの小説は持っています。推理小説に似た形式をとりながらも、提示された(と読者が勘違いしているだけの)謎も、解決することはありません。エンターテイメントが指向されることはなく、「おもしろい小説を書こう」という意識からも解き放たれた自然体……を、意図的に創作してしまう、奥義にも近しい脱力は、この小説にただならない凄味を……「凄味を感じさせない」凄味を備えさせています。ひょっとして、森博嗣の最高傑作なんじゃないか、という戦慄があり、そしてそれすらも溶け消えさせてしまう、スタンス。人工の果ての自然の美、研鑽の先の放棄、そして、何よりも、歌の終わりの海。森博嗣の小説は、小説家を引退してしまった今、最盛期を迎えたのかもしれません。大傑作。


されど私の可愛い檸檬/舞城王太郎

 文庫発売に伴い再読。「恋愛」を取り扱った『林檎』と比較し、より酸味が強く噛むにも飲み込むにも少しの勇気が必要になる「家族」編短編集。おもしろさ以前の問題として、家族同士が本気で話し合い喧嘩をする……話し合わざるをえず、喧嘩をせざるを得ないあの空気、酸素が薄まり脳が冷えてゆくような「あの場所」を、まぎれもないREALをもって創り出してしまう小説の魔術に圧倒されます。読んでいるだけの立場でありながら、「トロフィーワイフ」は姉妹の軋轢が爆発するその場に、「ドナドナ不要論」は歯車の狂った生活のただ中に、自分がいて、聞いて、焦っているのだと脳が誤認させられる、それほどに激烈な文章力がここにはあります。台詞だけを単独で切り出してもそれは決してリアルではなく、過剰に言語化が施された作り物でしかないのですが、会話という流れ、地の文という裏打ちによって、その台詞は今ここで生きた人間が発したようにしか思えないものになっている。血と肉と骨が通った言葉は、それを発するキャラクターを生き生きと立たせ、彼ら彼女らが集まる家族を本物にし、その物語が虚構であることを忘れさせてしまうほどのつらさを……つらくとも、その出来事が「されど私の可愛い檸檬」であることを伝えます。舞城王太郎の小説は、やはり図抜けて強く、そこに突き刺さっているのだと再確認することができました。


黒と愛/飛鳥部勝則

 奇傾城。酸鼻と背徳を極めた廃遊園地にたつ幽霊の噂。嵐の夜にその城に集まった取材クルーの一行は、その怪奇の城の一角で首無し死体を発見する……。およそ2年かけて追いかけた、飛鳥部勝則13長編の最後の1作であり、まさに最後に相応しく、タールのように煮詰められた異形・執着・情欲のハチミツが、死体の上にたっぷりかけられた大怪作にして総決算。舞台となる奇傾城の異常風景描写もさることながら、集まった「取材クルー」の面々のナチュラルボーンなタガの外れっぷりが、この小説を一層異様なものに変えています。現代舞台にも関わらず、基本的に倫理観がなく、当たり前のように人を殴り、殺し、死体を凌辱する大人と子供。中でも「ソフトフォーカスのかかった美少女」……飛鳥部ヒロインの集大成ともいえる女子高生・示門黒が放つ重力はとんでもなく、ブラックホールの如き彼女を中心としてこの小説は大きく歪み、読む者すらも彼岸の向こうに転がしてしまう異常な傾斜を創り出すことに成功しています。「悪い夢」としか言いようがない物語終盤のカタストロフィは、過剰なグロテスクを極めた果てにある種のギャグにまで到達しており、そして、脳みそに小便をかけられマドラーで混ぜられたみたいな読書体験であるにも関わらず、その結末は、どこまでもイノセントな美しさに満ちている。ゴースト・ストーリーを巡る冒険をしめくくるに相応しい原点回帰であり、地獄。本格推理の幽霊は、祓われたのか、憑いたままなのか。少なくとも私は、成仏することができました。


金田一37歳の事件簿(1~11巻)/天樹征丸、さとうふみや

 そろそろ37歳の事件簿に向き合う時期が来たのではないか、ということで既巻をまとめて購入して読みました。「37歳って書いてるんだから37歳なんだよ!!」という迫力が感じられる全く老けているように見えないキャラクターたちや、相変わらずアホなことを企みながら獄中でミステリの新人賞をウキウキチェックしている地獄の傀儡師くんにケラケラ笑いつつも、作品全体を通して感じられる「今までのシリーズで出来なかったことをやってやろう」という意識の高さに、読んでいて背筋が伸びる気持ちになります。これだけの長期シリーズでありながら、新規性に対してまっすぐに取り組んでいるのがかっこいい。「金田一少年」の一般的犯人像から外れた新しい怪人を指向し、それに相応しいどこかピントのずれた「出来の悪い」事件を当て嵌めた『歌島リゾート殺人事件』、一般人3人組が徒党を組んで金田一少年の異常推理能力に戦いを挑む、チーム型倒叙ミステリの『タワマンマダム殺人事件』は特に好き。中でも白眉なのは『綾瀬連続殺人事件』で、先を読ませないサスペンス型のシナリオもさることながら、物語後半でミステリのジャンル自体が大きく変わってしまうアクロバティックな構成には驚きます。真壁先輩の活躍も嬉しいですね。経歴的に、綾瀬の真相には思うところがありそうなもんですが、特に何もコメントはなかったですね……。


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