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最近読んだアレやコレ(2023.10.15)

 9月後半の読書は、『鵼の碑』『ネジ式ザゼツキー』『エレファントヘッド』と、年間ベスト級どころかオールタイムベストに入ってくるような大傑作を連続して読んでしまい、大変くたびれました。えらいことだ。しかも、10月にはまだ『情景の殺人者』も待ち受けてる。『時計館の殺人』の再読とかもしたかったのですが、あきらかなカロリー過多であり、そんなことをしていてはテキスト肥満になってしまう。と、ここまで書いて1ヶ月ほどこの記事を放置していました。既に『情景の殺人者』も読み終わっており、テキスト肥満を解消するために運動である逆噴射小説大賞への投稿も終わりました。怠惰は時間の流れを歪める。

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鵼の碑/京極夏彦

 日光逗留中、劇作家の久住加壽夫は、一心に石仏を数える不審な男と出会う。陰惨な経歴を持つというその小説家は欝々と持論を語り、陰気にあてられた久住は、ついある悩みを口にした。それは宿の従業員から聞かされた、忌まわしい記憶の話だった。百鬼夜行シリーズ第10弾。

 読み終わった直後も、思わず天井を見上げてぼおっとしてしまうほどによかったのですが、それから時間が経ち、さらによくなりました。読書体験が樽の中で熟成したことで、「鵼……よかったな」「いや、本当によかった……」とふと気がつく、そんな瞬間が何度も訪れるのです。……川を渡り、向こう側の岸に辿り着いてしまうこと。ひとりゆくべき荒涼とした大地はもうそこになく、全てを後に残して山に分け入るその時、こちらに向けられた背はもう「羨ましい」ことはない。その姿は、ただ「淋しい」。事件として現れた憑き物を祓い落とした時、そこに血管のように絡みついた言葉と精神も損傷を受け、破滅(カタルシス)を引き起こす。それは悲劇的なフィードバックであると同時に、確かな効力の証明でもありました。壊れるものが何もないなら、絡みついた脈の中に、最早、血は流れていない。言葉は静かに解きほぐされ、後にはただ鳥が鳴いている。呆気にとられるほどの、空の情景には、感情を揺らすものものは何もなく、ただ、そこにあったはずの喪失の気配だけが、幽かに「淋しい」。技巧と叙情の組み上げにおいて、事前に引かれた設計の精度の高さが際立った作品であり、ゆえに、本作に与えられた題は、シリーズで最も優れたものであると思います。

▼読み終わってすぐの記録記事


777/伊坂幸太郎

 その日、ウィントンパレスホテルに集ったのは、目的も素性も異なる裏世界の業者たち。標的をつけねらう吹き矢の六人組。天職に精を出す逃がし屋。届け物を頼まれた不幸者。揃うはずのなかった数字たちは、「不幸にも」ジャックポットを叩き出し、殺し合いの火蓋を切る。シリーズ第4弾。

 徹底的でライトでジャンク、しかしチープに堕する瞬間は、全くありません。流れる時間が薄まることは全くなく、見上げるほどにリッチです。本シリーズの辛気臭さと薄暗さを愛していた読者としては、やや物足りなさも感じてしまうのですが……。しかし、やはり、この煌めくほどの豪華さと、スキップを踏みたくなるほどの軽やかさの前では、俯く気も失せてしまうというものです。毎度おなじみ七尾くんの、なんか人がよさそうにしてるけど、普通にふてぶてしくろくでもないアクションの数々は、期待通りの痛快さ。対する悪役業者の「六人」も、心底不快なクソ共でたまらなくキュート。裏世界のプロたちが繰り返す「やるべきことを、やる」は、衝突しあうことで試行回数を山と積み、不幸を沈没させてゆきます。1手ずつジャックポットの確率が高まってゆく、その期待が、昂りが、たまらなく楽しい。それにしても「伊坂幸太郎がグランドホテル型式で小説を書く」というのは、ズルと言ってしまってもいいのではないでしょうか。「そんな理論値みたいなかけあわせ、実際にやっていいんだ」となる。鬼に金棒。虎に翼。伊坂幸太郎に高級ホテル。


動くはずのない死体 森川智喜短編集/森川智喜

 ブギーマンは、いつの間にかベッドの下に隠れている。何故ならテレポートが使えるからだ。ゆえに、ブギーマンを父に持つ刑事・柿田にとって、その密室殺人の方法ハウダニットは明らかだった。ただ、容疑者の誰がブギーマンかフーダニットがわからない……「ロックトルーム・ブギーマン」他、4編収録の短編集。

 スナック感覚でさくさく読めるものの、ひっそりと油が酸化しており、内臓に確実なダメージが入る。短編という形式をとったことで、森川ミステリ特有の「性格の悪さ」が、より粒だって感じられる気がします。一方で、尺の長さがないこともあり、いつもならそこから展開されていたトライアルアンドエラー……過程における執拗さはオミット気味。短編と長編の差異であることはわかりつつも、やや口寂しさを感じていたのも事実ですので、最後に森川長編がそのまま短編サイズに圧縮された「ロックトルーム・ブギーマン」が待っていたのは、嬉しいサプライズでした。倫理や道徳を小脇に抱えたまま、死体の上をコロコロ走り回るサイコポップぶりは、毒を水で薄めて飲まされたような不穏な刺激に満ちています。たったひとつの架空から、飛び石を渡って理を運び、いつの間にか見たこともない地点に読み手を連れていってしまう。ここでしか見れない未知の景色は楽しく、その人さらいに似た手つきはおそろしい。特殊設定ミステリの愉しみに満ちた名短編でした。


ネジ式ザゼツキー/島田荘司

 童話作家エゴン・マーカットは、翼の付け根のような肩甲骨を持ち、記憶を定着させる能力を持たない。幾度かの初対面を繰り返した後、エゴンを面談したドクターは指摘した。彼の著した『タンジール蜜柑共和国への帰還』に、全てが書かれているのだと。空想と真実を迷い旅する探偵巨編。

 凄すぎる。推理小説が混沌に秩序を与える小説だとして、果たして定型に染まった「謎」と「事件」は混沌と呼べるのか? 解決法はひとつ。真の混沌を「謎」と「事件」に落とし込む長編をひとつ書き、そこから通常の推理小説を始めればよい……理屈はわかる、確かにわかる。わかるけども、そんな多段式ロケットみたいな小説、本当に書いてしまうだなんてあまりにもぶっとすぎる。着想もトリックもシナリオも真相も推理も、小説を形づくる要素の何もかもがデカすぎる。ジャンルは安楽椅子探偵に近く、舞台は限られた室内なのに、まるで地球を一周する壮大な旅を終えたような、心地よい疲労感が肩にずっしりと乗っかかる。大きく、太く、重い、小説。あまりもを並外れたスケールは、それだけで強い感動を与えてくれますし、そのサイズに恥じない確かな「中身」が返り続けるのも奇跡のようです。見上げるほどのサイズの全てに、密度高く実があるだなんて。迷妄を極めた悪夢ような光景の中、「推理」という行為だけを翼にし、未踏の論理と着想を山のように積み上げながら、大山鳴動に相応しいでっけえでっけえ怪物を1頭、探偵が暴き出す。推理小説というものは、こんなにも凄いことができるのか……。才能と研鑽の果て、全ての歯車がかみ合った瞬間にだけ書かれうる、神がかりの1作だと思います。天帝に捧げるべき果物。いいものを読みました。


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