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小説|三十七峠〔Part5〕

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 やっと酷い頭痛が治まり、言葉をまともに話せるようになったのは、それから更に2日後のことだ。仕事を休んだという奈々が、本当はいけないのだけれど、面会時間前から病室に来ている。
「大ちゃんはね、仕事中に会社で、階段を踏み外して、思い切り頭を打ったの」
 俺が病院にいる経緯は、彼女が教えてくれた。
「それから救急車で運ばれて、あたしに連絡が来たのね。同時にお父さんにも電話が行って、お母さんと3人で、慌てて駆けつけたんだけど、大ちゃん全然、意識がなくて」
「道路で倒れたんじゃ、なかったのか?」
「何それ、思いっきり会社での話よ。それで、当面は安静と投薬で様子を見るけど、場合によっては開頭手術もあるなんて言われて、ほんとに心配したんだから」
 どこかで、聞き覚えのある話だ。
 結局、頭を打ったのは弘樹ではなく、俺だった。そして俺は、三十七峠の夢を見ながら、ずっと眠っていたということになる。
 実際、弘樹は無駄なくらいに元気で、忙しいはずの仕事の合間に、ちょこちょこ顔を出してくれるのだ。
 どうしようもなく、ややこしい。
「弘樹くんはね、あたしよりずっとたくさん、泣いてたの」
 泣き虫の奈々より、弘樹のほうが?
「大輔が死んだらどうしよう、起きなかったらどうしようって、何回も大泣きしてね」
「あいつ、そんなこと言ったのか」
「でも、わかるよ。弘樹くんと大ちゃんって、あたしより、ずっと長いつきあいだもん。何だか羨ましい」
 そうか、羨ましいか。奈々は一人っ子だから、余計にそう思うのだろう。
 夢の中でさえ、弘樹が起きなかったらどうしようと、俺は気が狂いそうだった。現実が逆だったことに、実のところ、ほっとしてもいる。
「なあ、奈々。俺、夢を見てたんだ」
「夢? どんな?」
「頭を打って入院してたのは、弘樹の方でさ。それで、俺は三十七峠っていう、雪の峠道にあるでかい家に、頭の怪我に効く薬草茶を買いに行くんだ」
「何それ、変な夢」
 子供の話を聞く母親のような表情で、奈々がくすくす笑う。
「で、薬草茶は手に入れたんだけど、帰り道で力つきて、倒れちゃって・・・気がついたら、病院のベッドに寝てるのは、俺のほうだったってわけ」
「不思議だね、頭を打たなきゃ見られなそうな夢。でも、大ちゃんも弘樹くんも生きてるんだから、それはやっぱり、ただの夢だよ」
 奈々にそう言われると、あのリアルな夢が、それほど気にならなくなる。どうやら、彼女の声には、不思議な鎮静効果があるようだった。

 それからの俺の回復は、極めて順調だった。
 頭痛は日を追う事に軽くなり、3日後には歩行の、そして、1週間後には退院の許可がおりた。
 明日、俺はやっと家に帰れる。
「会社の店長さんから、伝言。怪我人なんて足手まといだから、ちゃんと治してから出てこい、復職したらこき使ってやるから、だって」
 病院での、最後の夕飯につきあってくれた奈々が、笑いながら言った。
「まったく、店長は相変わらず口が悪いな」
「でもいいじゃない、要するに、ちゃんと治るまで休んで構わない、ってことでしょ?」
「まあな。いい人なんだけど、素直じゃないんだよ」
 けれどとにかく、俺には戻る場所がある。奈々と暮らす家、生活を立てるための職場。それは、なんて恵まれたことなのだろう。
「そういえばね、昨日、琴美ちゃんとLINEしてたんだけど」
 不意に、奈々が話を変えた。
「大ちゃんが入院して、3日目くらいに、弘樹くんが朝帰りしたって言うの」
「何だそれ、仕事で?」
「うん、その時は弘樹くんも仕事って言って、琴美ちゃんも納得したんだって。でも、今思うと、その頃は大きな事件も起きてないし、徹夜するほど忙しいはずもないから、何だったんだろうって」
 確かに、少し気になる話ではある。
「でもさ、浮気とか、そういうことではないだろ。弘樹、琴美ちゃんにすっげえ惚れてるし」
「うん、あたしもそう思う。でもちょっと、謎だよね」
 奈々はそこまで話すと、そろそろ帰るねと言葉を足し、立ち上がって上着を手にした。彼女と話していると、あっという間に、面会の終了時間が来てしまう。
「ああ、明日よろしくな」
「うん、9時に迎えに来るから。やっと、大ちゃんが帰ってくるんだね。良かった・・・」
「何だよ、奈々、泣くなよ」
 涙ぐむ彼女をエレベーターまで送り、独りで病室に戻ると、今度は俺の方が泣きたくなった。
 やっと、家に、帰れる。
 奈々にも弘樹にも、両親にも、きっと店長や同僚にも、俺は心配をかけたのだろう。それは、とても申し訳ないけれど、幸せなことでもある。俺を心配してくれる人が、この世界で息をしているのだから。
「さて、少し片付けるか」
 切り替えるために独り言を呟いて、俺は戸棚に置かれた紙袋を取り、底を広げた。明日の9時には奈々が来るから、今のうちに、使わない荷物を片付けてしまおう。
 コップと歯ブラシは、まだ使う。ウエットティッシュ、これもまだ必要か。替えのパジャマはもういらないから、紙袋行きだ。
 そういえば、戸棚の引き出しに、何が入っているのだろう。入院に必要なものは、奈々と母が揃えてくれたので、俺は自分の病室に何があるのか、実はよく知らないのだ。
 引き出しの中には、メモ帳と予備のティッシュの箱、ハンドクリームが入っている。こいつらももう、紙袋でいいな。
 そう思い、中身を全て取り出した・・・その時。
 引き出しの、奥に。
「これ、これって!」
 思わず、大声を上げてしまう。
 何で、どうして。
 そこに、五角形に折られた、茜色の薬包紙があったのだ。
 1包だけ、まるで使い残りを隠すように、ひっそりとしまい込まれている。
 それは、夢の中の三十七峠で、俺が買った薬草茶の薬包紙と、まったく同じものだった・・・。

 俺は、頭を打って、どうにかなってしまったのだろうか?
 どんなに考えても、わからない。
 茜色の薬包紙は、実際に今、俺の手のひらにある。けれど、三十七峠は夢の話だ。頭を打つ前に、俺は薬包紙を見たことがあり、それがたまたま夢に出たのだろうか。
 しかし、どこで見た?
 ぬるま湯に溶いて、それを綿に吸わせてから、口の中に塗るようにして、あげてください。時間をかけて、ゆっくりとあげてくださいね。
 夢の中でさおりが言った、薬草茶の与え方を思い出す。そういえば、俺が目覚めた時、口の中がやけに苦かった・・・。
 次に思い出したのは、先程の奈々の話だ。大ちゃんが入院して、3日目くらいに、弘樹くんが朝帰りしたって言うの。夢の中で、俺が三十七峠に行ったのは、弘樹が意識を失ってから、確か3日目だったはずだ。
 妙な仮説が、頭の中で像を結ぶ。
 俺が頭を打ってから3日目、弘樹が三十七峠に行き、さおりから薬草茶を買った。
 そして、眠っている俺の口の中に、一晩かけて薬草茶を塗ってくれたおかげで、俺は目覚めた。
 馬鹿な想像だ。弘樹の経験を、俺がリアルタイムで夢に見る? そんなこと、あるはずないじゃないか。
「やっぱり、俺、まだ普通じゃないのかな」
 もう一度、独り言を呟いて、俺は手のひらの薬包紙を握りしめる。それは、ただの紙のはずなのに、何故かほんのりと温かかった。

〈了〉

この小説は、しめじさんの企画 #写真から創る
参加させていただいております。

しめじさん、参加をご快諾いただき、本当にありがとうございます。
長くなってしまいましたが、楽しく書かせていただきました!

※この物語はフィクションであり、登場人物、場所等は、全て架空のものです。

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