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“資本主義型平和状態”から抜け出すために

ぼくは「平和」という言葉にずっと足のつかない感じを抱いていた。結局のところ、平和な状態って“経済的に似たり寄ったりな状態”にみんながなることで、自由な消費ができるようになることなのだろうか。

 “平和ボケ”ってあるのだと思う。みんなと同質な暮らし、同質な教育、同質な流行を追いかけることで「みんな、まあまあの暮らしが保たれているよね」という感覚。“資本主義型平和状態”なるものもあるのだろうか。

 でも、それってまさに同質状態に安住することで、その外への関心がマヒすることではないだろうか。戦争は世界をゆがませる。その歪みは戦争が終わった後こそますますひどくなっていく。覇権を握った側の押し付け、格差や不平等の拡大、不満への無関心.........。

 “平和”という言葉にはどこか真っ平という感覚がこびりついている。

 戦争状態の反対語。世界は真っ平なんてありえないと。戦争の反対語は、絶えざる傷の修復、対立を対話に変えていくための行動、声が届いていない人はいないかつねに考えること、誰かに力が偏っていないかチェックすること、暮らしの再建、メシが平等に行きわたること。


終戦の日に考えた。

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