河合 翔

障害者介助や身体・セクシュアリティの哲学について研究しています 2022年に『こじらせ…

河合 翔

障害者介助や身体・セクシュアリティの哲学について研究しています 2022年に『こじらせ実存フェチ人間ー不穏な時代にロックンロールを取り戻せ!』を上梓 https://t.co/QvUjtcapVC

最近の記事

『虎に翼』のすごさ

『虎に翼』がすごいところは、“自立”を描くにあたって、決して強くて、能力のある人ばかりを描いていないこと。法学部で勉強できているのも、その後ろで生きるために必要なケアを担ってくれるひとがいるからだし、ケアの担い手と社会との関係性もちゃんと描いていく。  ぼくの番組『toi-toi』で街頭インタビューをやったとき、応じていただいた女性の中に主婦の方がいて、「わたしは稼いでいないから、社会の役に立っていないんじゃないか」とおっしゃる方がいて、本来人に日々の糧を毎日欠かさず供給して

    • テレビ出演します!NHKEテレ「toi-toi」金曜夜10時30分~

      【どんどん口コミ・シェア・拡散お願いします!】 こんにちは! 実はぼく、NHKの新番組「toi-toi(トイトイ)」( https://www.nhk.jp/p/ts/72L62Z715X/ )にレギュラー出演します!放送日は3月29日(金)夜の10時30分~、Eテレで放送されます。再放送は4月4日14時35分~です。今年いっぱいは特番で、年に何回かの放送になる予定です。 初回の主人公は恐れながらぼくです(笑)重い言語障害があるひとが体当たり芸人みたいなこともやり、MCみたい

      • みんなと一緒にチャレンジすることと、みんなと同じことをすること

        今週は小学校で講演してきました!! 子どもたちがとても積極的に発言してくれ、すごく元気いっぱいで助けられました。話し合いのコーナーでもぼくが思いもよらない発想が飛び出してとても楽しかったです☺ 以下、講演内容です。 今日は僕の話を聴きに来てくれてありがとうございます。とちゅうでわからないところもあるかもしれないけど、みんなが楽しく聞いてもらえるようにがんばるから、「がんばって~」と応援してね。 いきなりだけど、みんなにクイズ!!幼稚園から今まで車椅子は何台乗り換えてきた

        • サンタクロースの正体

          幼いころ、「悪い子にはサンタさん来ない」と親に言われた。けれど、必ず来たんだ。クリスマス・イヴの日に叱られても、サンタは必ず枕元にプレゼントを置いていき、手紙には「一年よく頑張ったね」と綴られていた。  「悪い子にはサンタは来ないヨ」という予想と、それでも「サンタは来る」という“予想の裏切り”ってけっこう重要なのかもしれない。“悪いことしたらプレゼントはもらえない”という因果応報と、“悪いことしてもどこかでいつも見守っていてくれ、変わらず愛してくれる”という大きな存在と。 こ

        『虎に翼』のすごさ

          イキりマウント冷笑人間ー映画『月』と相模原障がい者殺傷事件

          『月』という映画はイキり映画だったのか、真実を深く突き詰めた映画だったのか、どっちなんだろう。 「おれは“現実”を知ってんだ。オマエは知らんだろう。だから、オマエの言うことは聞くに値しない」と論破する。これ、イキりたいときのパターン。 もしくは、 「俺様の考えは深い。オマエは単純だ。だから、オマエの言うことには価値がない」 これもイキりマウント冷笑人間がマウントをとってくるときのパターンだ。 こういうキャラに限って「平和」や「人権」と口にすると、エサを待ち構えてたかの

          イキりマウント冷笑人間ー映画『月』と相模原障がい者殺傷事件

          障害者の恋愛・結婚がもつ“ポテンシャル”

           ぼくもふだんはあんなに美談に抵抗感があるくせに、障害者の恋愛・結婚に関してはつい涙もろくなることがよくある。  結局は“家族頼み”の今の日本の現状だと、障害者同士、あるいは片方が障害者で結婚や子育てをしたら、やはり火事場の底力で乗り切っていくしかない場面に遭遇する。これはなにも障害者に限らずそうかもしれないけど。  そのとき、その底力に障害のある夫/妻、ないし障害のない夫/妻の愛を感じてしまうし、それは紛れもなく愛なのだ。お互いが自己犠牲を払う。喜んで。ときに無理をする。こ

          障害者の恋愛・結婚がもつ“ポテンシャル”

          言語障害に対する社会の“なれなれしさ”

          ある種の“なれなれしさ”に時々戸惑うことがある。会ってまだ数秒も経ってないのに肩に手を乗せてくる。敬語を使わない。「翔さん」あるいは「翔クン」とふいきなり下の名前で呼んでくる。 ぼくは戸惑ってしまう。何なんだろう。べつに相手に悪意があるわけじゃないから、注意するにしても、つかみどころがない。 人が急速に距離を縮めたいときってどんなときだろう。親しみを感じたときか、ちょっと相手を下に見てるか、どちらかだ。それか、目の前にいる人が責任のある大人だとは思っていないときか~ ま

          言語障害に対する社会の“なれなれしさ”

          「信じること」と「孤独を大切にすること」

          最近この世界を越えたものを信じることってめっちゃ力になると思い始めた今日この頃。 もちろん、様々なところで居場所を作って、依存先を増やしていくことも大事。 けれども、一方でいろんなところでいろんな人がいろんな価値観や見方を語る。ノリで「おれはこう思ってるねん」とつぶやく。盛り上がる。 でも、この世界を越えたものを信じてるとそんなんにいちいち左右されへんと思う。 人は依存的な動物ではあるけど、同時に孤独な存在です。人とつながり合っているときでも、本当は人って孤独なんじゃな

          「信じること」と「孤独を大切にすること」

          障害と恋と“やってあげました”ポーズ

          「障害者のために出会いの場を用意してあげよう」というある種のノリに戸惑い、というか居心地悪さを感じていた。 なぜだろう? マッチングアプリにしろ、相席居酒屋にしろ、婚活パーティーにしろ、“健常者のために”とは言われない。もちろん、年齢によって区切られたり、職業によって区切られたりする。しかし、「ここは高収入の男性が多く在籍してます」と言われても、コンテンツの一つとして消費したらいい。 「障害者のために出会いの場を」と言われると、胡散臭さを感じてしまうのはなぜだろうか。ひ

          障害と恋と“やってあげました”ポーズ

          講演「ロックに生きるわいわい人生~差別もありゃあ、愛もあるさ~」

          昨日はNPO法人月と風との清田さんのお誘いで、吹田東高校で講演させていただきました。タイトルは「ロックに生きるわいわい人生~差別もありゃあ、愛もあるさ~」です。 生徒の皆さんも先生方も真剣に耳を傾けていただきました。本当にありがとうございました。 次の目標は、真剣さをひとつ超えて、一線を越えて、“聞かないと”という構えをくずして、何か言いたくてうずうずするようなそういうムードを生み出すことです。 以下、内容です。 ロックに生きるわいわい人生 ~差別もありゃあ、愛もある

          講演「ロックに生きるわいわい人生~差別もありゃあ、愛もあるさ~」

          “過剰表現者”という視点で見た映画『月』と相模原障がい者殺傷事件

           4年ぶりぐらいに会った大学の親友と映画『月』を見に行った。『月』は2016年に神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の元職員であった植松 聖(うえまつ さとし、事件当時26歳)が、同施設に刃物を所持して侵入し入所者19人を刺殺、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた事件をモデルにほぼ実話に寄せて、犯人と同僚、同僚のパートナーの心の模様の移り変わりを描いている。  「生産性のない障害者は安楽死させればいい」この言葉は当時ものすごくセンセーショナルを引き起こし、過

          “過剰表現者”という視点で見た映画『月』と相模原障がい者殺傷事件

          映画「福田村事件」~正義は呪いである

          映画「福田村事件」は「定住者」と「流浪の民」の関係性の中で排他的になっていく人間の物語だったかな~ 「流浪の民」とはこの映画では日本人でない人々や行商人のみならず、不倫により家族共同体から本来追放されかかる妻と植民地である国で悲惨な体験をして罪悪感にさいなまれる夫、不倫相手である船頭の男も含まれる。 正義とは共同体を守ることならば゛、悪とは共同体を乱すこと。もちろん、正義とは呪いである。 だから、創世記のアダムとイヴも善悪の木の実を食べることは呪いにかかることだったので

          映画「福田村事件」~正義は呪いである

          『VIVANT』と『半沢直樹』の不吉さ

          VIVANTと言い、半沢直樹と言い、なんだか時代の変化についていけない高度成長期の“活躍した男性”の亡霊たちが「昔のニッポンは素晴らしかったんだぞ」「品格においてもアジアのなかで日本が一番だったんだ!」と必死でしがみついてるような感じがしてちょっと厚かましかった(笑)  モンゴルに対する態度も、ああああやって昔のキリスト教国も世界を植民地化していったのだなと思いまちた。「自分たちこそ品があって、優れた精神である」というように。 どちらのドラマにも共通しているのは、“頑固”

          『VIVANT』と『半沢直樹』の不吉さ

          24時間テレビに告ぐ―曲がったほうがオモロイでー

          久しぶりに24時間テレビを見た。 初めは「カンドウなんてするもんか!おちょくってやろー」みたいな冷やかし気分で見てたが、な、なんと、まさかの涙ウルッ  ええ話やないか―やはり愛は地球を救うんだわーとまんまとハマったのでしたーーーオヤジになるってこういうことね    でも、やっぱこの番組、いい加減な俺と生き方が真逆でなんか申し訳ねェー。おれの親もおれが子どもんときから「この子、ゼッタイ歩かせるぞ!」とがんばってくれたのを尻目に俺はといえばすぐに手を抜こうとする。学校の授

          24時間テレビに告ぐ―曲がったほうがオモロイでー

          “資本主義型平和状態”から抜け出すために

          ぼくは「平和」という言葉にずっと足のつかない感じを抱いていた。結局のところ、平和な状態って“経済的に似たり寄ったりな状態”にみんながなることで、自由な消費ができるようになることなのだろうか。  “平和ボケ”ってあるのだと思う。みんなと同質な暮らし、同質な教育、同質な流行を追いかけることで「みんな、まあまあの暮らしが保たれているよね」という感覚。“資本主義型平和状態”なるものもあるのだろうか。  でも、それってまさに同質状態に安住することで、その外への関心がマヒすることでは

          “資本主義型平和状態”から抜け出すために

          ETV特集「鍵をあける 虐待からの再出発」を見て~

          支援は「今まで痛い思いをさせてきて申し訳なかった」と施設職員が強度行動障害を持つ人に謝ることから始まった。  外界や人から隔てる。興奮させてはいけないのでコミュニケーションは少なめに。仕切りを設けて環境調整。強度行動障害と呼ばれる人のためだと言いつつ、いったい誰のためだったのか。それによって、人として最も大切なものを奪ってきたのではなかったか。  なにも大それたことではない。信頼、愛情、自信、やりがい、「あなたは大切だ」と人から思われること。  施設に入所しているある行

          ETV特集「鍵をあける 虐待からの再出発」を見て~