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一日三食出すのが苦痛でしかない

毎日家族の食事の準備をするって偉業だ


毎日毎日お休みもなく、家族のお食事のお世話をしているみなさまを心から尊敬する。すごいことだ。偉業だ。

わたしは2ヶ月半くらいでもうダメだ。つらすぎる。鬱だ。衝動的になにかやらかしてしまうかもしれないくらい鬱だ。

よくよく考えてみたら、わたしはたぶん25年くらいひとり暮らしなので、自分の食事だけ適当に用意して適当に済ませればいい生活をしてきた。仕事が忙しかったり体調が悪ければ食事を抜くこともあるし、何時に何を食べようが、ずーっと同じものを食べ続けようが、外食をしようが、買ってきて済ませようが、ときどき衝動的に凝ったものを作ろうが、何をしても自由だった。蛇口をひねれば水が出るように、それは当たり前すぎることだった。

それなのにそれなのにそれなのに。人生は非情だ。

病弱で偏食でいっさい自分で食事の支度をしない/できない85歳男性と、ステージ4の膵臓がんが発見されたのでほとんど食事をしたくない/できないけど食べないと生存に関わるので無理にでも何か食べさせなければならない80歳女性(あ、ちなみに肉はもともと全く食べません)に、毎日三食お世話する役目がわたしに降りかかってきた。

鬱だ。義務ばかりで、変更ばかりで、不安定すぎるこの状態。

ひとりで食べるのはそんなにいけないことか?

そもそもわたしには、なんで「家族そろって食卓を囲む」のがそんなに推奨されるのかちっともわからないのだ。特に子供の頃は食事は苦行でしかなかった。毎日仲良く食卓を囲む?うっそー。確かにたまにはあるかもしれない。でも毎日そんなことあるわけないでしょ。そんなの幻想じゃね?

それにわたしは子育てしてないからな。どんどんみんなが食べて元気で楽しく会話が弾んで幸せだね、なーんて経験をもうちょっとしておいたほうがよかったのかもしれないけれど、もう一度人生を繰り返してもたぶん今と同じだ。

うちの両親は揃って「子供の頃はもし食事中に少しでも喋ったら即!お父さんに殴られた」という世代なので、あの人たちだって、そもそも食事が楽しかったはずがないだろう?確かに仲がよくて会話が弾む家族なら、いっしょに食事するのも楽しいかもしれない。でも、形式だけ「同じ時間にいっしょに食べる」ために無理するなんて本末転倒じゃないか?

あ、そもそも父はほとんど家にいなかった。なにもしない。なにもできない。お店で買ってきたパンを袋から出すことさえもしないおとーさんでしたよっと。今もだいたいそのレベルで変わらない。

わたしは一分一秒でも早く大人になって自由になりたい!と思っているこどもだったので、とにかく自由な時間に自由にものを食べられる境遇になったときには心底嬉しかった。

食事が楽しいという経験はもちろんあるけど、それは大人になって友人たちとわいわいご飯を食べるときくらいだ。

自由がないことがとにかくキツい

ばっちり育児とか介護とかしている方々には笑われるレベルで申し訳ない限りなのだけれど、わたしはぜんぶ「自分の裁量で使える時間」をぜんぶ仕事にぶっ込んで生きてきているので、家族の都合で完全にそれが失われたことにちょっと耐えられずに文句を言っている。ここでくらいいいじゃないか。勝手に言い続ける。

ちなみにもう1年半くらい前から、どんどん認知症と老化が進んでる16歳5ヶ月の老犬のお世話もしてる。名前はトッピー。種類はイングリッシュスプリンガースパニエル。とってもわがままでマイペースで可愛らしい(こともある)。要するに溺愛されているお嬢様老婆だ。トッピーは犬なので、これはもうしかたないので腹を括っていて、トッピーが死ぬまでちゃんと面倒見る。と言いながら1年半経った。24時間完全介護するのに疲れ果てた。

レベルで言えば、人間で言うところの要介護1-2くらいかな。暑い日には徘徊し続ける。特に歩行が不安定で一日100回くらい転んでは自力で起きられないので、その都度助けに行って起こしてやらなければならない。排泄と食事には介助が必要。夜中にはだいたい1-2回トイレに起こされている。まだまだ元気。本気か?

2時間前にパソコンを開いたけれど、その間に何度も電話がなり、配達があり、買い物に行き、その合間にトッピーが「ウンチ出そう」とか「おしっこでるよ」とか「お外に行こうよ」と何度も呼びにくる。ちっとも進まないので、音声入力したいけれどあまり平和な内容ではないので、声に出して読むのははばかられる。

行かれるのは近所のスーパーくらい。シャワー浴びる時間も気力もないことも増えてきた。

わたしがもしいま死んでしまえば、このゲームは詰むのは確実なんだけど、とりあえず生き延びたい。

なんとか時間を捻出して書き残しておくしかないのでがんばる。
つづく。

占い世界でのあなたの探検が、よりよい旅路となりますように!