見出し画像

広告は、天職にあらず転職なり?

広告制作雑感 その4−1
 当時、一般企業に就職した人は基本的に転職せず、最初に就職した会社に定年まで勤務する事が多かったようだ。しかし広告業界(特に制作スタッフ)は、例外的に転職が日常茶飯事だった。私も片手では収まらないくらい転職を繰り返した。
 当時の広告業界は制作スタッフの待遇は良くなく「制作会社」では残業手当も休日出勤手当も、当然のように存在しなかった。会社によっては有給休暇が無い場合もあった。
 「広告代理店」であっても『制作スタッフのみ年俸制の契約社員』といった場合も珍しく無く、リストラに際しては制作スタッフが真っ先にその対象とされた。私は会社の状況が悪くなると、いち早く察知し転職していたので、幸いリストラされた事は無かったが。
 ある制作会社に勤務していた時の事だ。転職したいと考え、思いを巡らせていたら、法事の際に会った従兄弟(いとこ)の事を思い出した。彼は私よりも十歳くらい年上で、当時業界三位の大手広告代理店で営業職をしていた。
 従兄弟に電話をして、制作担当の方を紹介してくれるように依頼してみた。しかし彼の返答はあまり芳しいモノでは無く「そのうち公募があるだろうから、その時に応募してみたらどうだ」という程度だった。「一応、履歴書を送ってくれ」と言われたので後日郵送したが、彼から連絡が来る事は無かった。
 それから半年以上経った頃、新聞の求人欄を見ると従兄弟の勤務している大手代理店と業界二十位の中堅代理店で制作スタッフの募集があった。当時は広告業界を扱う人材会社はほとんど無く、求人はもっぱら新聞か広告専門誌の求人欄に頼っていた。
 早速、私はその二社に応募した。書類審査、面接兼作品審査を経て、運良く二社から採用の通知を貰った。まだ若く上昇志向が強かった私は、当然のごとく大手代理店を選び転職する事に決めた。
 その大手代理店での面接だが、感触もあまり良くなく、まさか採用されるとは思っていなかった。だから、現職の従兄弟が尽力してくれた結果だろうと思っていた。以前、連絡した際にも「公募があったら応募してみたら」と言っていた事だし・・・以下次回。
(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?