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「ゆとり」でよかったと思いたい

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「新世紀のラブソング」を人生の教科書みたいにして生きてきた部分がある。

「息を吸って 生命を食べて 排泄するだけの 猿じゃないと言えるかい?」

この歌詞を心に刻んで、常に疑問を投げかけながら生きてきた。

って書くとなんかすごい禁欲的で自律的で公共性がものすごい高い人間のように見えちゃうよなあ。全然違う、そんなんじゃない。全然朝起きたくないし毎日遊んでいたいし、すぐ疲れるし、薄利多売の服が好き。家事をすぐサボる。昼から飲むビールがうまい。

人並みに生きるだけで精一杯なのに、社会を変えようなんて大それたことできる器じゃない。ただ考え過ぎる性格なだけ。社会生活に対してただ潔癖なだけだ。

責任を持って仕事をする。人には親切にする。悪口は言わない。落し物は然るべき場所にとどける。ポイ捨てはしない。たまに募金をする。そういうことだけでいっぱいいっぱいだ。いや、それだってちゃんとやるだけめちゃくちゃえらいよ、と思う。

でも、自分がやっている仕事って、広い目で見て世の中のために本当になっているのかな。ちょっと募金をして良い気持ちになっても、まだまだ困っている人はたくさんいる。自分が吸った酸素や、食べた生命に見合うだけのことを、私は世の中に対して生み出せているのだろうか。そう思い始めて際限なく自分に求めすぎて、自分が情けなくなってくる。

自分の生き方にずっと違和感を持っているのは事実。だけどその違和感を冷静に分析して自分を変えようと行動するとか、同じ違和感を感じている人と手を取り合って社会を変えようとするとか、そういうことを一切せず、違和感をそのままにしてきた。

「新世紀のラブソング」は私の理想であり、鼓舞してくれる曲。でも、理想を追い求める以前に、理想に程遠いとしても、私は私を抱えて生きて行かなければいけない。

アジカンはちゃんと、そんな葛藤もどんと受け止めてくれて、優しく背中をさすってくれるような曲も届けてくれた。同じアルバムに収録されている「さよならロストジェネレイション」。

「将来の夢を持て」なんて無責任な物言いも
1986に膨らんだ泡と一緒に弾けたの

「何もないです」
それで「ロスト・ジェネレイション」か
忘れないで
僕らずっと此処でそれでも生きているの
息しているよ

「さよならロストジェネレイション」ASIAN KUNG-FU GENERATION

1986年ごろから始まったバブル経済。そしてバブルが弾けた1990年代後半~2000年代前半、「就職氷河期」に社会に出た世代のことを「失われた世代」つまり「ロストジェネレイション」という。

単純なくくりで、簡単に「失われた」というけれど、そこには息をして生きている人がいるのだよと、この曲は投げかける。それを悲しいような、寂しいような、諦念のあまりあっけらかんとしているような、そんなメロディーで歌う。

私が生まれたのはバブル経済が弾けるほんの少し前。物心ついたときすでに日本は不況だった。「ゆとり世代」とか「さとり世代」とか呼ばれる世代である。「頑張れば頑張っただけ良くなる世の中を見たことがない世代」とも言われる。

小学1年生のときに9.11が起き、小学2年生のときにゆとり教育が開始され、土曜日の学校がなくなった。子どもを標的にした犯罪が増加していて、防犯ブザーを持つ友達は、低学年の頃ほとんどいなかったけれど、6年生になる頃には、同じ小学校のほぼ全ての児童が持っていた。

2011年、高校2年生まででゆとり教育は終了することになる。「ゆとり教育は失敗だった」という旨のニュースを見聞きして、なんだか自分が失敗作だと言われている気がした。一度しかない人生で、子どもらしく素直に一生懸命取り組んできた学校生活に、人生にとって大切なはずの学校教育に、失敗の烙印を押されたわけだ。

自分たちが「ゆとり世代」と揶揄されることにも、すごく腹が立った。私たちは唯一無二の存在として、1回限りの人生を精一杯生きている。それなのに、大人が勝手に施行した画一的な制度のせいでひとくくりにされて、失敗作のように扱われることに、高校生ながらに矛先の分からない怒りを感じていた。

ゆとり教育だろうとなんだろうと、努力して才能を花開かせて、他の世代を唸らせるような活躍をしている人たちもいる。自分の無能さをいつまでもゆとり教育のせいにするばかりではいけないよと、今の私は思う。でも当時の私にとっては、世の中に失望するには十分な出来事だった。

ちょうどそんな時期にこの曲に出会った。ロストジェネレイションという言葉もそこで初めて知った。世の中に振り回されて生きているのは私たちだけじゃないんだと思った。

私たちだけじゃないんだと思って、悲しくて、やりきれなくて、こんな世界いやだ、もうなにも信じられない、みたいな気持ちになった。でもこの曲は、世の中に絶望して自分の殻に閉じこもってしまいそうな心を、ちゃんと外に向けて、導いてくれる。

「暗いね」って切なくなって
「辛いね」ってそんなこと言わないで
「暗いね」って君が嘆くような時代なんて
もう僕らで終わりにしよう

「さよならロストジェネレイション」ASIAN KUNG-FU GENERATION

「終わりにしよう」と呼びかけてくれる大人が、ここに4人は少なくともいる。だったらまあ、とりあえず大人になってみるか。そんな風に思った。

で、大人になった。全然終わらない。なんて暗くて、辛い世の中だろうと思う。音楽は結局絵空事なのかと、気休めでしかないのかと、一瞬疑ってしまいそうになる。でもそうじゃない。

銀色の円盤を手に取り、おずおずとCDコンポに入れて聴いたあの日も、サブスクでスマホからワイヤレスイヤホンで聴いている今日も、同じ息づかいで「終わりにしよう」と歌いかけてくれる。だから今日も同じように「とりあえず」と立ち上がって歩き出せる。

頑張っても報われるかどうか分からない。夢を持てとはやし立てる世の中で、その世の中に翻弄されて、夢を描くことさえできなくなるかもしれない。それでも、外に出てみよう。誰かと会って話をしよう。


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