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生まれて初めて最高に好きになった洋楽〈11月毎日投稿〉

体の中の音を聴いているようだ。赤血球くらいまで小さくなって、血流に乗って体中を旅したら、きっとこの曲で聴こえてくる音がたくさん聴こえるんじゃないだろうか。

Deerhunterの「Living My Life」。生まれて初めて最高に好きになった洋楽。

高校生くらいまで、歌詞が分からない音楽を聴くのがずっと苦手だった。歌詞のない曲や、日本語以外の言葉で歌っている曲は、あまり好んで聴かなかった。日本語の曲も聴くとなったらまず最初に歌詞カードを開いていた。

ピアノや吹奏楽をやっていたから、プロの演奏をCDで聴いて勉強しなさいと言われたりすることもあったけれど、それも苦手だった。どうも集中できなくて、ソワソワしてしまう。

ミュージシャンがなにを表現したくてこの曲を作ったのか、私にとって一番わかりやすいとっかかりが言葉なのだと思う。作者の意図が一切分からないまま聴くと、足場がちゃんとしていない橋を渡るような、心細い気持ちになる。

音楽を趣味として聴くとき、主体は自分なのだから、作者の意図なんて気にせず好きに聴けばいいと言われればそれまでだし、作者の本当の意図を完全に理解することは、作品の受け手にはできないことなのかもしれない。

それでも、なにも分からないままで聴くのは不安になってしまう。究極の話、どれだけメロディーがきれいだとしても「人を殺すことをそそのかす音楽だったらどうしよう」という不安が拭いきれないと、十分に音楽を楽しめない。

苦手だったら聴かないままでいいという話でもあるのかもしれない。自分の好きなものだけに囲まれて、それだけで十分幸せに生きていける。

この世界にはまだまだ知らない音楽がたくさんあるのに、聴かないまま、好きになれないままなのは、自分の殻に閉じこもっているようで不安になる。本当は心の奥底で通じ合えるかもしれない相手と、自分の感性が偏っているせいで出会えなかったら、ものすごく惜しいことをしているような気持ちになる。

「好きじゃない」ということが、相手を否定することとイコールではないのは分かっている。でも、世界を広げる努力をしないのが、存在を無視しているような居心地の悪さを感じてしまう。

好きな音楽を大好きな代わりに苦手な音楽が多く、そのくせ苦手な音楽があることが許せない。そういうジレンマを抱えて高校生くらいまで過ごしていた。

高校を卒業するくらいになって、英語の歌詞の曲を聴けるようになった。英語の勉強をそこそこやっていたから、だんだんと英語でも意味が分かるようになってきたのだ。

それでも日本語の方が基本的には好きだった。一歩も日本から出たことがない私にとって、英語を日本語に訳せたとしても、それは歌詞を理解したことにはならない。

イギリス人が歌う「I love you」と日本人が歌う「愛してる」が、全く同じだとはやっぱり言い切れない気がするのだ。そしてアメリカ人の「have  coffee」と日本人の「コーヒーを飲む」に込められた意味が同じとは思えない。

日々触れている文化や生活習慣が違えば、一つの事柄から連想することや、イメージする感情は異なるはずだ。もちろん、音楽を聴き続けること自体、文化や慣習を理解するための1つの方法だということもできる。

ただ、当時の私にとって英語の曲を聴くことは、いきなりなんの事前情報もなしに、誰一人として知り合いがいないパーティーに放り込まれるようなものだった。そんなの心細いし、一刻も早く帰りたい。音楽を自分のものとして、自分の居場所として聴くことはできなかった。

大学4年の夏、夏フェスでDeerhunterを知る。同行した友達が大好きで、付き添いで見ることになった。海外アーティストが多く出るフェスだったが、日本のアーティストで私が好きな人たちも出るし、まあ行ってみるか~くらいのテンションである。

その頃には少しずつ洋楽への苦手意識も払しょくされてきていた。パーティーのはじっこで、誰にも話しかけられないように料理をひたすら食べるくらいには、自分の居場所だと思えていた。

大学ではネイティブの先生による英語の授業が週4回あって、英語文化圏の生活や文化について話してくれることも多くて、それで欧米文化がちょっとだけ身近になったのかもしれない。

知らないミュージシャンをフェスで見るのは、事前情報なしでも全然楽しめる。フェスとはそういう場所だからだ。全然お目当てではなかったのに、偶然通りかかってライブを見て、大好きになって帰ってくる、そういうことはいっぱいある。

周りのお客さんもそういう人だらけだったりする。ミュージシャンも、フェスにはそういう人がいると分かって演奏しているし、もともとファンで見に来ている人だって、周りにそういう人がいると織り込み済みで参加しているわけだから、何ら恥ずかしがることはないのだ。

でもせっかく見に行くって事前に分かっているなら、ちょっと予習しておくか。そう思ってネットで調べて、CDを借りてきて、聴き始めた。

その中でもとりわけ好きになったのが「Living My Life」だった。「僕の命を生きる」というシンプルなタイトル。Lifeは命の他にも人生とか生活とか、いろいろな意味に取れそう。

曲を通してこの「Living My Life」という歌詞が繰り返され、この世界で生きる中で感じる痛みや違和感、寂しさを歌っている。そこで歌われている感覚は、文化が違うとか言葉が違うとか、そういう隔たりを全部飛び越えて、私の心の中に響き渡った。

美しくて、温かくて、均質さと不均質さを合わせ持ったこの曲のサウンド。目を閉じて、耳に手を当てて、体の中の音を聴いたときに聴こえる音に似ている。生きることを淡々と中立的に描き、でもそこに美しさを見いだしながら、この曲は演奏されているように感じる。

私にとってこの曲は、暗い心を抱えて生きる人を、背中の方から美しい光で照らす曲だ。MVを見たらそれをより感じてもらえるのではと思う。このわんこ、めっちゃ賢そうでなんかいいのよね。


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