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宇宙服萌えの原点〈11月毎日投稿〉

昨日は、宇宙飛行士になって宇宙を探索するゲームの話をした。私は宇宙好きであり、宇宙服に抗いようもなく萌えを感じるという、変な癖も持っている。

私が宇宙を好きになったのは、BUMP OF CHICKENのことが好きだったからだ。このバンドには天体観測をはじめとして、星や宇宙に関するモチーフが出てくる曲がたくさんある。曲以外にもアルバムタイトルとか、ライブツアーのタイトルとか、CDジャケットのアートワークなんかにもよく出てくる。

中学生のころ「supernova」に出会い、英和辞典で調べ、日本語では「超新星爆発」という意味だと知り、理科の教科書の「超新星爆発」が出てくるページに折り目を付けた。

超新星爆発は、恒星が最期に起こす大爆発のこと。光が進むのに1年かかる距離を1光年という。つまり、数万光年離れた星を見ているとき、私たちは数万年前に発された光を見ているということだ。

だから、数万光年離れた星が超新星爆発を起こしているのを私たちが見るとき、その星はすでに存在しない。

それを知ってからBUMPの「supernova」を改めて聴いたとき、その曲が言おうとしていることがもっと深く理解できるようになった。そしてもっと分からなくなって、もっと大好きになった。

木星のことも調べたし、歴史の教科書のボイジャー号のところにも印を付けた。BUMPの歌詞の意味を知りたくて調べて、知れば知るほど面白くて、もっと知りたくなって。

「宇宙って大きくて不思議で、なんて心魅かれるんだろう」と思うようになるまでに時間はかからなかった。

今の地球では、宇宙飛行士は心技体全て兼ね備えた、選りすぐりの優秀な人だけがなれる職業。難関の試験を突破し、厳しい訓練を受け、重要なミッションを担って命がけで宇宙に飛び立つ。かっこいい。

宇宙飛行士の山崎直子さんが、私が通っていた小学校に講演に来てくださったことがあった。そのとき「将来、宇宙飛行士という職業がなくなるときが来ます」とお話しされたのを鮮明に覚えている。

今は、特別な試験や訓練を受けた人しか宇宙に行くことはできない。でも、そのうちどんどん宇宙に行ける人の間口が広がって、会社員だろうと母親だろうと、関係なく宇宙に行く時代が来る。人類みな宇宙飛行士になる。小学生の私には衝撃的だった。

それから20年ほど経って、民間人の宇宙飛行が始まるなど「宇宙飛行士という職業がなくなる」という話に現実味が増してきている。それでも、当時の私にとっては、遠い未来の話であることには変わりはなかった。

それとはまた違う角度で「人類みな宇宙飛行士」だと歌っているのが「宇宙飛行士への手紙」。この壮大なタイトルとは裏腹に、歌詞には「宇宙」も「手紙」も一度も出てこない。

宇宙をイメージさせる役割はサウンドがすべて担っていて……みたいな話もしたいけど、長くなるのでちょっとだけ。間奏でギターが繰り返し弾いているフレーズは、太陽系の星たちの周回運動を表現していて本当に見事(ここから始まるリフ)。

歌詞では徹底的に、誰もが経験したことがあるような、身近でピュアな、切ない記憶や思いを歌っている。なんで「宇宙飛行士への手紙」なんだろう。「からの手紙」ではなく「への手紙」なのも、いい意味でちょっとひっかかる。

私たちは当たり前のように地球で生まれて育って、同じように地球で生まれた人と、当たり前のように一緒に生きていく。でも遠い将来「人類みな宇宙飛行士」になったとしたら、そんな当たり前が当たり前でなくなるかもしれない。

惑星間飛行、恒星間飛行、銀河間飛行が当たり前になって、来る日も来る日も1人乗りの宇宙船のなかで孤独な毎日を過ごす。生きているものに出会ったのはもう何十年も前。私たちの遠い子孫は、そんな世界を生きることになるかもしれない。

空想の話に過ぎない。でも、そんな世界を想像しながら「宇宙飛行士への手紙」を聴くと、私たちが当たり前のように生きて過ごしている世界が、ちょっと見方を変えて見えないだろうか。

歌詞の中で歌われているような、些細でありきたりかもしれない感動。稲妻を一緒に見たとか、「トリケラトプスに触りたい」なんて話をするとか。そんな風に、生きて見聞きし感じて、それを言葉や表情で共有できる誰かが近くにいることが、宇宙全体から見たらいかに確率の低いことか、みたいな話である。

「奇跡」とか「運命」みたいな大げさな言い回しを一切排除して、一人の人間の体験や記憶や感情の範囲から一切出ずにそれを表現しているのが、この曲のすごいところ。

空想の話に過ぎないと言った。でも、私たちが宇宙から来たということに間違いはない。生命の起源には諸説あり、はっきりとしたことは分かっていないけれど、元の元の元をたどれば、地球上にある物質はすべて宇宙のものだ。

数十億、数百億年単位で見たら、私たちは宇宙からやって来て、地球でようやく出会ったのだと、言い切れなくもない。時空を超え、大気圏を超えて拡大解釈すれば、私たちはやはり、生まれながらにして「宇宙飛行士」なのだ。

「宇宙飛行士への手紙」のミュージックビデオ。宇宙服のヘルメット被った男の子と、その幼なじみの女の子のお話だ。私が宇宙服萌えに目覚めた原点はここにある。

男の子は幼い頃から四六時中、宇宙服のヘルメットを被っている。ヘルメットで顔が覆われているから、どんな表情をしているのか全く分からないのだけれど、その分リアクションが素直で大ぶりなので、それがかわいらしい。

男の子は大きくなって宇宙へ旅立って、重たくて分厚い宇宙服を着て、生命維持に適さない環境で1人活動する。その孤独さとか、だけど孤独に浸っていてもしょうがないから持ち前のおちゃめさで1人でも楽しく過ごしている感じとか、うわあ~!なんだこれめちゃくちゃ愛おしいじゃん!!!と思った。

顔が見えないから、不器用ながらに一生懸命感情を伝えようとする。でも本当はヘルメットの中で泣いているのかもしれない。

ヘルメットを被っていようがいまいが、私たちってみんなそうなんだよなと思う。心の中では泣いていても、自分や誰かを守るために、必死で笑おうとすることがある。

でも、それもこれも嘘なんかじゃなく、一緒に見たもの、君が隣にいたこと、それで僕の心がどうしようもなく動いたこと、「全てはかけがえのないもの」だということ。

この曲のカップリング曲が「モーターサイクル」と「good friends」だというところも、BUMPって良いバンドだなと思います。


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