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極私的スパークスの思い出

先日、スパークスの来日公演があり行って来ました。
彼らは1971年デビュー。今年でデビュー52周年!
メンバーは基本的にはキーボード担当の兄のロン・メイル1945年産まれ、ボーカル担当のラッセル・メイル1948年産まれの2人組。1988年から1993年の間6年間リリースがないという時期もありますが今年も26枚目のニュー・アルバムをリリースするなど未だに現役で活動を続けています。

彼らは僕がもっとも好きなアーティストの一つなのですが日本では一般的な人気はなく2001年のやっと実現した初来日に僕は狂気したものです。
それ以降コンスタンスに来日してくれて、いままでは都内500キャパだったのが2022年公開の映画「スパークス・ブラザース」(傑作!)と彼らが原作を手がけたレオス・カラックスが監督した「アネット」が話題になったのが理由だとは思いますが渋谷で2000人のホールが売り切れるという以前からファンとしては嬉しいような、今更かよ!という微妙な気持ちになっています。

ボーカルのラッセル・メイルは御年75歳ですが、一番高い所は流石に辛そうですが源キーで歌いきっていて素晴らしいです。僕のもう一つのファイバリット・バンド。ロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーは77歳ですが最新のライブは一聴して分かるほどキーを下げているのでラッセルは頑張っていると思います。

彼らとの出会いは1975年、高校1年の時にアルバム「プロバガンダ」を今は死後となっているジャケ買いをしました(説明をしておくと当時、レコードの視聴は出来ないので音は一切分からずにクレジットやジャケットのビジュアル、雑誌の記事を宛にしてアルバムを買う事を言います。これでかなり感性を鍛えられたと思います)
この誘拐ジャケのインパクトとロックらしからぬカジュアルなファッションに惹かれて買ったのだと思います。
ちなみに今でこそ毎日のように使われる「プロバガンダ」という英語の意味も、このアルバムで知りました。

https://open.spotify.com/album/1rlCSXl4oodSDQRUYDUgiP?si=RTh0ICceTZy9Xhznnvp33Q

暑い夏の日、買って帰り1曲目を聴いた衝撃は今も覚えています。
1曲目の多重コーラスにも驚きましたが、他のポップだけれど、どこかシニカルなメロディーがシンフォニックをトラックをバックに全編ファルセットでスタイリッシュに歌われます。僕の感想は「こんな音楽は聴いたことがない、そして僕が聴きたかった音楽はこれだ!」と思いました。

なにより惹かれたのは60年代後半から70年代前半の多くのロック・バンドは多かれ少なかれブルースの影響があると思うのですが、彼らは全くブルースの影響が感じられないんです。僕はブルースが正直苦手でブルースの影響が強いバンド(フリー、エリック・クラプトン、ジミヘン、曲によってツェッペリンetc)は良いのは分かるのですが積極的には聞かないんです(クリームのアルバム通して聴いたことがないと思い出しました)こんなブルース臭がしないスタイルにも強く惹かれました。

後に彼らの音楽を分析していくとクラシック、ミュージカルから影響を受けたメロディー(特にクルト・ヴァイルの影響が強いと言われます)ビーチボーイズに影響を受けたコーラス、初期はビートルズ・ザ・フーと言ったブリティッシュ・ロック的なハードなアレンジ(後年これは打ち込みになったりNWぽくなったりします)が特徴だと思われます。

簡単に彼らの歴史を紹介します。

1968年にアメリカLAで結成。1971年にトッド・ラングレンのプロデュースでデビューしたもののアメリカでは売れそうもないとイギリスに移住。当時のグラム・ロック・ブームにうまく便乗して74年彼ら初のヒットが出ます。

最近でもアップルの何かのCMに使われたり、映画「KICK ASS 」でも印象的なシーンで使われました(曲名も映画のストーリーにリンクしてますね)

このグラム・ロック路線でアルバムを3枚作ました。1976年にパンクに波に乗ろうとしてNYに移住「ビック・ビート」というアルバムを出します。元々あまりパンク的な資質がないので悪くはないですが少し残念なアルバムをリリース。
このアルバムはさらに残念なエピソードがありリハーサルはデビット・ボウイのバックだったミック・ロンソンが参加していたのに何故か本番は参加せず、彼が参加していたらもっと良いアルバムなっていたのにとメンバー発言しています(参加したギタリストは立場ないですが)

ちょっと違ったかなぁと思ったのかあっというまに宗旨替え。77年にLAに戻り当時のパンクの真逆のトレンドだった凄腕AOR系スタジオ・ミュージシャン(デビット・フォスター、デビット・ペイチ、リー・リトナー等)を使って「イントロデューシング」というアルバムを作ります。この時期パンク、NWに乗るか産業AORに乗るかというのは世界的にミュージシャンに迫られた選択だと思うのですが、短期間に両方に乗ってみて、そしてどっちもピンと来なかったというミュージシャンはあまりいないと思います。それだけ彼らのオリジナリティーが強かったとも言えるかもしれませんが。

要は彼らは自分達が音楽をやりたい音楽を決めて突き詰めるのではなく、次に来る面白そうな音楽はなんだろう、節操なくそれに乗って面白い事をやりたいという気持ちで音楽活動を続けているんだと思います。

そして若干の迷走の末に1979年ディスコ・ブームの立役者ジョルジオ・モロダーをプロデューサーに迎えて世紀の名盤「ナンバー・ワン・ソング・イン・ヘブン」をリリースします。

これが大傑作!今でもテクノ・ディスコのアンセムですね。もう一枚ジョルジオ・モロダーと組めば良いのになぜか離れ路線は同じだけど中途半端なアルバムをリリースしてちょっとをがっかりさせました。

その後80年代もニュー・ウェイブ・バンドのルーツ的な立ち位置を確保してMTVでビデオも流れ、そこそこ売れたりしたんですが、80年代後半少しづつ人気は凋落、レーベルの契約もなくなり自主で作ったアルバムもあれだけ時代感を捉えてバンドとは思えない、チープなサウンドでした。そのアルバムを聞いたファンのサロン・ミュージックの吉田仁さんが「僕がプロデュースすれば絶対に良いアルバムになるのに」と悔しがっていたのを覚えています。ここから6年間リリースは無くなります。

話は外れます。スパークスの唯一のカバーはこのビートルズの「抱きしめたい」なんですがなぜか人気もないのに日本でしか発売されなかったレア音源なんです。後年CDのボーナストラックとしてリリースされました。最高だと思って当時担当していた湯川潮音ちゃんに聞かせたら「吐きそうだ」と言われました。あなたはどうでしょうか?聴いてみて下さい。

https://open.spotify.com/track/5oCmmKk8wnauAgqMC3bPGt?si=9f4b5a33f7374b0c

正直誰もがスパークスは終わったと思っていたのですが6年のブランクの後1994年にこのが曲がスマッシュヒットして復活します。
エレガントでアイロニックで彼らの良さが集約した名曲だと思います。

この後、ファンを公言しているフランツ・フェイルディナンドとコラボするなど若手からの支持や再評価もあり大ヒットこそないですがコンスタンスに安定したクオリティーのアルバムをリリースし活動を続けていたところにファンであるエドガー・ライトが監督した、この傑作ドキュメンタリーが2022年に公開になりました

同時に彼らの悲願であった映画とのコラボレーションも実現します

デビュー51年目に思わぬ注目を浴びる事になりました。

ロック・バンドやアーティストの歴史はドキュメンタリーにせよドラマ化するにせよ大体パターンがあると思います。
努力&苦労する→大成功する→ドラッグ、アルコール、金、毒親等のトラブルに巻き込まれてドン底まで落ちる、そして、この先は2択になっていて「死んでしまう」「奇跡の復活を遂げる」です。

ところがこのスパークスのストーリーは変わっていて少し苦労する、少し売れる、あんまり売れなくなる、少し売れる、また売れなくなる、でもまた少し売れるの繰り返しを大きなスキャンダル等もなく50年間しているだけなんです。

大きなドラマがないこのバンドのドキュメンタリーを最高に面白い作品にしたエドガー・ライト流石とも言えるかもしれません。

それと70年代のロック・バンドには切っても切れないと思われるセックスとドラッグ、あるいはワイルドなパーティーみたいな話が全く出てこないんです。さらにプライベートな家庭の話も幼少期を除いて出て来ません。プライベートで言えば今も二人で仲良く近所に住み自分達のスタジオに集まり曲をまるで職人のように作っていくだけで、面白くもなんともないです。

ボーカルのラッセルはアイドル的な人気もありモテたと思うんです。ですが二人とも結婚暦もなく、子供もいないけれど、ゲイではないと公言しているようですが、謎は深まります。

でも、こんなバンドスパークスが大好きなんです。ニュー・アルバム「彼女はラテで泣く」(どんな意味?)もここ何作では一番良かったです。聴いてもらえればまた新譜も出るし、来日もしてくれると思うのでよろしくお願いします。

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