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「よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた」

 哲学の本を読んだりして、その一節に感動したりすることもあるけれど、総じて正直よく分からない、というところもある。
 もっと易しいところから何かないものか、で結局哲学ってなんなの?と思っていた時に見つけた一冊。

 副題に「哲学、挫折博士を救う」とあり、哲学がどう作用するのか気になり、というところもある。

 哲学とは問いを立てること、みたいな感じを私は持っているのだけれど、じゃあその問いってなんなの?そもそも問いを立てるってどうやるの?みたいなことにも、この本は丁寧に答えてくれた。

 余談だが、著者はフランスに留学して博士号を取っても研究職に就けなかったというので、驚いた。研究職に就けるのは本当に一握りなんだな、と。学生時代は研究職つきたいな、と漠然と思いつつも、結局学士だけで卒業してしまったけれど、甘い気持ちでそのまま進んでいたら、どうなってたのやら。

 「私とはなにか?」をデカルト、フッサール、ウィトゲンシュタインをひいて、どのように考えを深めていくのかのプロセスはとても興味深いし、「私」といういわば当たり前になっていて改めて考えることのなかったものに目線が向いて面白かった。
「 我思う故に、我あり」という有名な言葉があるように比較的スタンダードな問いでもある。身近な問い。個人的には私の見えている世界は、人が見ている世界と違う、ということなんかを思い出しつつ改めて面白く読めた。

 「働くこと」は私自身も日頃よく考えることなので、馴染み深い思考だ。私はどうしてもどこか受け入れられない「働くこと」。それをどう深めるのか、何をひいてくるのか楽しみだった。
 ここで取り上げられていたのはフランクルの「夜と霧」だった。「夜と霧」はもう何回読んだか分からないほど、読んでいる。ここで取り上げられている「人生が私に何を求めているか」。これは「夜と霧」を読むととても輝いて見えるところだ。
 ここを著者は「自己中心」ではなく「使命中心」と発想を転換し、

どんな状況においても、来るべき「大きな使命」のために準備すること。
またそのために、どんな些細な仕事も、その時与えられている「小さな使命」と見なし、大切にすること。

と説く(解く?)。ここは、ものすごく納得できたというか、自分と等身大にまで、このフランクルの言葉が読み解かれた感じがした。
 「夜と霧」を読むとものすごく感覚的には理解はできるのだが、等身大に言語化するところまではできておらず、そこまで深めていくことが、哲学なのかな、と少し思った。
 等身大の言葉に言語化する、というのは私が本を読んでやろうとしていることで、noteで読書記録をつけるのもそのためだ。とは言え自分の狭い視野の中に物事を矮小化するような気もして、こういうフラットに等身大に言語化していきたいな、と思ったり。 

 自分の身近な問題から問いを立て、過去と哲学者の考えなどを探り、そこからまた自分に近い言葉へと変換させるためにまた考える、ということの繰り返しが、哲学なのかな、と思った。

 とはいえ、自分の「働くこと」についてはまだまだ納得がいかないというか、考え続けていくことになりそうなのだけど。これで道筋が少し見えてきたかもしれない。

 「病むこと」についても、私も同じく考え続けていることなのだけれど、「賜、与えられたもの」とまではどうも思えない。
 ニーチェの健康についての考えも面白い。身体に対する態度を決める、悪いものが良いものかを決めるのは病気に対する態度、というのは、ちょっとマッチョすぎないか、と思ったり。その後の病気を「自然の流れの一つとして捉えられないか」ということは、まあなんとなくそうかもしれないとは思った。
 私は病気になって「自分は弱くなった」という認識がある。弱くなることが、自然の流れなのだろうか。それとも自分の今まであると思った強さが歪であったのだろうか、自然に反していたのだろうか。自分にとって弱くなることこそが、自然の流れにあるものなのだろうか、など思った。何が自然なのだろう。

 「宗教について」もとても興味深いものだった。ヴィトゲンシュタインの切れ味の良い考えも相変わらず面白いなと思うし、ヴェイユの真摯さにも驚きがある。ヴェイユは読んだことがないけれど、一度読んでみたい。
 ここで取り上げられている遠藤周作「深い河」は私の大好きな本で、先日100分で名著でも取り上げられていた。「宗教多元主義」という考え方なのだな、と初めて知った。

 最後の「善く生き、善く死んでいくということ」は、池田晶子が取り上げられている。池田晶子は、前から気になりつつも積読状態なので、読まねばと思う。「善」とはなにか、「道徳の根拠」とはなにか。この思考のプロセスも面白い。

 「あとがき」も、ちょっと感動的で。私も著者と同じ病気で、1人寝ている時期もあったし、なんとか立ち上がって行った先の図書館で、自分は本当に知らないことが多い、と改めて気づいたのも同じだ。
 著者はそれを、下記のように表現していて、心底羨ましいと思った。ちなみに私は、それを知って、心底恥ずかしいと思ったし、本当に自分は何一つ分かっていないのだと、恥知らずな自分をとても恥ずかしく思ったのだが。

人間や世界についての不思議、つまり神秘がきらきらときらめいて私の目に映りました

 私もこの知らなさすぎる世界のことを、神秘がきらめいている、と思えたらいい。そうは思わなくても、知りたいとは思えたので、私にとっても哲学はこの著者と同じく「救い」になるかもしれない、と思った。

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