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「鬱の本」

 あまりに本の名前がそのまんますぎて、ちょっと手に取るのを躊躇ってしまったけれど、自分とは切っても切れないものとなってしまった鬱の時に読める本とのことで、手に取ってみた。

 84人もの人が寄稿していて、見開き2ページで完結している。一つ一つが短いけれど染み入る話。本を紹介している人も多く、ここから広がる世界もあるのだな、と思う。

 もはや憂鬱、鬱は当たり前のことなんじゃないかと思うほど、その話が出てきてなんだか面白くなってしまった。みんな憂鬱や鬱を語るなー、と。その本だから当たり前なのだけど。
 どこか不器用なようで、この2ページに想いを込められる器用さとが同居した不思議な本でもある。表現することはなにか自分を救ってくれるものなのかもしれない、とも思った。

 鬱の時本が読めなくなるのだけれど、この本を読むと、短歌ならば、読めそうな気がしてきた。今度鬱になったら、短歌の本を読んでみようかな、と思った。

 これは一気読みする本、というよりは、気が向いた時に開いたページを読む、という読書スタイルに向いてそうな本だ。

 この本みたいに自分の鬱の話を少し。

  私はもっぱら鬱になると原因不明の背中を刺されたような痛みを感じるわ、本は読めないわ、頭に霞がかかるわ。横になるしかどうしようもないが、横になったところで、何も解決しないという悶々とした時間を過ごす。
 夜であれば薬を飲んで寝逃げする。これに尽きる気がする。
 でもお昼間はなかなかそうもいかない。いきなり薬を飲むのも躊躇われるし。が、なぜかここで、寝込んではいけない、気を紛らわせねば、と散歩に出ることが多い。(どうやっても出れない時ももちろんあるが、その時はただ横になるのみ。)
 歩くことに集中して、周りの景色が変わる、風が吹いてる、空が青いなど、無理にでも外の刺激を入れる。そうすると、最初はもう無理だ、帰りたい、とか思いながらもあの角までと行くと、歩けることも多い。
 なんとなく鬱の時は窮屈で狭いところにいる気がして、四方八方が壁で、そこから逃げられないけど、逃げたい、とにかく全部辞めてしまいたい、と思うことが多い。
 外に出ることはそこから少しの間逃げる、頭の中でぐるぐるしてるところから、歩くことに逃げる、そういうことになるのかもしれないと思って外に出る。
 散歩してももちろん何も解決しないのだけど、一瞬だけでもそこから逃がしてくれるような気がする。そういうすがるような気持ちで散歩をする。

 ご飯はその時々で食べれるものが変わるので、ある時はたらみのゼリーしか食べれなかったり、某高級食パンしか食べれなかったりと、色々。試してみるしかない。買い物もあまりいけないので、食べれるものをリピートし続ける。それに飽きてきたら回復の兆し。

 回復しかけてきて、ものすごく心に響いた本は「絶望名人カフカの人生論」。ネガティヴすぎて笑ってしまうようなカフカの絶望名言になぜかとても癒された。「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。」本当にしそうだよ、とものすごく共感したり。久しぶりに面白いなぁ、と感じた本だった。

 最近も年に何度か鬱になることがある。でも、最初の頃と違って最近は鬱にも終わりがあることが分かっているし、なんとかなると思える。うっすらとだけど。
 最初になった時はこれどうなるのか、3ヶ月とかあっという間に過ぎていったけれどどうなってるんだ、と思った。
 最近はどれだけかかるかはわからないけれど、いつかは終わることがなんとなく分かっている。ものすごく焦ることも多い。でも少しづつ。
 お薬だってあるし、ある程度任せられるドクターも心理士さんもいる。

 自分で少しづつこの4年で積み上げてきたこと。それを信じて過ごすことが回復への近道だと思う。たびたび鬱になりながらも、螺旋状になんとか回復の道を辿っている気がするのだ。




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