見出し画像

花屋のチャンチョにプティットマドレーヌ擬きを見た話。

写真を撮ろうと思い立った。撮りたい写真には花の1つや2つがあるといいなと思い、最近花屋をちょこちょこと覗いたりしていたのだ。
花に特別造詣が深いわけでもないので、普段から花屋に行っても、「これはユリ……これはパンジー……いやビオラ……?」程度にしかわからないのだが、バナナよりバナナ色で、パプリカみたいな質感の植物にふと目が奪われたのである。

花?というのか、その植物の名前は「フォックスフェイス」というらしい。一目見て連想したのが『オシャレになりたい! ピーナッツくん』のチャンチョである。これに目を描いたら正面チャンチョだ。今にも「どういうことだか、わかるよね」と問いかけてきそうである。

調べてみれば、フォックスフェイスは別名ツノナス、狐ナスなどとも呼ばれるナス科の植物だそうだ。パプリカみたいに見えるし美味しいのではないかと思ったら、棘がある上に毒もある。凶暴なやつだった。いや、ナス科の植物は毒と棘のイメージ、結構あるにはあるのだけれど。可愛げのある色と形なので少し意外だった。

興味深かったのは「ソドムのリンゴ」という呼び名があることだ。毒性を持つそれっぽい植物はそう呼ばれる、くらいの大きな括りではあるようだが、ソドムという単語を聞く(見る?)のがそもそも数年ぶりだったのだ。日常に目にする言葉ではないが。

数年前、私は抄訳版ではあるが、とある有名な長編小説を読むことに挑戦していた。なぜ有名か、様々な理由はあれど、その1つには間違いなく「読破が難しい」ということが挙げられるだろう。

タイトルは『失われた時を求めて』。マルセル・プルーストがその生涯をかけて終ぞ書ききれなかった、自伝とフィクションのあわいの物語である。

この作品、ただひたすらに眠たくなるのだ。ドラマチックな展開が起こるよりも主人公がああだこうだ1人で悩んでいたり記憶を反芻しているような時間が多いせいだろうか。1人の人間の人生を、主人公が体感する時間感覚のままにその記憶を漂い見るような小説なので、夜にゆったりと寝る準備をした後、寝落ちるつもりで読むのが良い。

この作品の第4部のタイトルを、『ソドムとゴモラ』という。まるで『モスラとゴジラ』の亜種の様にも聴こえる響きだが、元を辿れば『ソドムとゴモラ』という言葉は旧約聖書に出てくる、天に裁かれて滅ぼされた2つの都市の名であり、要は悪徳の象徴みたいなものだ。そしてその悪徳とは風俗的に乱れすぎた事だとか、自然の摂理とは異なる欲が嵩んだのがその罪だ、という解釈が一般的だとかなんとか。よくは知らない。今も調べながら書いている。

『失われた時を求めて』の『ソドムとゴモラ』においても、同性同士の恋愛を目撃した主人公がどこか女性らしさのある男性という存在について思案したり、自分の好きな女性が同性を愛しているような素振りに嫉妬に狂うなどの展開を見せる。第4篇であるこの篇が、マルセル・プルーストがきちんと完成を見た最後の原稿だったのもあり、結構読み応えがある箇所だ。本作は第7篇まであるのだが、ノートに書いた”完成稿”という名の実質仮稿への加筆修正を終える前、第5篇着手中にプルーストは息を引き取った。なので第5~7篇は正式には完成ではないのだ。特に第7篇はどう見ても未完成である。それも人生譚らしく私は好きなのだが。

最近良い、わかりやすい、そして優しげな筆致の解説書、『『失われた時を求めて』の完読を求めて』(鹿島茂著)も出たので、挫折経験者も未経験者も是非手に取っていただきたい。面白く読める。勿論、眠くはなるが。解説書は立派な本なので、やや値は張るが、自分の今買いたい本ランキングでは割と上位にいる。第1部の『スワン家の方へ』しかでていないので、ソドムとゴモラの解説が聞ける日がもし来るなら素敵なことだ……

と、見覚えのあるキャラクターみたいな植物を調べていたら、急に懐かしい作品の記憶が蘇ったのである。プティットマドレーヌのようだ。フォックスフェイス、食べてはないのだけれど。
そういえばチャンチョが毎回名を忘れてしまうゲーム仲間、コモラさんだったな……なんて、ふと思って、小さな偶然にくすりとするのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?