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気分と勢いだけで

今朝はとびっきり目覚めが良くて、6:13分に目が覚めて、2度寝をしようとも思わなかった。
こんだけ目覚めがいいのには多少思い当たる節があって、その狙い通りに上手くいって驚いた。
というのも昨晩は寝る前1時間はスマートフォンの画面を見ないようにして、
お風呂(蓋をテーブルにしながら読書)→歯磨き
→23:00前には睡眠。
という我ながらおっかなびっくりな夜だった。

なぜこんなことをしようと思ったのかと言いますと、一昨日は朝の6時くらいまでゆるゆると動画を傍らで流しつつゲームをしてしまっていて、起きたら15時だったのだ。もうなにをするにも絶妙に時間が足りなくなる時間帯。もったいねぇ〜
という後悔の中、同級生の女の子がいつも
「私寝る前の1時間は絶対スマホ見ないようにしてるから!」というのを方言混じりに言っていたのを思い出した。
そんな訳で、今朝は凄くいい朝だったのだ。

閑話休題

しばらくボーッとしてると、ふと脳裏によぎる。
「めっちゃしらす食べたいな」
・・・「江ノ島、行くかぁ」
ということで今日、突然、江ノ島に行くことにした。

西日暮里から東京に出て、東海道線へと乗り換え
横浜や川崎なんかを通りぬけて大船へ着き、駅の本屋で本を買って、そこからモノレールにのった。思いのほかこのモノレールが揺れる、壁が無かったら立派なアトラクションだ。


本当に思いつきと勢いだけで、カップル蔓延る(偏見)デートスポット兼観光地へと単身で乗り込んでいったんだとさ。

江ノ電の駅
江ノ島に続く橋。
生しらすと釜揚げしらすの2色丼、うまい。
生姜をひとくちでいってしまって辛かった。ミスった…
江ノ島の中、桜がいい感じでしたね。
観光客多かった。国籍も年齢も性別も関係性も色々

江ノ島がどんなとこかは説明をするまでもなく、写真の雰囲気でわかるだろうよ。知らんけど。

にしても気分で弾丸日帰り旅行が出来るようになるとは成長したもんだな。ぼく。
この勢いというか、「衝動だけで動ける」みたいなのは長所なのかな。と調子にのってみる。


しらす=江ノ島
になったのは昔の記憶が関係している気がする。

昔も昔、小学生になったか怪しいあたりで、家族みんなで来たような覚えがある。
確か江ノ島水族館に行って、浜辺で遊んで、海の家に行った。そんな感じだったはず。

水族館は色んな魚がいた気がする。何を見たかは記憶にないんだけど、一つだけハッキリ覚えてる出来事があって、あの中で紙がぶおんぶおんと舞っているクジでなんと2等を当てたのだ。
景品は大きなイルカのぬいぐるみ。
17年間という微妙な長さを生きてきた中で、唯一景品が出るクジで引いた当たり。
1等だったら持って帰れなかったかもね。と母親に海の家で言われたことをなんか覚えている。

浜辺で波と追いかけっこして、飽きて、ジャズの流れる海の家で親が満足するまで、
文句をたれつつ待ったあと、みんなでしらすを食べに行った。

その時の釜揚げしらす丼がおいしくて、その時から僕の中で「しらす=江ノ島」になったんだと思う。
あの時のお店はどこか分からなかったし、その海の家は5年前くらいに無くなったらしい。


幸せ
78.88億の定義のある言葉ではあるけれど、私は
「宿り木」のようなものだと思っている。
あっちらこっちら飛び回って、ぐわんぐわん揺れて次から次へと景色の変わる世界を見て、
でも結局は戻ってきて止まる場所。

友達と遊んで一喜一憂したり、プロジェクトやらなんやらにのめり込んで熱中したり、高校生らしいおしゃべりに花を添えたり。そのどれもが楽しく充実感を与えてくれるものではあるんだけども、幸せと表すのはちょっとちがうんだよな。


ちょっと開けた場所にでて、自然を前にして
ふっと、体温がさがるような息を吐いた時。
風呂に入って、ぶるっと身震いして、
全身の鳥肌がぶわーってなる時。
しても良い2度寝に入るまでの、
まだ体温で暖かいままの布団の中での10分間。
自転車でしばらく走って、いったんとめて
水を飲もうとして、そよ風が吹いた時。

そんな何気ない生活の一幕、ひとりちょっと落ち着いたとき。そこに幸せの気配がある。
幸せという名のよすががあって、初めて楽しさを求めて飛び立てるような、そんなイメージ。

そんな定義に当て嵌めると、今日の江ノ島は楽しさよりも幸せな場所だった。
磯の岩に腰を下ろして、ただひなたぼっこをして
時折潮風が吹く。
こんなんでいい。今はこれでいい。これがいい。

楽しさを求めるのは、まぁ、いずれひとりくらい増やして、江ノ島水族館にでも行こう。
その時でいい。


いつもあんまり書かないのに今日はなんか長文だな。この時点で1850文字をこえている。
まぁいいや。書こう。

小学生のときからずっと、何か違和感を抱えている。その違和感というのは
「箱庭の中に自分がいる」
という感覚。

なんか大きな力が加わって、僕を一定の範囲から出さないようにしてるんじゃないか。
ゲーム的な表現だけど、自分の通るところだけがマップに加わって行って、他の場所は存在しないんじゃないか。そんな違和感。
毎日の日常の中で、大抵行動する範囲は限られる。無意識でも似たような所を通っている。
それが気持ち悪かったのだ。
自分が制限されてるみたいで、なんだか窮屈で、息苦しくて。

歳を取って、学区なんて言葉もなくなって、どこに行こうが親からとやかく言われなくなった。
そして、行動範囲も広がった。でも気付けば通い慣れた町のどこかにいる。居心地が悪い。
自由を与えられてるのに、何かに縛られて結局制限されてるみたいで、自由じゃないみたい。

だから急にとっぴに、理屈の外の勢いだけでどっかに行ってみたくなる。
計画は決めない、気の赴くままの道を選ぶ。
ネジを捨て去って奔放に動き回るとき、解き放たれた感じがして、そうでありたいなって思う。
今日の江ノ島もそのいっこなんだろうね。


ああ、よかったよかった。きぶんがいいや
今日の文はなんか元気で明るいね、
それじゃあ、おやすみ。

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